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創作大賞ファンタジー小説部門「ファイヤー!ファイヤー」《2》

聖火の女神・20代・田中燈さんの孫

 

実家の2階の部屋のベットに腰掛けて、ポテトチップスで汚れた手を口に入れて湿った指をよれよれの部屋着のTシャツの端で拭き、中島香菜はテーブルに置かれたA4の白い封筒を取る。

今日は休みだからスッピンで、少しぽってりした白い肌は幼い印象で、それとは対照的なサーモンピンクに先端にアクセントに入れてある透明のライインストーンのネイルだけが大人の女性の印象で、ちょっとちぐはぐな印象だと思う。

中島香菜様と達筆な墨文字で書かれた和紙の封筒を裏返すと差出人は「東京アカデミー財団東宮絵美館・館長安井慎二」と数日前、香菜宛に自宅に電話をしてきた人物だった。

電話では見ず知らずの安井に警戒して、美術館への来館をとの安井の要請を時間が取れないと断った。安井は手紙にて来館の趣旨を知らせるといっていた。手紙が入っていたA4版の封筒には、クリアファイルにまとめられた資料が同封されている。

手紙には、

『中島香菜様。過日は突然のご連絡で、さぞ驚かれたと思います。私が館長を務めています美術館の資料を同封させて頂きますので、是非ご覧ください』

香菜は資料の中から、三つ折りにされた美術館の資料を見ると表紙には、重厚な石造りの建物で創設は大正15年で日本最古の美術館とある。次のページには、笑顔をつくりダンディで少し恰好をつけている印象の安井の写真が掲載されている。
この資料を見て香菜は安井への懐疑心は幾分払拭されて、手紙を読み進める。

『お電話でも少しお話をさせて頂きましたが、この度中島様にお願いがありまして、その趣旨をご説明させて頂きます。

1964年10月10日は前日の大雨から一転して雲ひとつない晴天のもと、アジア初となるオリンピックが、ここから歩いてすぐに行ける国立競技場で行われたました。

そのオリンピックの式典のシンボルとなる聖火の炎は、2カ月前にギリシャから採火され、アジアの国々を回り、沖縄、鹿児島、宮崎、千歳と巡り、東京へと戻ってきました。その灯された聖火の炎の前で、結婚式を挙げた一組のカップルがいました。そのカップルは、香菜様の祖父母様なのです。

その詳細は別紙の資料をご覧ください。ここに書かれていることは、真実のお話です。
その直系のお孫様である香菜様にお願いしたいことがございます。
その内容はご来館頂きました時にお話をさせて頂きたいと思います。どうぞご理解を頂き、お会いできる日を楽しみにしています。

〇月吉日、絵美館館長・安井慎二』

香菜は安井から送られてきた数枚にわたる資料を読みはじめる。

 


     1964年10月10日 東京

 

どこまでも青くどこまでも高い空を見上げると、航空自衛隊のブルーインパレスの編隊がくっきりと五つの輪を描き出す。国立競技場には参加国94か国の世界各国の万国旗がなびいている。世界中が注目するアジアでの開催は、初となる平和とスポーツの祭典が東京で幕をあける。
72万人の観衆が見守る中で各国選手が元気に入場してくる。

観客席で小豆色のブレザーに胸元に五輪のワッペンをつけたお揃いの洋服を着た、田中燈は隣に座る鈴木敦を見つめる。
敦も燈を見つめ、そっと二人は手を強く握り合う。
燈はこの日を迎えられたことを感慨深く振り返る。

