コロナの自粛で

コロナが流行り、県外移動は制限。父は未だ人工呼吸器つけて入院中とはいえ、安定していることから実家に帰ることは不要不急になる。家族自体、宮崎でコロナが流行ったのは福岡の人が宮崎に帰省したから流行り出したと思われている節があり、帰ってきて欲しくないらしい。2月に帰ったのが最後。時々実家へ電話はしている。母は電話口で父の洗濯物のタオルに抜け毛が多くてそれをきれいにすると涙が出てくるとのこと。あまりストレスをかけたくないので、タオルを大量に送り、髪の毛がなかなか取れないのは捨てなさいと言った。

今日、また電話をかけたところ97になる祖母が肺水腫で入院したと報告を受ける。今まで治療という治療してないから良くなるんじゃと簡単に考えている。これ以上苦しませたくないし、年齢的に回復の見込みは低い。覚悟を決めて、延命処置はしない方向で考えたほうがいいと顔の見えない電話で告げるしかなかった。当然、親戚にも電話して同様の内容を告げた。

父に関しても同じ。母が泣くのでなかなか話にならないため、数日前に病院に電話して状況を聞いた。悪くはなってない。とはいえ相変わらず人工呼吸器に繋がれている。父に関しても延命治療はこれ以上するつもりはない。冷たい娘と思われるが、多分1番私が冷静。。。

母と平行線を辿るやりとりにふと昔のことを思い出した。高校卒業し、専門学校に入った時に毎月の仕送りはできないと言われた。そもそもあまり賛成はしてもらえてなかった。看護学校に行くのになぜ県外か、というあたりから両親とはあまりうまく行ってなかった。3年間で学費生活費込みで100万円渡された。学費がほぼ掛からなかったが、寮費は多少いる。あとはとにかくバイトでなんとかするしかなかった。自分には夢があり、バイトと渡された3年間のお金から、計算して英会話に行くことにした。学生にしては大胆な発想。でも、今からやらねばという思いで、学費は一括で支払った。その後、なんと渡された100万円の半分以上が無くなっていた。母が使い込んだのだ。。。英会話は当然途中解約するしかなく、正直途方に暮れた。お金がある時に返してと母には言ったが数回、数万円が振り込まれただけであとは国試の前までバイトしてなんとか3年間を過ごした。私は年末年始や夏休みなど寮が閉まる時以外実家には帰らなかった。お金がもったいないというのもあるが、父にも言えなかった。

私が話し合いを持とうとしなかったのもあるが、未だに何か話し合いをしても平行線なのである。70歳の人に話したところでもう相手は変わらない、変われないのだ。自分が変わらないと。と何度も言い聞かせる。

育ててもらった恩はあるが親は子供を選べない。でも子供も親は選べない。コロナの関係で忘れていた感情を思い出してしまった。

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