1989年4~5月 初ソビエト連邦モスクワ・レニングラード 9(終)
5月5日
朝食の後、団体でウスペンスキー寺院、クレムリンへ。
クレムリンは武器庫、寺院など見物する。
見学後はそろってレストランへ。
みかけた小店ではペプシ1杯25Кだった。
「ドルとチェンジしよか」
という兄ちゃんがいたが、No Dollar と言うとあっさり諦めて
去っていった。
レストランの給仕さんもそうだったし、街の人も多かったが
物売り精神旺盛。そしてあきらめも早い。
昼食は豪華に。ブルガリアのワイン、他にもシャンパンやウォッカ。
キャビアは、列車の中で買ったものとパッケージは同じだが、
『ИКРА』ではなく海外客向けに『CABIER』と書いてあった。
一路空港へ。
18時か19時頃、イリューシン86でハバロフスクへ。
乗り合わせたのはほとんど日本人団体。
滑走路が短いのか、飛行機は最初にうんとふかしておいて、
ギリギリまで走って『よーいしょぉぉぉっ』と飛び上がった。
ソ連のパイロットって、やっぱりすごい。
そのまま静かに極東、と思ってうつらうつらしていたところ、夜中の11時半ころ、突然エンジン音が大きくなり、アナウンスが入る。
同時に、それぞれのツアー添乗員が一斉に前方に走って行く。
何ごとかとみな起き上がり、様子をうかがっている。
突然途中で着陸すると。給油のためらしい。
何だか分からないうちに着陸する。
最初は飛行機の中で待つように言われていたが、照明も消えているし
寒くなってくる。
添乗員とクルーとがごちゃごちゃ話し合っていたが、やがて
「まとまって外に出ます」とのこと。
暗い空港の建物には『КРАСНОЯРСК』と文字が乗っていた。
クラスノヤルスク。
普通観光では寄らない場所らしく、警備もものものしい。
バイカル湖のやや西らしい。
暗がりの建物に入り、かなり待たされてから赤いカーペット敷きの
部屋に入れてもらい、そのまま床に座って待つ。寒くはなかったが、いつまで待たされるのか分からないので、文句言ってる人もちらほらいた。
だいぶ経ってから、また飛行機に乗って今度こそハバロフスクへ。
5:10頃 ハバロフスク着。イリューシンらしい機体に、ハングルの
並ぶ北朝鮮機もみかける。
日本時間14時過ぎ。佐渡島が見える、真中が千切れそう。
建物が低く見える。
15:00頃 新潟着。
ツアーメンバー数人と、うどんを食し上野まで一緒に帰る。
ソ連の話題でメチャクチャ盛り上がる。
19:30頃 友人Sと柏市の知人宅に着。
山盛りの茹でたモクズガニをいただく。
ふだん食べないものなのに、とてもとてもおいしい。
おしまい
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