1992年8月 真夏の休日を佐倉にて
【まとめ】東京在住時、友人Nと日帰りで佐倉市の川村記念美術館と国立歴史民俗博物館を訪ねた記録。写真がほとんどなーい!
レンブラント最終日の混雑にもまれ、マムシ臭の丘を登り歴史の学びへと。
8月2日(日) 曇り
多分京成各停にて東京のどこかの駅から出発。
初めての場所で何かと物珍しい。印旛沼の近く、電車の窓からのどかなヨオロッパ風とも言える湖沼風景がみえた。
10:10頃 佐倉駅着。駅前はひなびた感じ。
(↑こちらに、京成線佐倉駅の昭和中期と現在の写真があります。1992年当時はほぼ、現在のものに近かった、ような気がします……)
川村記念美術館の送迎バスがあるので乗る。京成→JR駅と寄って、美術館まで10キロくらいか?
曇っているせいか、涼しいくらい。
美術館は緑に囲まれ、蝉の声が響き、他は静かに落ち着いている。それでも何となく人工的な自然造作を感じて、そこがしっくりきていない。もう少し年月が経てばもっと周りになじむのかも知れない。
建物もまだ新しい。そして、人が多い!
(※ 美術館オープンは1990年5月と。まだ2年しか経ってなかったので、新しくて当然だな、と今更思った)
レンブラントとその周辺展の最終日なので、よけい。
いつもあるロスコ・ルームも会期中は場所が変更になっているらしい。
ロスコは赤いのが多く、枠が目立って目がちょっと痛い。もっと空いていれば感じ方も違うのかも。そうだ今度は平日に来ようっと。
フランク・ステラは毒々しいのが多い。サム・フランシスもあった。
シャガールの大作が良い。ダビデの夢、紫が美しい。
あとは混んでいたのでよく覚えていない。
レンブラントと言えば、(自分含め)人だらけで静謐どころの騒ぎではない。
ただ、夫婦の肖像はじんときた。
再びバスで駅に帰り、次はNお勧めの歴史民俗博物館。国立なんだって。
はじめは昼ご飯を食べようと駅近くでレストランを探していたのだが、まあ、博物館内に何かあるだろう、と博物館に向かうことに。
とりあえず駅から車道沿いにてくてく歩き、やがて斜めに細道へと入る。
この辺りはカンナが多い。黄と赤、大正時代の洋画家が好みそうな風景が続く。古いつくりの写真館があって、ますます大正浪漫だあ。街灯も。
どのタイミングで見かけたか記憶にないが、こんなレトロな写真館も見た。
(2024年現在は同じ苗字で別業種のお店をされているようです。)
前方、うっそうとした森の中に厳めしい建物が!
薔薇の名前の文書館か?いや、こちらは四角い、多分あれが博物館だろう、と丘の小道を上っていく。
だが突如、前を歩いていたおじさんが歩道を大きく避けて、振り向いてこちらに
「その辺にマムシがいる、マムシくさい」と言うでは。
マタギか、この人は? と思いつつもお礼を言って気をつけて進む。
博物館内にはちゃんと食堂があって、ふたりしてハンバーグを食べる。
お腹も満ちたので、中をみる。入場は400円(1992年当時)。
石器、縄文、弥生各時代あたりはつぶさに見て歩く。甕棺墓のレプリカがあった。王様用で、けっこう大きい。丸まらなくても入りそう。
友人Nは、自分が埋葬される時は甕棺墓がいい!と主張している。墓地管理者は困るだろうな。
博物館でのマイベスト5
1. 江戸時代の京都の街並。一軒一軒、凝りに凝っている。茶っぱ、杉玉、民家裏庭の畑にはキュウリやナスまで。ナスなんて長さ数ミリのものがたわわに実っている。ボタンを押すと、家並みが一列地面に入り込んで、向かいの街並が見られるのもすごい。
警備のおじさんなのだが、妙にガイドに長けた人がいて、「うだつ」って何か知ってる? とレクチャーしてくれた。学んだよー!
2. 絵馬。昭和初~中期くらい。画一的ではなく、決められたパターンでありながら実に豊富な絵柄が庶民的で良い。乳飛ばし女が秀逸。
3. 弥生人と縄文人との骨格比較。先住の縄文人は丸顔、額が隆起して眼窩が上がり目気味だが弥生人は面長、のっぺり、下がり目気味。他よりの移住らしいということ。元々は大陸の騎馬民族では、と。
4. 石器時代の人骨。歯がすり減っているのは、皮を噛んでなめしていたから、と。抜歯は風習で、腰に矢じりが刺さったものは、争いか事故か不明、と(司法解剖もなかっただろうし)。あと、VTRで黒曜石から矢じりを作る様子も面白かった。サヌカイトから石器を作る映像もあった。
5. 羅生門模型。特に何という事はないのだが、門の向こう側をのぞいてみると、都の大通りが見えるのがリアル。覗いているうちにふっと中に入れそうな気がしてくる。
他にすごかったのが覗きからくり。地獄極楽のやつを覗いたら、タンタンタンタンというリズムに乗せたうたいが脳を麻痺させる。昔のビデオドラッグ?
閉館の16:30までたっぷり楽しんで出る。
土産にピーナツ甘納豆を買って、帰宅。
(おしまい)