2023.8.17 GWの函館旅行と『一握の砂』
今年の春に北海道に初めて行った。10代の時は九州に住んでいたので北海道は遠くて縁がなかったし、20代になってもスキーに行こうよと誘ってくれる友人もいなくて、なぜか時が過ぎ去ってしまった……。そして、2020年の春に北海道に旅行をする計画を立てていたが、コロナの影響で中断していたので計画から3年越しにようやく函館と札幌を訪れることができた。
函館では、谷地頭(※1)の喫茶店クラシックで開催されている小池貴之さんの写真展〈浜さ〉を見て、与謝野晶子の碑のある立待岬まで歩いた。春の終わりに差し掛かった時期の函館の夕方は長袖一枚では肌寒かった。
小池さんは東京在住で地元・函館の海辺の風景の写真を鶏卵紙で制作している作家だ。(※2)写真の街と言われる函館で、小池さんは注目度が高く、私が伺った日もひっきりなしに人が訪れていた。普段見ている風景を鶏卵紙という古風な技術で映し出されたイメージを通して見ることで、何か小さな変化が生まれそうだ。函館に住む人の中に、小池さんの写真が挟まることで、どんな会話が生み出されているんだろうか。街への愛着が生まれることは間違いない。
立待岬に向かう途中に石川啄木の墓があったのでお参りした。「はたらけど、はたらけど」以外の句はあまり知らなかったが、街に戻って文学館に立ち寄ると、彼がどうも組織に反発ばかりして、転職が多かった人だったことが分かった。それでも、最終的に朝日歌壇の初代選者になるも、亡くなってしまったのだ。なんとも、悲しい。
その時に文学館で買った『一握の砂』をパラパラと読んだ。近藤典彦編はページを捲ると「一握の砂を読むなら、ぜひ本書で読んでください」という一言から始まるので、驚いたが、解説がとっても面白かった。我を愛する歌、煙、秋風の心のよさに、忘れがたき人人、手套を脱ぐときの5部からなるのだが、すんなり入ってきたのは「忘れがたき人人」や「手套を脱ぐとき」だった。
「我を愛する歌」は内面を突き刺すほど見ていて、自傷的なので読んでいて辛かったのと、「煙」は青春と哀愁のうたなのだが、少し演出をやりすぎて甘ったるいので自分には合わなかった。特に、女の子に対する執着というか、描写はゾッとした。友人や身の回りの風景について思いつきでメモを取るように書いている「忘れがたき人人」や「手套を脱ぐとき」が自分の好みだった。人間、昔から思い続けてきたことをうたにすると、気持ちが入りすぎて空回るのだろうか。
GWにせっかく函館にいたのに、啄木が詠んでいた歌の中に登場する浜薔薇を見落としてしまった。次に行くときは見たい。
※1 潮っぽい香りのする茶褐色の谷地頭温泉が最高。
※2 ロシアを撮った作品は2023年の春には京都国際写真祭のKG +(新人を発掘するためにキュレーションされている。)でも展示されていた。石内都さんがプリントを褒められていたほど、技術が素晴らしいと噂に。