日光道中・奥州道中 その5 「江戸の町に見送られ おなじみ芭蕉に迎えられ 浅草~南千住」
浅草駅前、吾妻橋の交差点で左折し、吾妻橋の交差点から言問橋の交差点へと向かいます。
言問橋の交差点を過ぎると、待乳山(まつちやま)聖天、今戸神社といった散歩でも知られる由緒ある寺社への案内板を横目に、今は暗渠のような細長い公園となっている山谷堀を渡り、ひたすら北へと向かいます。
2017年に歩いたときは、言問橋のあたりで、スカイツリーの上半分を隠していた雲が取れて、高さ634メートルの全容が姿を現す様子を見ることができました。
画像が見当たらなかったのですが、山谷堀を渡った先の東禅寺には、かつて、江戸から各地へ通じる街道沿いの、江戸の出入口にあたるような場所に設けられたといわれる「江戸六地蔵」の一つがあります。
東禅寺からさらに進み、泪橋の先で、貨物列車の「隅田川駅」へと通じる線路を越える跨線橋を渡ります。
隅田川駅の跨線橋の先で、道の左側の歩道に出ると、江戸時代の刑場・小塚原(今の、街道西側の線路の敷地のあたり)で処刑された死者の弔いの場でもあった「回向院」横に出ます。
私が日光道中を歩いたときは、二度とも道の右側の歩道に降りて、「夕刊フジでおなじみの店」という酒場と、その隣の「カエル」さんをなぜか撮っていました・・・。
先ほどの跨線橋の少し手前で荒川区に入っており、日光道中に関する荒川区の案内板も目にする街道沿いです。
そして、街道からは少しだけ外れますが、南千住の駅前には、奥州道中の定番ともいえる人物が登場します。
ちなみに、江戸時代に、幕府が「江戸」の範囲と定めた「朱引き」は、日光道中沿いではこの少し先の千住大橋(隅田川)までとされており、まさに、江戸から「奥の細道」へと向かう道中です。