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最終目標は祖母

私の最終目標は祖母だ。

祖母(96歳)は、いつもニコニコしている。口癖は、「私は幸せだよ」と「ありがとう」だ。

「幸せだよ」には二つのパターンがあって、①みんな(家族)が良くしてくれて、というのと、②おいしいものが食べられて、がある。祖母の好きなものはお菓子とパン。朝はパンかバナナ、その後ちょこちょこお菓子をつまんで、ご飯は夕方に一食。ご飯の時間も起床時間もまちまちで、びっくりするほど栄養バランスは偏っているのに、超元気。かぜはほとんど引かないし、眼科以外の病院にかかったこともない。要介護申請の時に、かかりつけの病院がなくて困ったほどだ。

祖母は緑内障と白内障を患っていて、今ではほとんど目が見えない。同居している叔母が、ご飯を作り、介助をしている。一人では移動ができず、トイレも人の手が必要だ。老いはここ2カ月で急速に進んだ。

前までは、見えにくいながらも見えていた。ご飯を自分で食べ、風呂もトイレも自分で行けた。昔からの習慣で、自分の洗濯物は毎日、大きな桶を使って手洗いでしていた。なぜ全自動の洗濯機があるのにそんなに手のかかることを、と思っていたが、「手洗いのほうが汚れがよく落ちるから」と祖母は言った。庭での草むしりが一番の楽しみで、何時間も庭に出ては、熱中症にならないかと叔母を心配させていた。

老いは止められない

そのころは、新聞を読まなくなって、テレビを見なくなって、話を振っても「私には分からない」と言うことが増えて、と、少しずつできないことが増えていきはしたものの、そのスピードはゆっくりだった。そして、祖母は元気だったのだ。

それが、ここ2カ月の変化は急だった。

少し見えていた目がほとんど見えなくなり、足腰が弱って移動ができなくなった。叔母や父の介助が必要になり、今、要介護認定を申請中だ。祖母は一日を、キッチンにある椅子に座って過ごす。ご飯を食べること以外は人の手が必要で、叔母か父が常にそばにいる。乳児の成長が目に見えて分かるように、祖母はどんどん老いて、小さくなっていく。

父も母も、「とっても弱っているから、祖母に会いに来れる時は会いに来て」と言うようになった。会うときはいつも、「あと何回会えるだろう」と切なくなるし、父から電話があると「何かあったのかな」と不安になる。

持つもの、持たないもの

ここ2カ月、祖母は「ありがとう」「幸せ」と言うことが増えた。

前から時々口にすることはあったが、今では会うたびに口にする。スーパーで大袋のお菓子を買っていっても「こんなに高いものを、ありがとう」と言うし、作ったお菓子は何でも「本当においしい。上手だね」とほめてくれる。要介護認定を受けるために行った病院でも、ニコニコして「ありがとうございます」と言う祖母は、看護師に人気だ、と叔母に聞いた。

祖母は、農業をしながら、祖父と二人で5人の子を育て上げた。年金は微々たるもので、お金はほとんど無いし、元気な時も、外出は美容室と病院くらいだった。祖母の世界は、家と家の前の庭、畑だけだ。勉強は好きだったけど、家が貧しくて小学校までしか行けなかった、と父に聞いた。世の中を変えるような、大きな仕事はしていない。おそらく、大きな夢も持たなかっただろう、と思う。

それでも、祖母の「幸せだよ」「ありがとう」という言葉は、光となって周囲を明るくする。それは、確かに豊かなことなんじゃないかと私は思う。どれだけ老いて、持てるものを手放していっても、人は人を照らすことができるんだ、と、私は祖母に会うと毎回静かに感動する。

祖母の夢は、もう一度庭に出て草むしりをすることだ。




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