1987年2~3月 初海外はドイツふたり旅 10(終)
【まとめ】ビーレフェルトの友人宅を去り、ケルンに寄ってからライン川情緒を堪能しつつ、最終目的地、フランクフルトへ。
一泊のちに、また、アエロフロートで帰ることに。
帰国するまで、不思議空間に取り囲まれたままだった、そして自分日本人だなあと再確認。
3月9日(月)
8:00前 目覚める。朝食をいただく。
9:30 ビーレフェルト駅にて、Aとお別れ。色々お世話になりました!
9:57 IC521 HerrenhausenにてKölnへ
Bielefeld→Hamm(Westf)→Dortmund→Essen→Wisburg→Dusseldorf→
Köln
切符は57+2.50DM。駅で切符を買ってから乗り換えられる汽車を確かめないと、別料金を取られることがあるらしい(その時は納得していたが2024現在ちょっと意味が不明)。
ケルンでは、せっかくなので大聖堂に登ろう!と入る。2.00DM。
全部で400?500段くらいあるらしい。とにかくつかれる。
螺旋階段部分は、果てしなく螺旋が見えている。
しかし、上からの景色は格別だった。ライン川とケルン市街が一望できる。
ゴシックの塔もすごい。
14:51 IC Patriziaにてケルンを出る。優雅にライン下り(列車で)。
山上にお城が見えるところも。このへんの街はたいそう古そう。周辺が古い城壁で囲われている場所も。
バッハラハBacharachを少し過ぎたあたり。山の上の塔。
ヴィースバーデンWiesbaden ここで列車はいったん止まってから前後逆に。
一路ドイツの最終目的地、Frankfurtへ。
フランクフルト着。インフォメーションにて駅から至近距離のHotel Kaiserhofを紹介してもらう。風呂朝食付きで106DM/2人。
地下のお店は夜8時頃までやってるらしい。
どこもかしこも表示が分かりやすい。
インド人、アラビア人、トルコ人らしき人びとも多い。イタリアンレストランやエスニック系料理の店も多い。
夕食は15.50DM+小銭。
お土産も色々買う。
家族に一泊用旅行バッグ45DM、ハサミなど。
ほかにも本や雑誌、こまごましたもの。
スーパーでワイン一本3DM、チョコ10DM、ハム0.99DM買ってホテルに帰る。
フロントのおじさんは電話しながらこちらを見て「あ、ちょっと待って、いまかわいい子たちが来たから、子どもみたいでさー」と言いながら私らに鍵を渡してくれた(と、ドイツ語のわかるKが言うに)。
ふたりでテレビ見ながらワインで乾杯。
ずっと旅先では硬水だから、と水道水を飲まなかったmeだが、つい誘惑に負けてここで初めて水道水を飲む。ふつうでした。
22:00には就寝。
3月10日(火)
7:00前に起床。二階に降りて朝ごはんをいただく。
パン、バター、チーズ、ジャムはもも、木いちご、イチゴ。wurstのペースト、ポットにコーヒー。丸パンは星型の割れ目の入ったヒトデパン(勝手に名前をつける)、ふすまビスケットは味がない、黒パンもあった。
早々とチェックアウトして、Sバーンにて空港に向かう。
空港の売店でとにかくお土産になりそうな小物を買う。
「JA」というフォーカスぽい雑誌0.50DMも買ってみる。他にもチョコ、シュタイフのぬいぐるみ49.50DM、ふつうのぬいぐるみ20DM、ワッペン18DMなどなど。
9:00過ぎ まず、アエロフロートの案内所で乗り方を聞いてから、次にルフトハンザの適当なカウンターでチェックインして荷物を預け、「To Tokyo」と告げる。
次にB-57という所を案内されたのでそこに行って手荷物チェック。
こんな丸い輪のついた棒でボディーチェック。
少し歩いて出口前のフロアで航空券を切ってもらい、少し待つとあらふしぎ、バスに乗って飛行機まで運ばれていった。
タラップを上がる前に、スーツケースの確認があった。
