2023.7.17 新山清展 @スタジオ35分
7月15日土曜日に新山清 写真展(畠山直哉によるセレクション)を見た。中野の新井薬師駅から徒歩3分の場所に位置するギャラリー兼バーの「スタジオ35分」。この場所では、年間を通して新人作家から故人の作品まで幅広いジャンルの写真展が行われている。今回展示された新山清(1911〜1969)は、聞くところによると、膨大な量の作品が残っており、国内外でプリントが取引されている知る人ぞ知る作家なのだそうだ。存命中はさまざまな雑誌でアマチュア写真家や写真クラブ向けに講評を書いたり、現地に赴いて(ときにはテープに録音した音声を通して)カメラファンに指導を行ったりしていたようだ。不慮の事故で亡くなった直後に編まれた香典返しの代わりの写真集には、植田正治など同時代の写真家からの寄稿もあったほどで、当時の写真家とは深い交流があったようである。
15日には、故新山清のご子息の新山洋一さん、写真家(スタジオ35分のオーナー)の酒航太さん、畠山直哉さんのトークイベントが開かれた。twitterで前日に知り、慌てて申し込んだら、ギリギリ席を取ることができた。政治的・社会的に翻弄されながらも戦前戦後を駆け抜けた写真家 新山清にまつわるトークはあまりに興味深く、聞き入ってしまったので、スマホで会場の様子を1枚も撮っていない。(スマホで撮ること自体、恐れ多く感じた)
少し話は逸れるが、私は昨年「パリフォト」に参加するために、ドイツやフランスなどを訪れたのだが、そのときに直感的にフランスよりもドイツの写真の方が好みだなと感じていた。
旅行中にそれぞれドイツとフランスの街に着いたときに目にした映画の宣伝用ポスターや、現地の会社の広告を見ると、デザイン的に訴えるのはドイツであり、エモーションに訴えるのはフランスだった(人によって反論はあるだろうが、少なくとも私にはそう見えた)。前者はタイポグラフィが美しく端的にコミュニケーションを通行人の私に図ってくるし、後者は甘美な世界を見せようとこだわりの演出で私の足を止めようと気を引く。しかし、ドイツの情報を削ぎ落とした完成物の方が居心地が良い。フランスの甘美なイメージにどうしても距離を感じてしまったからだろう。
美術館の展覧会もドイツの方が圧倒的に面白かった。ドイツの方が過去と現代の作家がクロスするような仕掛けを随所に散りばめたような、脳の奥が刺激されるような展覧会の構成に出くわす確率が高かった。
自分の中でどうもドイツ贔屓が甚だしいのだが、今回スタジオ35分で見た新山清の生まれた年代や作風から「これはドイツの影響を受けているような作品だ(彼が20代の時にドイツから日本に巡回してきた独逸国際移動写真展の中でバウハウスのモホリ・ナジなどの作品を見ていそうだ)」と感じ取れて、嬉しくなって、ギャラリーの中を何周もした。もしかしたら、畠山直哉さんは新山清の作品の中からそういうドイツっぽいものだけを切り出したのかもしれない。畠山直哉さんも、リーフレットの冒頭でドイツのfotoformの一派、ピーター・キートマン(1916-2005)について言及している。このリーフレットを読んだとき、畠山さんもドイツの写真が好きだとは!気が合うな〜と勝手に思ったのだった。
トークイベントが終わった後に、ゲストの新山洋一さんにさらにお話をする機会を得たが、素敵な方だった。2023年現在で79歳。今度東川町に行く予定があると、80歳近くになっても元気に飛び回っていらっしゃる様子だった。彼と話すと本当に写真が好きな方だと分かる。好きすぎてニコニコしていらっしゃるのだ。こんなことは言いたくないが、時々写真業界で出くわす「なんでこんなことも知らないのか」「そういうやり方は間違っている」という威圧的な態度が全くなく、「今回はじめて見ました」と素直に伝えると、丁寧に説明してくださった。写真界の人間国宝なんじゃないのかと思えたほどだった。