やめるということ・1 部活編
次男が小学3年生の時、「野球をやりたい!野球部に入りたい!」と言った。
わたしは子供が自発的に「やりたい」と言ったことは絶対にやってほしいので、すぐに体験に行ったのだけれど、「これは絶対に何かやばいことになるぞ」と思った。野球部のお母さんたちを見て、「絶対に合わないな」と違和感をバリバリ感じたのだ。こういうのは大抵当たる。
自分の習い事だったら違和感を信じて絶対に入らないところだけれど、野球をやりたいのは息子で、息子は体験をしてみても「やりたい!」と言ったので入部した。
小学生の野球の保護者はかなり大変だと思う。そこから全てを野球に捧げる日々が始まった。(書いてて大袈裟で笑えるけど、本当にそんな感じだった!)
さて次男はというと、最初こそ野球の楽しさがまさっていたものの、「練習を休んではいけない」「ゴールデンウィークは野球の試合があるから旅行ができない」「週末は朝から夕方まで野球」などなどの自由のなさに嫌気がさしていた。(母は最初からそうだった!)
でも、もともと人数が少なく、さらに唯一のキャッチャーだったため、本当に休めないしやめるなんて恐ろしくて言えなかった。多分次男も幼いながらにそう感じていたと思う。
純粋に楽しそうだったのは多分半年あったかないか、その後は義務のような野球部生活を次男もわたしも送っていた。
5年生のゴールデンウィークも、長男は旅行に行ったのにわたしと次男は野球。
ここで次男がついに「やめたい」と言った。
わたしは「待ってました!!」とばかりに「うん、やめよう。やりたくないことを無理にやるのは時間がもったいないよ。すぐに監督に言うね。」と言うと、すごくホッとした顔をした。
そして次の日早速やめたい旨を話すと、「キャッチャー不在になって試合に出られないから、次のキャッチャーが育つまではいてほしい、チームのみんなが困ってしまうから。せめて1学期が終わるまで。」と言われた。お母さんたちにも「困っちゃうからなんとか騙し騙しでも続けられない?」と口々に言われた。さらには「今やめたら、いろんなことからすぐに逃げる子になるよ!」とも言われた。脅しか!
でも次男も、自分がやめたらキャッチャー不在でみんなを困らせてしまうということに責任を感じていたから、じゃあ1学期が終わるまで…と、本当はやめたいのに頑張って続けていた。
しかし、集団というのは恐ろしい。わたしもあまりに毎回毎回お母さんや監督から「やめないで」「困る」「続ける気になった?」などと言われるのに疲れて、「ああもうこのまま次男くん続けちゃってくれないかな…そうしたらわたしがこんなに言われなくて済む…」みたいな気持ちになってしまっていた。一種の洗脳のようだ。
でも梅雨の6月、放課後に練習がある水曜の朝、次男が
「母ちゃん、、、今日雨降る?」
と元気なく聞いてきた。
雨が降れば練習がなくなるから。雨が降って欲しいのだ。雨が降って欲しいなんて、普段は絶対に思わないのに。晴れた中、友達と遊びたいはずなのに!
この言葉を聞いてわたしはハッと目が覚めた。
続けてくれたらわたしが楽になる、と思っていたことを本当に申し訳なく思った。そして、もう解放してあげなきゃダメだ!心が壊れちゃう!と、その日にもう一度2人で「今日でやめさせてください」と言いに行って、無理矢理だったけどやめることができた。
その帰りの次男の顔が晴れやかだったのは忘れられない。最初に次男なりに勇気を出してわたしに「やめたい」と口にした5月に、そのままやめさせてあげなかったことを後悔した。
「続ける」ことも「継続は力なり」という言葉があるくらいだからもちろんいいと思う。
でもやめてもいいと思う。何かを途中でやめたらダメな人間だ、一生そういう人生になるなんてどうして言えるんだろう?ただ野球をやめただけ、なんだったらその野球部をやめたかっただけなのに。
やめた次男はしばらくの間はひたすらに友達と遊んだ。しばらくしてバスケ部に入ってバスケを楽しみ、6年生になってバスケ部をやめてサッカー部に入った。自由だ。母の立場からするとかなりいろんな目が恐ろしかった(笑)
でも小学生の部活の話だ。楽しくスポーツをしようよって話だ。次男はバスケもサッカーも楽しそうにしていた。それが一番大切なことだった。
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