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炎上、差別、ハラスメント問題に見える両面からの違和感

News Picksでジェネレーションギャップ特集のひとつ「【研究】ネット炎上事件簿で学ぶ「非常識」の最新形」の記事を読んだ。

この手の記事にいつも思うのは、問題を起こしている(炎上している、差別発言している、ハラスメントしている)方と、批判している方両面が実際の差別やハラスメントの本質の問題から離れているなということである。

まず、問題を起こしている側としては炎上する多くのケースは差別的な表現や特定のハラスメントを意図したものは少なく、他人を見下すもしくは揶揄する傾向にあるように見える。例えば上の記事で挙げられている森喜朗氏の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」発言問題は、「女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手を挙げて言われると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね。みんな発言される」と続けており、女性というワードが入っていなければ、競争意識そのものに関しても別にマイナスイメージを持っている単語ではない(そもそもそ女性=競争意識が強いというマイナスイメージは大多数はもっていないのでは、、、)。つまり普段そのように他人を見下すもしくは揶揄する傾向があり、それがたまたま問題になりやすいマイノリティーの性別や人種であったため炎上するといった流れではないかと考えており、グローバルで騒がれる差別問題やハラスメントとは本質がずれているように感じている。

また批判している方に関しては、該当者もしくは組織の全ての発言・行動をカテゴリーに分けて、差別はダメ、ハラスメントはダメとしているのに、その批判自体が差別的でハラスメント的な傾向がある。例えば今回の記事に関して言えば、高齢者を一括りにカテゴリ化している高齢者差別しているし、若者の価値観を押し付ける、価値観ハラスメントをしている矛盾が起こっている。これは個人のSNSでもよく見れるので、目にするたびに体むず痒くなる違和感を得るのだ。

差別もハラスメントももちろん良いことではないが、本質としては勝手に人をカテゴライズして判断したり、他人を揶揄する発言や行動なので、そこを勘違いしている人が多いので社会が窮屈になってきているなと違和感を覚える。

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