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1996年8月 初盆見舞いに福島ちょこっと

【まとめ】急遽、父とふたり、父の実家のある福島に、伯父の初盆見舞いに行くことに。静岡福島の往復は案外ハードでした。滞在中の記憶もあまりありません。親戚がカメラ持っていたおかげで磐梯吾妻スカイラインへのドライブの写真だけ何枚かありました。ありがとう。

8月9日(金)

0:00起き 車で静岡発。運転はわが父。
東名高速道路はすいすい。首都高は工事で少し混み合ったが、かえって運転しやすいとのこと。
夜中の東京タワー。昔(何度か父の実家に行く途中見かけた夜中)は不思議の国の塔だったが、今では、(勤務していた)新橋5丁目を思い出させるモニュメントとなっていた。
東北自動車道は宇都宮?鹿沼?近辺でいっぺん混む。これも工事渋滞。
白河で1時間仮眠。日が出て来た。
しかし父はせっかちなのでさっさと起き出してすぐに出発。
福島近くの車道は道路が3.3.7拍子に凸凹している。眠気覚まし?
福島西インターを降り、まっくず西へ向かう。

父の実家は父の弟がいったん継いでいたのだが、何年か前に、請け判をしたのが原因で人手に渡っていて、当時は、実家向かいに土地を分けて住んでいた父の兄一家とあたりにちらほらと遠い親戚だけが残っていた。
今回は、実家近くに住んでいた兄が亡くなったため、初盆ということで久々に故郷を訪ねることになった。
しかしちょっとひとりだと父の言動が心配なので私もおともについていくことになったのさ。運転もそこそこできるし。

なにかと話を聞くに、父の実家はその昔、父の父(meの祖父)の時代にも友人に騙されて請け判をして、屋敷は無事だったものの、周りの田畑をほとんど取られてしまっていたのだと。そして叔父のひとりも同じことをやってしまい、今度は屋敷を取られたんだって。
父がしみじみと「連帯保証人にはなっちゃいかん」とよく言ったのはこれだったんだね。

道路はそこそこ広くなっていたが、福島の家あたりは昔とほとんど変わっていなかった。まだ幼い頃、夏休みに時々遊びに行った時のままで懐かしい。
取られてしまったという家も、屋敷や蔵や広い庭がそのまま残されていた。
細い道に向かい合って建つ伯父の家も昔のままだった。こちらは質素な平屋で畑のついた庭がある。

上がってからの記憶がちょっとあいまい。すぐにドライブに行ったかも。

伯母と娘、孫息子と吾妻山へ。現地近くまでmeが運転するが、ふと、ガソリンが少ないのに気づきあわててスタンドを探す。
かなり街なかまで戻り、やっと満タンにしてまた山の方に戻る。

猪苗代湖
磐梯山をのぞむ

山を見てふと、父が「宝の山だなあ」とつぶやく。歌のまんまだね。
朝寝朝酒朝湯もしないのにシンショウつぶした身内のことをふと、思ったのかも。
伯母さんや従姉と近隣の温泉の話になる。
温湯ぬるゆがいいんだよ~」と言っている。どんなふうにいいんですか? と尋ねたら
「ぬるいんだよ~」と。えっ、名前のまんまやんけ。個人的には少し熱い方が好きかも。冬だと出られなくなりそうだし。

亡くなった伯父と過ごした父の昔話も少し出る。この二人は性格的にもウマが合ったらしく、若い頃も一緒に行動することが多かったらしい。
磐梯山近辺で山歩き(そだ拾いなのか、猟なのか、キノコ採りなのかただ歩いていたのか不明)していた時には、ドラム缶で風呂を沸かして入ったこととか、山が高くて、雷が真横または足の下で鳴っていて、これがけっこう危険だったこととか。

吾妻山への道は岩が露出していて、所々硫黄臭い。

山頂近くまで車で行って、駐車場に車を停める。
そこからはすぐに火口まで歩いて上がれる。

おそるおそる近づく
火口の中

小学校の頃、親戚に連れて来てもらって以来だなあ。
火口の中にノブドウの藪があって、食べるととても美味しいのだが採ってはいけないのだよ、と叔父さんか誰かが言っていたっけ。
一粒だけもらった記憶が。小さくて黒くて、ちょっと発酵したような甘ずっばさだった。
今回はノブドウらしきものは特に見当たらず。

me、伯母、父、従姉
父と伯母の孫息子くん

多分一泊した、と思う。そこが記憶なし。

8月10日(土)

泊まったと思うので一応翌日。お墓参りに行ったり、近所の親せき宅を訪ねたり、多分。
あんがいと早い時間に父が「帰る」と言ったと予想されるので(せっかちなので)、車で出る。

帰りには、山のようにお土産をいただく。木箱に入った桃いくつか。
盆栽、苗木、野菜などなど。父の好きな「三五八漬け」もあった記憶が。

農林水産省のサイトより、三五八漬け

それから案外家族のみんなが持てあます「み豆腐」も藁で束ねられたものがあった、かと(今ならば食べまくるんだが)。

凍み豆腐、または凍り豆腐見本

可能な限り車に詰め込む。行商人か。

名残惜しく帰路につく。
だが、帰りも一筋縄ではいかない父(とme)。少し違う道を帰ってみようか、ということになり、一般道で静岡まで帰ること決まる。
南会津から南下、田島を経由してなぜか鬼怒川を下って川治、そこから西に向かい山に入って、以前meが夏に登った女夫渕まで行って、林道を南下して戦場ヶ原近くに出る、というルートを取ることになった。そう、以前、友人Mちゃんとふたり、通りすがりの鹿沼の住人さんに車で日光まで送ってもらった際に通った、あのすげー道。
「日光の北にすごい林道があったんだよ」と言うと、山道大好きな父が見逃すはずはなく。

いや、とんでもない道だった。おかげで桃がひと箱傷んでしまったし(帰ってすぐに主食なみに食べつくした)。

ここからのルートがうろ覚えなのだが(途中で運転を替わった記憶が少しある)、真夜中に山梨県の清里を通ったことは確か。
この辺で一泊して早朝に帰ろうよ~と訴えたが、とにかく「帰る」となったら他の頭が働かない父なので「清里ならもう静岡に近い」とそのまま車を走らせていた。真夜中にですよ、奥さん(誰に言ってるんだ)。

国道52号線を南下、静岡県(現清水市)興津まで一気に駆け下り、あとはバイパスで静岡まで帰る。
夜は明けてなかったと思うけど、自宅着はすでに翌日だったと思う……

特に帰りがとんでもなかったが、まあ、良い思い出となりました。
それにしても記憶が飛び飛びなのがこわい。記憶の欠片どもを林道に落としてきていたかも。

おしまい

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