午前7時45分5両目から押し出されるように、どっと降りてくる乗客に混じって鈴木が降りてくる。

ホームの丁度の所に燈が働くキオスクはある。

一番忙しいこの時間は、燈の母親くらいの歳のベテランのやよいさんと一緒に、燈も次々とやってくる乗客をテキパキとさばいていく。
鈴木が店先のアンパンを手に取り、3人先の客を黙って見送る。
やっと鈴木の順番がきた時に、冷えた牛乳が出される。
鈴木が思わず燈を見ると、にっこりとほほ笑むみ「牛乳でいいんですよね。120円です」
鈴木は面食らい、恥ずかしそうに120円を置く。「今日も頑張ってくださいね」とほほ笑みながら、次の客に対応する燈。
燈は次々に来る客をさばきながら、時折視線を鈴木に向ける。
鈴木は少し離れたベンチに座って、アンパンをかじり牛乳を飲みながら、文庫本を読んでいる。
鈴木がベンチに座っているのはほんの5分間だが、ほとんど毎日決まった時間に、同じ物を買っていく自分とほぼ同じ歳くらいの鈴木を燈は、意識し始めて半年が過ぎた。
鈴木を意識し始めたのは「あんぱんのお兄ちゃん。あれ、燈ちゃんに気があるね」繁忙時間が過ぎて少し余裕ができ、次の店に行くのに支度をしながらやよいさんが燈を見る。
「あんぱんのお兄さんって」足りない品物を追加しながら燈も、チラッとやよいさんを見る。
「いつも7時45分頃にあんぱんと牛乳を買って、あそこのベンチで座って食べるでしょう。あの子さ、どんなに混んでいても、絶体に燈ちゃんの所に並んで買うもんね。そりゃあさ、お母様さん世代の私と同世代の燈ちゃんなら、燈ちゃんがいいに決まっているけどさ」
と悔しそうにやよいさんはカバンを肩にかけて店から出て
「じゃあ、また明日ね」と行ってしまう。
やよいさんに言われてから、燈は7時45分に訪れる鈴木を意識するようになる。
燈は九州の佐賀県で生れて5人兄妹の長女で、12歳の時に父親が他界する。その時には下に幼い兄妹が4人いたので、燈は中学を卒業して集団就職で東京に出てきて、国鉄のキオスクに就職した。この駅に配属になり8年になる。
住まいは会社の用意してくれた寮のような安いアパートなので、お給料の半分は、実家に仕送りをしている。農家をしながら、一人で弟と妹を養う母を少しでも助けたいと思い、普段は慎ましい生活をしていた。
同期の同僚や後輩たちがどんどん結婚して退職していく中で、燈はすっかり行き遅れたベテランになってしまった。
過去に2人の駅員の男性に食事に誘われて数回、デートらしいものはしたが、そのあとは続かなかった。
お節介なやよいさんや、上司が設定してくれたお見合いも経験したが、どれも上手くいかなかった。
週に一回のお休みも、誰かと過ごすわけでもなく、普段のたまっていた家事をこなし、たまにデパートでショッピングしたり、一人で映画を観たりして過ごしていた。
日々の生活が同じことの繰り返しで、自分はこのままここで、一人でただ働いて生きていくだけのだろうかと漠然とした不安を抱えていた。
やよいさんが指摘するように、鈴木は決まって同じ時間に必ず燈の前に並び、あんぱんと牛乳を買ってベンチで食べて行く。
最近燈も電車が到着する頃を見計らって、あんぱんと牛乳を用意しておく。お昼の一番お店が暇になる時間に、イスに座ってぼんやりしていると、焼きそばぱんを差し出す客を見ると鈴木だった。
燈は驚き思わず「どうしたんですか?!」
鈴木も照れて「この時間だったら、一番暇かと思って」
鈴木は燈に今度の休みに一緒に出かけないかと誘う。
そうして、鈴木との交際が始まった。
鈴木は新潟から高校を卒業してから、知人のつてで中堅の建設会社の経理課に就職した。
歳は燈の2つ下だった。
お互い東京に住んでいても、ほとんど東京を知らないとわかり、休みの度に、観光名所と言われる場所を訪れた。
初めて一緒に行ったのは、上野にある動物園。
鈴木が好きだというヒグマを見たり、大きな象が鼻で水を放水して、危うくかかりそうになったりした。
ベンチに座って休んでいたら、鈴木が2つのソフトクリームを買ってきてくれる。
「俺これ好きなんだよね」と美味しそうに白い渦巻のソフトクリームを笑顔で頬張る鈴木。
鈴木がけっこう甘党だと知った。
その次のお休みの日は、東京タワーに行った。
屋上まで上がるのに何個かエレベーターを乗り継ぎ、最上階まで登ってガラス窓から外を眺めるとちょっと背中がぞくっとする。
隣を見ると鈴木がいない。
鈴木は遠く離れた、土産物屋で何かを物色している。
鈴木は高い所が苦手らしく、もう胸がゾワゾワすると気分が悪そうで、燈はもっといたかったが、早々に地上に降りた。
その次の週は浅草。
また次の週は、銀座、日本橋と一緒に巡る。
鈴木との交際が半年を過ぎた秋頃、黄色い葉っぱがトンネルのように整列する銀杏並木を並んで歩くと、鈴木の会社が来年ここで行われるアジア初のオリンピックのスタジアムの建築に携わっていると教えてくれる。
そのオリンピックの日は、私の誕生日だ。
鈴木からプロポーズをされた時に、自分の誕生日がアジアで初めて行われるオリンピックの開会式日と同日なので、この日に会場で結婚式を挙げたいと伝える。
といっても何かオリンピック委員会に許可を取るわけでもないので、とにかく、2人分の入場券を取得しようと、それからお互いの親戚、会社関係や、知人に総当たりしたが、結局取得できなかった。
諦めていたところ、鈴木の会社が東京オリンピック関係の施設の工事に携わっていたので、2枚だけ入手することができた。
鈴木と一緒に燈が、結婚式の数カ月前に結婚の報告を兼ねて佐賀県の実家に帰った時に、中学の同級生が体育の教師をしていた中田が、東京オリンピックの聖火リレーの使節団の中心的な活動をしていると教えてもらう。
ここで燈は、オリンピックでの聖火の存在をはじめて知る。
鈴木は東京に戻り、図書館で聖火について調べると、この聖火の前で結婚の誓いをしたいと思い、恩師である中田に手紙を書いて送る。
しばらくして中田から開会式が全て終了した後なら、自分も一緒に聖火の前での結婚の誓に立ち会えるとの返事がきた。

