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(365)[安重根 死刑執行状況 報告 件]①

(韓国)国史編纂委員会「韓国史データベース」

http://db.history.go.kr/
* このサイトで公文書原本の画像も公開されています。

統監府文書 7巻 > 一、安重根關聯一件書類 (哈爾賓事件書類 一~六、伊藤公遭難事件書類 一~四、安重根及合邦關係事類 一~三、哈爾賓事件憲兵隊報告一~三)> (365) [安重根 死刑執行狀況 報告 件]

国史編纂委員会, 1968,『韓国獨立運動史 資料7』:515.

[要旨]
 この文書の別紙一は、統監府通訳の園木末喜による安重根の死刑執行についての報告書です。
 安重根の処刑が執行された時刻は、1910年3月26日の午前10時4分、検死は10時15分でした。安重根の遺体は、10時20分には納棺されたうえで、教誨堂に運ばれて、共犯者として収監されていた禹德順・曹道先・劉東夏の3人に礼拝をさせた後に、午後1時に監獄の墓地に埋葬したと記録されています。
 また、死刑執行の報を受けた安定根・安恭根の二人の弟が、安重根の遺体の引き渡しを求め、遺体と一緒に帰国することを希望していたのですが、日本の官憲はそれを拒否して、弟二人を午後5時発の大連行き列車に乗せて帰国させたとも報告されています。
 この報告書には、安重根の遺体引き渡しの可否をめぐる二人の弟と日本側官憲のやりとりが生々しく記録されています。朝鮮人遺族にとっての、遺骸が親族と一体不可分であるとの切実な宗教的観念に、日本人官憲が余りにも無知で無慈悲であったことが読み取れるのではないかと、私は思います。また、監獄法74条は、素直に読むならば、遺族等の関係者から申請があれば監獄はいつであろうと引き渡すことができる(=拒否はできない)と、引き渡しを義務づけているのであり、日本側官憲が条文を曲解したことは否定の余地がありません。

崔起榮(2022:29)は、この資料から安重根が死刑執行の直前に述べた言葉を引用して、安重根が「最後まで東洋平和を主張し続けていた」ことを強調しています。 崔起榮「安重根の『東洋平和論』」龍谷大学社会科学研究所付属安重根東洋平和研究センターほか編『安重根・「東洋平和論」研究』, 明石書店:29-55.

以下に勝村による現代日本語訳を乗せますが、( )内の語句は勝村が補足、[ ]内には勝村が意味を添え、* で注記を加えました。

------< 現代日本語訳 >------
本日、この高等法院の検察官から安重根に対する死刑執行命令が都督に上申されましたので、とりあえず電報で報告した通りですが、これに対する都督の命令書は今月22日に到着し25日に(死刑を)執行できるようになりました。なお、受刑後の安重根の身柄は、監獄法第74条 * によって、公安上これを遺族に引き渡さないことが適当であると認め、いずれにせよ、この監獄の墓地に埋葬することに內定していますので、そのことを参考までに報告いたします。