飛行機の席はフリーで左右(真ん中もあったかも)二列ずつだった。
アエロフロートは相変わらずくさい。小さな飛行機でまるで空飛ぶ観光バスって感じだった。
機内に収まってから外の写真を撮った時、近くのおじさんたち(多分ロシア人)がいっせいにこちらに振り向いてびっくり。みな、すぐに目をそらしたので、ただ音が珍しかったらしい。撮影禁止のようではなかったので安心する。
11:20 離陸。
だんだん気が付くが、私たち以外はほとんどロシア人らしく、途中でプラウダが配られるとみな、次々と受け取って読みふけっていた。
おじさんたちにはシートが狭いようだが、空席が多いのでみんな気ままに身体を伸ばしていた。
まず飲み物が出て、次に軽食らしきものがでる。
ウエハウスはホワイトチョコにフランクフルトの大聖堂の絵がついている。
バターも塩もコショウもドイツの物ばかりだった。
オレンジとバナナが配られる。ロシア人たちは迷わずバナナ一択。私らは張り合って?オレンジを選ぶ。オレンジと言っても緑色がかっている。種もあるが、思ったよりジューシーで甘い。そして香りがよい。
このあたりで時計を一時間進める。
14:45 ほとんどの人はぐーすか寝ている。
そしてモスクワ着。いったんタラップで降りる。時間が混乱したまま。
モスクワは晴れ渡り、そこまで寒くはない。
最初分からずに入国の所に並んでいたらしく、少ししたら若者の係官(もちろんハンサムボーイのひとり)が近づいてきた。
「どこに、いきますか?」とやっと覚えたらしい日本語で聞いてくれた。
「Tokyoです」
「Transitですか?」
「そうです」
「それは、あちらです」おー! すぱしーば。
トランジット受付に行く。
航空券をボーディングチケットに替えてもらい、手荷物検査。
待合室に入るとすでに日本人がほとんどで、団体はいないようだったが、すでに日本の空気が流れていた。
SU577は三列シートだった。ロシア語、英語、少しあやしげな日本語で放送が入る。
さて離陸。
まもなく、ご飯が出る。
それにしても眠れない!
3月11日(水)
9:00頃? ハバロフスク上空。
また軽食。
時計を進めてだと思うが9:00過ぎくらいにベルト着用サインが出る。
Kの隣に座っていた若い男性は少し前からトイレに行ったきり帰ってこない。どうも匂いで酔ったらしい。
9:40頃 成田着。
飛行機からは空港に直接チューブ式通路がのびていた。
空気はじっとりとして重い。雨が降っていたせいか、よけい重く感じる。
酔っていたらしい人は気づいたら飛行機から降りていた。
入国カードをなくしてしまったらしく困っていたら、パスポートチェックの所でちゃんと替わりをくれた。
手荷物待ちの場所。荷が届いた時に早春賦が流れ始めた。
そうそう、土産にと思って懐に隠し持ってたオレンジは、正直に言ったら検疫で取られてしまったよ。正直者め。
税関にて。
「向こうで何か高価なものを買いましたか?」
「いえ別に」
「中身はなんですか」
「土産のカバンとか本とか服とか」
「じゃあ、けっこうです」
と、スーツケースを開けられることもなく、あっさりと終わってしまった。
Kの列はもう少しいばりくさったヤローだったらしい。
両替を済ませ、ポカリスエットなど買ってバスを待つのに一時間ほど、ぼーっと座っている。
テレビから流れる演歌を聞いていたら、ああ帰ってきたんだなあ、とじわじわ実感がこみ上げてくる。買い物もごく普通にしているし。
自分、やっぱり根っから日本人だったなあ、と急に再確認。
その後のリムジンバスも、高速バスもすんなりと席が取れて、特に問題なく地元まで帰る。高速バスは最後尾でふたりしてぐーすか寝ている。
外の景色はどちからというと東ドイツに似た感じ。もっと土地の使い方がこまごまとしているかも。
18:00頃帰宅。
相変わらず雨、それでも少し暖かくなってきていた。
おしまい