そうして迎えた東京オリンピックの開会式。
会場を埋め尽くした人々と世界各国の選手団に迎えられて、聖火のトーチを掲げた白いランニグと短パン姿の最終ランナーの青年が、競技場の中央に配置された巨大な聖火台にゆっくりと引火する。
大歓声に応えるように、高くのびやかに勢いよく燃え上がる聖火。
午前10時から入場して、大感動のオリンピックの開会式が終了したのは、午後5時近くだが、興奮冷めやらずで退場する人々を見送り、燈と鈴木は、いよいよ二人だけの結婚式を行うために、中田と待ち合わせをした役員の事務所へと向かう。
さらにかなり待たされて、やっと人が空いて来た時に、16年ぶりに再会した中田は、燈はすぐにわかったが、中学生だった燈の面影がないようで全く分からない様子だった。
中田と一緒に、燈と鈴木は聖火台へと向かう。
聖火台にたどりついた時には、もう辺りが暗くなっていた。
中田はニコココして「この度はおめでとうございます。本日参加された7万2千人の参加者の中でもここで結婚式を挙げるのは、他にはいませんからね」巨大な聖火を見上げると勢いよく炎が燃え上がる。
「私は、8月21日にギリシャに行き聖火を採火してきて、聖火とアジアの国々を11カ国巡り、日本も数か所を回りました。その行程でいろんなエピソードが生れました。今日から15日間、この平和の祭典の成功を見守ってくれる、この聖火には不思議な力があるんですよ」
といい中田は、いくつかの聖火のエピソードを話してくれる。
「私がギリシャでこの聖火を採火した時に、その儀式に立ち会った巫女役の女優さんが『この聖火には、不思議な力が宿っています。聖火を守る人に、その人が心の底から望むことを叶えてくるのです。ただしその望みが結果、人を幸せにすることであることにかぎります』と教えてくれました。なのでお二人も聖火の前で誓ってください」
辺りの暗闇に聖火の炎が煌き、燈と鈴木が向かい合い、片手は手をしっかり握り合い、そして反対のお手を真っすぐに、聖火に向けて伸ばして声を揃えて『私達は生涯お互いを守り支え合い、幸せな家庭を築いて参ります』と聖火に向かって誓い合う。
心地良い風になびいて、さらに聖火が勢いよく燃え上がる。