* 監獄法 第七十四条 死亡者ノ親族故旧ニシテ死体又ハ遺骨ヲ請フ者アルトキハ何時ニテモ之ヲ交付スルコトヲ得但合葬後ハ此限ニ在ラス


別紙一 [安重根 死刑執行狀況]
 殺人被告人の安重根に対する死刑は、26日午前10時に監獄署內の刑場において執行されました。その要領は左の通りです。
 午前十時溝淵検察官、栗原典獄と小官らが処刑場の検視室に着席すると同時に、安重根を引き出して死刑執行の旨を告知し、遺言の有無を質したのに対して、安重根は、ほかに遺言すべき何物も持っていませんが、そもそも私の兇行というものは、もっぱら東洋の平和を実現しようという誠の心から出たものなので、願わくば本日ここにおられる日本の官憲のみなさまにも、どうか、私のささやかな真心をご理解いただき、双方の国がともに心を合わせて協力することにより、東洋の平和を目指されることを切望するだけですと述べ、なおこの(処刑の)期に臨んで東洋平和の万歳を三唱したいので特別にお認めいただきたいと申し立てましたが、(栗原)典獄はそれは認められないとの旨を諭して、看守に直ちに白紙と白布で安重根の目を蔽わせて、特別に祈祷する許可を与えると、安重根は約二分間余りの黙祷を行い、やがて二人の看手に引き立てられて階段から絞首台に上がり、泰然として刑の執行を受けた時には10時ちょうど4分過ぎであり、10時15分に監獄医が検視して絶命したことを報告したので、ついに刑の執行を完了し、一同は退場しました。
 10時20分に、安重根の遺体は監獄署で特別に用意した棺に納め、白布を蔽って敎誨堂に運ばれ、やがて、その共犯者であった禹德順・曹道先・劉東夏の3人を引き出して、特に礼拝をさせて、午後1時に監獄署の墓地に埋葬しました。
 この日の安重根の服裝は、昨夜、故鄕から届いた紬の朝鮮服 (上着は白無地で、ズボンが黒色のもの)を着て、懷中には聖書を納めていましたが、その態度はとても沈着で、顔色から言葉づかいに至るまで、いつもと全く異なることなく、従容自若として潔くその死に就きました。
 これに先だって、安重根の二人の弟たちが、この日に死刑を執行するとの旨を伝え聞き、安重根の遺体を受け取って直ちに帰国しようと旅裝を整えて監獄に出頭する準備中であるとの報告を受けたので、ひとまず彼らの外出を禁じ、刑の執行後に召喚したうえで、(栗原)典獄から、被告の遺体は監獄法第74条および政府の命令によって引き渡ししないとの旨を言い渡し、特別に遺体に対する礼拝を許可する旨を諭告しましたが、これに対して二人の弟は痛く憤激しながら、死刑の目的はその罪人が生命を絶つことによって終わるのだから、その遺体は当然に(遺族に)引き渡すべきものであって、監獄法第74条に「何時ニテモ之ヲ交付スルコトヲ得」とあるのは、「交付すべきである」との意であり、「得」の一字は、以下の条文に、合葬後の様々な場合に対応するための余地を残しているに過ぎないのであるから、政府の命令や官憲の権限に委任されるものではないと主張し、ますます激怒を高めていったので、そうではないという趣旨をできるかぎり懇諭し、無闇に数百万の言葉を費したところで、効果がないばかりか、かえって世人の同情を失うことになるので、むしろ柔順に遺体に礼拝を捧げて速やかに帰国する方が良いとの旨を訓誡しましたが、二人の弟は大声を挙げて泣き狂いながら、遺体を引き渡さないのであれば礼拝も必要がない、国事に殉じた兄に対して死刑の極刑を科することまでしたうえに、その遺体すら引き渡さないというあなた方の残酷なやり方は死んでも忘却しないと、我が国の官憲を罵詈讒謗した[口を極めて罵った]果てには、何れの日にか必らずやこれに報いがやってくる日があるはずだと、一言一言、いっそう不穩な言動に出て、いかに退場を命じても泣いて倒れるままに、頑として動かなかったので、止むなく警察の力をかりて部屋から外に引き出し、さらに百方に(ひゃっぽうに)[あらゆる言葉を尽くして]懇諭した結果、ようやくにして、やや落ち着きを取り戻しましたので、そのまま停車場に護送し、二名の刑事が警護にあたったうえで、午後五時発の大連行の列車で帰国させました。禹德淳と安重根の在監中に(安重根が)起稿した遺稿のうちでは、安重根の伝記だけはすでに脱稿しましたが、東洋平和論は、総論及び各論の一節に止まり、全部の脫稿を見る至りませんでした。

