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山手線にゃんぽ会 西日暮里~日暮里 その3

 三河島あたりの、住宅などが並ぶ路地をうねうねと歩いて行くと・・・突然に目に飛び込んでくる ポン!ポン!(笑)

一般家屋のような敷地の前ですが、まるでコレクションの陳列室のように整然と並べられていて、通りすがりに立ち止まって眺めても良さそうな雰囲気でしたので、食い入るように眺めました。
ぽ~ん♪

 さらに、うねうねした道を歩き進みます。

煉瓦色の外壁と、青い瓦の色合いが印象的な家屋。
閉店された店舗のようでした。


「たねだんご」かだん
「たねだんご」とは???
(にゃんぽ会の主催者の散歩カフェの看板猫が「たね」という名前なので、にゃんぽ会の途中で見かけると、ついつい反応してしまいます 笑)

 この機会に検索すると、「たねだんご」とは、草花の種が埋め込まれたボール状の泥の団子のことで、「日本家庭園芸普及協会」の登録商標でもあり、市販の家庭菜園用の種としても販売されているそうです。

 

通り沿いで見かけたお店の看板
麻婆豆腐の真実とは?!と気になりましたが、検索すると、「孤独のグルメ」ドラマにも登場したお店で、野菜を使った「緑の麻婆豆腐」、生姜などを使った「黄色の麻婆豆腐」などの様々な麻婆豆腐や、そのほか、餃子やシュウマイ、春巻などの中華一品料理も充実しているそうです。


蔵元直賣(直売) 三河屋
蔵元とあるので、かつての酒屋さんでしょうか

 路地を通り抜け、鶯谷駅方面から三河島へと南北に走る大通りを渡ります。
 今回の散歩は、特に前半は、幹線道路や街道ではなく路地を何度も曲がって歩き、目印となる特徴的な建物も少なく、地形も平坦だったためか、途中で方向感覚が分からなくなり、快晴の空を見ての太陽の位置から、どちらの方角に向かっているかを確認することもありました。

よく見ると、焼肉屋さんから「呑もうよ」と誘われていますね♪
この青空で「呑もうよ」と言われたら断れずに二つ返事をしたくなりますが・・(笑)


「呑もうよ」、拡大して見ると居酒屋さんの名前でした
この名前は反則かも・・・(笑)

 画像の道を渡り、今の三河島駅の北東側の商店街などの町並みに入ります。
 このあたりは、明治時代頃の古地図を見ると、「田」「畑」が広がる、荒川に近い低地の中で、「浄正寺」や「観音寺」などの寺社を含めた村落があり、四方からの道が交わるように描かれている地域です。

どちらもカタカナの店名ですが、字体によって、それぞれ違ったお店の雰囲気が伝わってきそうな「ミカワシマバル スズナリ」と「喫茶 アイリス」

 「荒川仲町通り商店街」の近くへ。


 明治時代の古地図にも掲載されている道をたどり、三河島稲荷とも称される「宮地稲荷」へ。

おそらくは、かつての御神木の切り株などの名残りと思われますが、その上にかぶせられている赤い屋根のようなものが気になりました。
かつての神社の境内にあった建物でしょうか?


案内板によると、天正七年あるいは弘治三年(いずれも戦国時代、江戸付近は小田原北条氏の支配下がおおむね続いた)までさかのぼることのできる由来があるそうです。
弘治三年(西暦1557年頃)の棟札があったとのこと、これは家康が江戸に入るよりも前の年代ですので、「三河島」の地名にまつわる説のうち、家康が三河から連れてきた人々が・・・という説はこれで否定されるそうです。

 先ほどの、赤い屋根を載せられていた切り株、この案内板によると樹齢650年といわれる大ケヤキの御神木とのことでした。
 樹齢650年というと、この神社の由来といわれる戦国時代よりもさらに過去の年代ですので、かなり古くから、例えば何かが祀られていたとか、家屋敷があったような地だったのかもと思いました(古くからの川沿いの低地ながら、大きな洪水が起きてもこの木は被害を受けにくい場所にあったとか??)。


 稲荷のキツネに挨拶をして、さらににゃんぽ会のコースを歩きます。


 


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