 
      新しい5人の聖火の女神たち

 美術館の地下室の奥に置かれた聖火の炎のガラスケースには黒い布がかけられている。
少し離れた所の丸いテーブルを囲んで友永マリナ、中島香菜、高島梨花、堀口安恵、細田智子、が緊張した様子で座っていて、
一人ずつに3段のケーキスタンドが置かれている。
上段に3種類のミニケーキ、中段にスコーン、下段にフィンガーサイズのサンドウッチが乗せられている。
安井が置かれたティーカップに銀色のポットに入った熱い紅茶を注いでいくと、ダージリンのフローラルで蜜のような甘い香りが漂う。
安井が全員に紅茶を注ぎ終わり、ポットをワゴンに戻し、テーブルの前に立ちにこやかに「今日は皆様ようこそおいでくださいました。私は若い頃していた仕事で、イギリスに3年ほど赴任していまして、その時に美味しい紅茶の淹れ方を教わりました。本日ご用意した紅茶はストレートでも、ミルクティーにしてもいい、ダージリンをご用意しました。お菓子やサンドウッチもご用意しましたので、どうぞお召し上がりください」
安井に促されて遠慮がちに、それぞれが紅茶やお菓子をつまみはじめる。
安井はその様子をしばらく笑顔を絶やさず見つめていたが、用意していた青い布カバーの本を取り出し「今ここにいらっしゃる皆さんは、この本に書かれている5人の聖火の女神の方々の直系のお孫さんたちです」
5人それぞれが、お互いをなんとなく見合う。
「5人の方はそれぞれに今日ここにお集まりになるにあたり、1964年の東京オリンピックの聖火を護った女性、つまりそれぞれのおばあ様のご活躍を(「誓願の炎」の本を見せながら)知って頂いていることと思います」
5人の女性がなんとなくうなずき安井に注目する。
安井が「誓願の炎」の本を全員に見せながら「この本には、1964年に行われた東京オリンピックの時に使われた聖火の炎を守り、或いは聖火の前で誓願した5人の女性のご活躍が書かれています。そして、57年の時を経て、もうすぐ2回目の東京オリンピックが行われます」
全員が安井が掲げた本をじっとみつめる。
「この本に書かれているのは、5人の女性の聖火との出会いと誓願された所まで書かれています。その後誓願されたことが、どのように結果としてその女性の人生を変えたか。つまり聖火に誓った通りに、それぞれの望を叶えたかをご紹介します」
安井はゆっくりと場内を見回して「最初にご紹介するのは、この聖火をギリシャから日本に運ぶ使節団の通訳をされた伊藤陽子さん。伊藤さんは聖火に絵本作家になって、世界中の子どもたちに夢を届けると誓いました。皆様も御存じの“パープル忍者ケイティちゃん”シリーズをはじめ世界中で読まれる絵本作家になられました」と絵本を見せる。
場内がどよめく。
安井が梨花を見て「そのお孫さんが、こちらの高島梨花さんです」
梨花が立ち上がり、軽く会釈をする。
「フィリピンで聖火の危機を救ったスカーレット・サントスさんは、日本人のお父さんに会いたいという望と歌手になりたい夢がありました。大変な経済苦の中から、カラオケ店を経営して、2曲の曲を出してプロの歌手にもなりました。日本にいるお父様との再会を果たされました。今でもお元気で、フィリピンで生活されています。そのお孫さんがこちらの友永マリナさんです」とマリナに視線を投げる安井。
マリナも立ち上がり、ちょこんと首をかしげる。
「香港では台風で飛行機が飛ばない時に、飛行機を手配をして聖火を無事に送り届けてくれた、田丸紅子さん。田丸さんは日本に帰国してから、日本語学校を経営されて、特にアジアからの若い方のために日本での生活をサポートされました。そのお孫さんが、堀口安恵さんです」と安恵を見る安井。
安恵は緊張した面持ちで立ち上がり会釈をする。
「大戦が終わっても、日本がまだアメリカの統治下だった時に、沖縄の地で聖火の尊厳を護った宮里カマドさん。カマドさんの望みは、生後すぐにアメリカに帰国したご長男と再会することと、沖縄や日本、世界が平和になることでした。沖縄は今では、世界中から観光客が訪れる憧れの楽園となり、私達も平和に生活しています。そのお孫さんが細田智子さんです」と智子に視線を送る。