右の通り報告する。
                  通譯嘱託 統監府通訳生 園木末喜 印 

------< 国史編纂資料館ウェブサイトで公開されている翻刻文 >------
(前文缺) 本日當高等法院檢察官ヨリ安重根ニ對スル死刑執行命令方都督ニ及禀申候次第ハ不取敢電報ヲ以テ報告致候通ニ有之候處右ニ對スル都督ノ命令書ハ本月二十二日到着同二十五日執行可相成尙受刑後ノ安ノ身柄ハ監獄法第七十四條ニ依リ公安上之ヲ遺族ニ下付セサルヲ適當ト認メ當監獄署ハ墓地ニ埋葬スルコトニ孰レモ內定致居候條此段爲御參考及報告候也
別紙一
文書題目 [安重根 死刑執行狀況]
殺人被告人安重根ニ對スル死刑ハ二十六日午前十時監獄署內刑場ニ於テ執行セラレタリ其要領左ノ如シ
午前十時溝淵檢察官・栗原典獄及小官等刑場檢視室ニ着席ト同時ニ安ヲ引出シテ死刑執行ノ旨ヲ告知シ遺言ノ有無ヲ質シタルニ對シ安ハ他ニ遺言スヘキ何物ヲモ有セサルモ素自己ノ兇行タルヤ專ラ東洋ノ平和ヲ圖ラントノ誠意ニ出タル事ナレハ希クハ本日臨檢ノ日本官憲各位ニ於テモ幸ニ余ノ微衷ヲ諒セラレ彼我ノ別ナク合心協力以テ東洋ノ平和ヲ期圖セラレムコトヲ切望スルノミト述ヘ尙此期ニ臨ミ東洋平和ノ萬歲ヲ三唱シタケレハ特ニ聽許アリタシト申立タルモ典獄ハ其ノ儀ニ及ハサル旨ヲ諭シ看守ヲ以テ直ニ白紙ト白布トヲモテ其目ヲ蔽ハシメ特ニ祈禱ノ許可ヲ與ヘケレハ安ハ約二分間餘ノ默禱ヲ行ヒ軈テ二人ノ看手ニ引立テラレツゝ階段ヨリ絞首臺ニ上リ從容トシテ刑ノ執行ヲ受ケタリ時ニ十時ヲ過クル正ニ四分ニシテ同十五分ニシテ監獄醫ハ死相ヲ檢シ絶命ノ旨報告ニ及ヒケレハ茲ニ愈々執行ヲ了シテ一同退場セリ
十時二十分安ノ死體ハ特ニ監獄署ニ於テ調製シタル寢棺ニ之ヲ納メ白布ヲ蔽フテ敎誨堂ニ運ハレシ軈テ其ノ共犯者タル禹德順・曹道先・劉東夏ノ三名ヲ引出シテ特ニ禮拜ヲナサシメ午後一時監獄署ノ墓地ニ之ヲ埋葬セリ
此日安ノ服裝ハ昨夜故鄕ヨリ到來シタル紬ノ朝鮮服 (上着ハ白無地ニシテスホン黑色ノモノ)ヲ着ケ懷中ニ聖畵ヲ納メ居タリシカ其態度ハ頗ル沈著ニシテ顔色言語ニ至ル迄居常ト些ノ差異ナク從容自若トシテ潔ク其死ニ就キタリ
先是安ノ二弟ハ本日死刑執行ノ旨ヲ傳聞シ其死體ヲ請ヒ受ケ直ニ歸國スヘク方ニ旅裝ヲ整ヘ監獄署ニ出頭ノ準備中ナリトノ報告ニ接シケレハ應急ノ手配ヲ以テ其ノ外出ヲ禁シ刑ノ執行後ニ及ヒテ召喚ノ上典獄ヨリ被告ノ死體ハ監獄法第七十四條及政府ノ命ニ依リ交付セサル旨ヲ言渡シ特ニ死體ニ對スル禮拜ヲ許可スル旨諭告シタルニ對シ二弟ハ痛ク忿激シツゝ死刑ノ目的ハ其罪人ノ生命ヲ絶ツヲ以テ終リトナスモノナレハ其ノ死體ハ當然交付スヘキモノニシテ監獄法第七十四條ノ所謂何時ニテモ交付シ得トアルハ卽チ交付スヘシトノ意ニシテ只得ノ一字ハ下段ノ法文合葬後云々ノ場合ニ處スル爲ノ餘地ヲ存セシメタルニ過キサレハ政府ノ命ヤ官憲ノ權限ニ委任セラレタルモノニアラストテ益々忿憿怒ヲ加ヘケレハ其然ラサル旨ヲ以テ極力懇諭シ徒ニ數百萬言ヲ費スモ其効ナキノミナラス却テ世人ノ同情ヲ失フ所以ナレハ寧ロ柔順ニ死體ニ禮拜ヲ捧ケ速ニ歸國スルニ如サル旨訓誡スルモ二弟ハ大聲ヲ擧ケテ泣キ狂シツゝ死體ニシテ交付セサル上ハ禮拜ノ必要ナシ國事ニ殉シタル兄ニ對シ死刑ノ極刑ヲ科スルサヘアルニ剩サヘ其死體スラ交付セサラントスル汝等ノ慘酷ナル所致ハ死ストモ忘却セストテ我官憲ヲ罵詈纔榜シ果テハ何レノ日ニカ必ラスヤ之ニ報ユルノ時アルヘシナト一言ハ一言ヨリ不穩ノ言動ニ出テ如何ニ退場ヲ命スト雖泣キ倒レシ儘頑トシテ動カサレハ止ムナク警察ノ力ヲ藉リテ室外ニ引キ出シ更ニ百方懇諭シタル結果漸クニシテ稍々常態ニ復シタルヲ以テ其儘停車場ニ護送シ二名ノ刑事警護ノ下ニ午後五時發大連行列車ニテ歸國セシメタリ
禹・安在監中ニ於テ起稿シタル遺稿ノ同傳記ノミハ旣ニ脫稿シタルモ東洋平和論ハ總論及各論ノ一節ニ止マリ全部ノ脫稿ヲ見ルニ至ラサリキ
右及報告候也
                  通譯囑託 統監府 通譯生 園木末嘉 印 

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