1990年8月 研修の名のもとにソ連・モスクワと各地 03
【まとめ】授業お休み。ひとりモスクワを離れ郊外の日帰りバスツアーでヴラジーミルとスーズダリへ。牧歌的風景と、とてつもない眠気。
8月12日(日)
終日、小旅行。ツアーから離れ、ひとりホテルの窓口で申し込んだヴラジーミルとスーズダリ日帰りバスツアーに参加してみる。
7:00 ホテルを出てメトロに乗る。
7:30頃、Проспeкт Mалкса 着
朝日の中妖しく輝く赤い星はクレムリン。都心だなあ。
インツーリストホテル前から寄せ集めツアーのバスに乗り込む。バス内には日本人がいない(後からもうふたりいたのに気づく。名古屋近郊のご夫婦、二人旅なのだと)。たいがいがドイツ人かアメリカ人。後ろの席の人はニュージャージーから来た、と言っている。
10:30頃 покровポクロフ(ヴラジーミル州)に寄る。
民家はオシャレだが、団地は飾りっ気がない。
11:30頃 Владимирヴラジーミル着。
教会に入ってミサを聴く。
リードするのはうっとりするようなバリトン。そしてテノールが続け、みんなで後に続く。
何百年も歌い継がれてきたという感じで、とても素晴らしいミサだった。
右手で右左上下の順で十字を切り、頭を下げるのを三回。
若いむすめさんの信者もけっこう多い。もちろん、おばさまおばあさま方がだんぜん多い。
奥からイコンを出してきて、バリトンが何か節をつけて歌う。
するとみなが「あーみん」と唱和する。
すぱしーばなんとかー、という節も聴こえる。
ドミトリエフスキー聖堂(聖デミトリーと聞いた)も見る。
Золотые воротаゾロティエ・ヴォロタ ゴールデンゲートだって。
近くの原っぱで落ちていた赤い葉の写真を撮っていたら、アメリカ人らしきおじさんが寄ってきて「何撮ってるの?」と問うので「葉っぱ」と答えたら
「えっ、そんなの珍しいの? 日本人は写真が好きだねー、俺はここ(頭を指さし)でパチリ、と撮ってここ(胸を指し)に取っておくのさ」
なんてキザな科白を吐いていた。
またバス移動。平原が続く。
14:00頃 スーズダリ着。
まずお昼ごはん。大きなホテル?レストラン。
魚と香草のマリネ、スープはけっこういける。パンは普通。
主菜の肉の焼いたやつが、カンサス在住のT氏いわく
「カタコンベから拾ってきた馬だよこれは、ハハハハ」
そう言いながらもバクバク食ってる。
そっと裏返すと、なんだか黄色い脂肪なのか菌のコロニーなのか塊がみえた。そこを巧みに避けて小さく一切れ切り取り(硬かった)、おそるおそる口に運ぶ。
つーんとアンモニア臭がして、泣く泣く諦めた。
その後のリンゴジュースとアイスの美味しかったこと。
お茶は紅茶だと思うが、少しウーロン茶的な風味。
食卓で近くの席の人たちと話す。
カンサスのTご夫妻は9月3日には日本上空を通るから、必ず手を振ってね、と言う。
同じツアーで唯一自分の他に参加していた日本人のご夫婦とも何かと話をする。愛知から個人旅行で来ているのだと。
スーズダリではまず、クレムリンを見る。藍色に金の星模様の屋根に見とれる。ラブリー以外の何物でもない。
中に入ると聖者の四段重ねが見られる。
美術館で、なぜか急にものすごい眠気に襲われ、ツアーメンバーが中に入ってわいわいと見て歩く間、入り口近くの椅子でしばらくウトウトまどろむ。
気づいたらツアーとはぐれていた。
あわてて外に出ると数人の塊の中に、目印にしていた黒ひげさん(仮名)を見つけ、ほっとする。
このあたりには可愛い花が一杯咲いていて、つい花の写真ばかり撮ってしまった。日本人ご夫婦から、高山植物に似ていますね、と教えていただいた。
18:00頃 バスにて帰途につく。
帰りのバス内ではほとんど寝ていたが、途中で急にバスが進まなくなり車内騒然としたので起きる。ソ連で初めて見た交通渋滞だった。前の車の人たちも車から降りて、「Что?しとー?(何?)」と口々に言いあっている。しばらく行った先の交差点近くで、トラックが並木にぶち当たって、前のあたりがつぶれていた。
21:40頃 出発したインツーリストホテル前に着。さすがに暗くなっていた。
地下鉄にてチンタラとホテルまで帰る。
(2024注:最近のこの近辺の寺院写真で名前を再確認しようとしたのですが、かなり修復されているようで、当時の面影があまりありませんでした。名称不明な場所が多くてすみません。ぼーっと見て歩いていたのもあるけど)
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