智子は立ち上がり「細田智子です。どうぞよろしくお願い致します」と深く頭を下げる。
智子が席に座るのを見届けて安井が「最後にご紹介します方は、1964年10月10日の東京オリンピックの開会式の日に、聖火の前で結婚の誓をされたカップルがいらっしゃいました」
全員が驚いたように安井を見て。
「田中燈さんと鈴木敦さんです。そのお二人は聖火の炎の前で幸せなご家庭を築くことを誓われて、5人のお子様と15人のお孫さんが誕生しました。お二人とも昨年お亡くなりになったと聞いています」と香菜を見る安井。「そのうちのお一人のお孫さんが、中島香菜さんです」
香菜が立ち上がり、ぎこちなく会釈する。
静まりかえった室内に安井の声が響く
「この本の最後にはこのように書かれています。“未来永遠にこの炎を燃やし続けて頂けることを願いここに真実を書き残します”そして、もしもこの聖火の炎が消えるようなことがあれば、ここに書かれた5人の女神の直接の血縁者の、悩みや望みを薪として、聖火に捧げて頂きたい。聖火の炎はその女神たちの悩みや望みを燃やして復活し、その結果女神たちの悩みは解決され、望みは成就するでしょう”とあります」
安井が黒い布がかけらた聖火の所に行き、一気に布を取るとガラスケースの中に今にも消えそうな小さい炎がたよりなく揺らめいている。
智子が椅子から立ち上がり「もしかして、その炎が57年前の聖火の炎なんですか」
安井が真顔になり「はい、そうです。57年前にギリシャから採火されて、11カ国のアジアの国々を回って、東京でのオリンピックの大会を大成功に導いた聖火の炎です」
マリアがあ立ち上がってガラスケースに近づくと、他の4人の女性も次々に立ち上がり、聖火の炎のを取り囲むようにする。
しばらく5人の女性は、黙って聖火の炎を見つめる。
「この聖火の炎がこうやってここに保管されているのは、ごく一部の限られた者しか知りません」と神妙に安井が炎を見つめる。
智子が安井に「確か57年前に使われてた聖火の炎は、鹿児島で保管されていて、でも2回目のオリンピックが東京に決定した2013年に消えてしまったんですよね」
安井が智子に向き直り「その通りです。この聖火から分火したものが鹿児島で保管されていましたが、残念ながら消えてしまいました。ここにあるのは、57年前の本物の聖火です。この炎はまだ消えていません」
心配そうに安恵が「でもこの聖火、今にも消えちゃいそうじゃないですか」安井が真顔になり「なので今日こうして、皆様にお集り頂いたんです。どうぞ皆様お席にお戻りください」
安井に促されて5人の女性がそれぞれの席に座り直し、それを見届けて「私はこの聖火が今後消えそうな時には、5人の聖火の女神が再び聖火を復活させてくれると、父から教えらました。しかしそれには3つの条件があります。①初代の聖火の女神の直系であること(娘、孫、ひ孫であること)②初代の聖火の女神が活躍した年代と同じ年代であること(10代、20代、30代、40代、50代)③開催地に在住していること。今回は東京在住であることです。その条件にあう5人の女性が、この消えかかった炎を救い、聖火の女神として『平和の祭典を明るく照らしてくれる』と。その条件通りの5人の皆様に今日、ここにこうして、お集り頂いた次第です」
それぞれが、なんとなくお互いを見合う。
「この本に書かれている通り、聖火を復活させる方法は、5人の女神たちの悩みや望みを炎に薪として使うとあります。これより皆様お一人づつ、今、心に溜めている悩みを吐露して頂き、今後叶えたい、夢や望を語って頂きたいと思います」
5人の女性たちは、えっ、と不安そうな表情になる。
安井はその反応を受けて「そういいましても、今初めてお会いしたばかりですから、悩みを告白とは、いいにくいにくいかと思いますので、まずは私が今抱えている悩みをお話します」

