日光道中・奥州道中 その9「ようやく着いた最初の宿場 ここで呑むか 先へ進むか(千住宿 本陣)」
かつての千住宿の中心、今の千住本町商店街へ入ります。
街道沿いの広場には千住の史跡などが詳しく記された地図が描かれています。
キツネの誘惑(?)の寄り道から街道に戻ります。
さきほどの地図の広場には、「千住宿 問屋場 貫目改所 跡」の標柱や案内板があります。
ここは、千住の宿場町の中でも、幕府が街道を管理・利用するための重要な施設のおかれた場所です。
「問屋場(といやば)」は、幕府の命令や許可を受けて目的地へと旅をする公的任務を帯びた旅行者に人足や馬を提供したり、前の宿場から運ばれてきた「幕府による公的な荷物や書類」を受け取って次の宿場まで届けたりする役割をしていました。
「貫目改所(かんめあらためしょ)」は、大名や公的旅行者が荷物運搬に馬を使う際、その荷物の重さが馬の使用料金の基準となるため、荷物の重さを量るために設けられたものです。
「問屋場」は、五街道など主な街道の宿場には必要なものでしたが、「貫目改所」は、当時の公用旅行者の荷物が途中で極端に増減するわけでもなく、目的地や通行経路もある程度決まっていたため、宿場の中でも限られた場所、東海道は品川・府中(駿府)・草津、中山道は板橋・追分・洗馬、甲州道中は内藤新宿と甲府柳町、そして日光・奥州道中は千住と宇都宮、つまり、各街道の起点と終点近くの宿場や、他の主要街道との「追分」の地(追分、洗馬)、公的旅行者の目的地となることも多い要所(府中、甲府)などです。
そして、賑やかな商店街をさらに進み、JR等の北千住駅からの道と交わる交差点を過ぎたところで、「千住宿 本陣跡」に到着します。
老舗酒場や横丁なども見え隠れする千住の町。
日光・奥州道中の最初の宿場町まで到着しました。
(続く・・・はず)