山手線にゃんぽ会 西日暮里~日暮里 その4
三河島のキツネ稲荷「宮地稲荷」の前には、「三河島菜」と「三河島枝豆」にまつわる案内板が設けられています。
平成9年につくられたこの案内板では、「三河島菜」は今では消えてしまったようにも読めますが、参勤交代で江戸入りした仙台藩士が三河島菜を持ち帰り、「仙台芭蕉菜」として宮城県で栽培されている伝統野菜が三河島菜であること(三河島菜は仙台に残されていた)が平成22年になって判明したそうです。
そして、現在では、東京都内の農家で「青茎三河島菜」として栽培されているということです。
当時の江戸郊外の畑作地帯でつくられていた野菜が、参勤交代の荷物に入れられ、日光道中から奥州街道を経て仙台に運ばれていたのですね。
三河島枝豆は、現在も「中生(なかて)三河島枝豆」として栽培され、種子も市販されているようです(検索すると、種子販売のサイトにも掲載されていました)。
宮地稲荷から三河島付近の町歩きへ進みます。
そうです、この稲荷は、昭和62年の世界への入口なのです。
そして、この喫茶店の少し先で、きわめつけの昭和の小道具を目にすることができます!
ビーボ(VIVO)は、スペイン語やイタリア語で「生きている」「イキイキとした」といった意味があるそうです。
これらの自動販売機は、昭和50年代から平成初期にかけて各地に設置されていたとか。
たまに、町はずれの街道沿いなどに残されているのを見ることがありますが、都内で残されているのは貴重な存在かもしれません。
宮地稲荷前の優良ゴミ集積場から、このビーボ自動販売機のあたりまでは、もしかしたら昭和の世界に迷い込んでいたのかもしれません(笑)