 

        安井慎二の悩み

 朝5時に起床して歩いて10分ほどの所にある、職場の美術館のある、神宮の森を散歩する。
立ち並ぶ高層ビルを背景に、146本のイチョウ並木は11月に見ごろを迎える黄金の並木道が世界的に有名である。
きれいに整備され選定された大木をめがけて、珍しい野鳥も生息している。
生れ育った実家である今の自宅が、この森からすぐの所にあったので、子供の頃からの遊び場で、私が一番心が安らぐ好きな場所だ。
その森を1時間近くかけて散歩をし、自宅に戻る。
自宅は大通りから少し入り、閑静な住宅街にある80坪の敷地に祖父が建てた日本家屋を父がモダンな家屋に建て替えたが、20坪ほどの庭は、私がイギリス赴任から戻った頃から少しずつイギリス式の庭に変えてきた。今では季節の花々や、ブルーベーリー、イチゴ、ハーブ、プチトマトやクレソン、キュウリなどのちょっとした家庭菜園もしている。今の季節は色とりどりのバラが咲き、華やかな庭になっている。
散策に訪れた人々が、よく我が家の庭の写真を撮ったり、ガーデン特集などで数回雑誌などにも紹介された。
2人の娘も自分のインスタグラムに投稿して、友人を招いては庭でお茶を楽しんでいる。
長女の葵は昨年に結婚して、歩いて30分ほどの場所に独立し、次女の麗も結婚式を1ヵ月後に控えていた。
スコーンをオーブンで焼き上げ、昨晩から冷蔵庫で冷やした濃厚なクロテッドクリームを冷蔵庫から取り出し、スコーンに添える。ベーコンとスクランブルエッグ、レタスと庭で採れたクレソンとプチトマトを添えたサラダを作る。普段はここまで支度すると妻の恵が起きてくるのだが。
私達は10年程前から別々の寝室で寝ているので、妻の寝室に行き部屋をノックしても返事がないので、ドアを開けてみるとベットはきれいに整えられたままで恵の姿はない。
ダイニングに戻ると、部屋着に着替えた葵が「おはよう、ママは?」とレンジで温めた白湯を飲む。
「部屋を覗いたが、いないんだよな」
「え~、そうなの?もしかして、昨日帰ってないとか?」
ポットにアッサムの茶葉を入れてむらし、ミルクピッチャーにいれておいた牛乳を温めたカップに注いだ紅茶にクリーミーブラウンの美しい色になるまで牛乳を入れる。
スマホをいじっていた葵が「ママからラインで『昨日、バイオリンの発表会の練習で遅くなり、お仲間のお宅に泊めてもらったの。一緒に練習するから、夕方に帰ります』だってさ」
「そうか。では、食べよう」
安井と葵で朝食を食べ始める
「ママもさこうしてパパに毎日、美味しい朝食と紅茶を入れてもらって、ホント幸せだよね。ママ最近よく外泊するよね。ママって、私達が子供の頃からよく友達と海外や国内の旅行に行ってたよね」
葵はミルクティを飲み「私もパパみたいな人と結婚したかったな~」
安井はまんざらでもなく微笑む。
「ママとパパさ。私がお嫁に行ったら、この広いうちに2人でしょう。パパはあと1年で美術館も定年だし、2人きりでどうするの。まさか熟年離婚なんてないよね」と葵がからかうようにいう。
「そうだな。定年になったらこのうちを改装して、紅茶とお菓子を出すティーサロンをやろうかと思っているんだ」
「え~賛成!いいね。だってパパの淹れる紅茶も、このスコーンとクロテッドクリームも最高だもん。私もインスタグラムや友達に宣伝するね」
「ママには相談してないから、内緒にしていてくれよな」
「私とパパの秘密ね」
葵の結婚式を一週間後に控えた週末に、麗も遊びにきて恵の寝室で女子だけで、恵の所有している着物を選別している。
お茶を淹れたといいに部屋の前まで行くと、賑やかな話声が聞こえてくる。「その錦織、私欲しい!」と興奮した葵の声。
「じゃあ、私はこの紫の総絞りがいい」と麗の声。
恵の実家は、老舗の呉服屋で結婚した時に桐のタンス二棹に入った着物を持参した。
その恵の着物を二人の娘が、ねだっているようだ。
廊下で声をかけようかと思うが、なんとなくそのままそこで3人の女子達の話を聞いてしまう。
「どうぞ。もう全部好きな着物持って行っていいわよ。ママはもういらないから」と恵の声
「え~。いらないの~。やだママったら、まだ断捨離には早いでしょう」と葵の声。
「私さママに聞いてみたかったんだけど、もしも生れ変わっても、またパパと一緒に夫婦になりたい」と麗の声。
思わずドアに近づき聞き耳をたてると、少しの沈黙のあとに恵の「私はもう、いいわ。もしも次の人生があるのなら、違う人と結婚するわ」
「そうなの?私はパパだったら、また同じ人と結婚するな」と葵の恵を責めるような声がする。
「パパは本当に素晴らしい人よ。私にはもったいないくらいな人。だから私じゃない人と結婚した方が幸せなのよ」と恵の声。
そこで静かに、私は部屋から離れた。

葵の結婚式が終わり、1ヵ月が過ぎた。
恵に来年美術館を定年退職したら、この家を改装して、紅茶とケーキを提供するティーサロンを開きたいと相談するつもりだった。
リビングのテーブルに恵が好きな、キームンの紅茶をカップに注ぐと、蘭の花のような高貴な甘い香りが漂う。
恵は少し淹れられた紅茶を見つめていたが、思いきったように顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめて「離婚して欲しいの」そういってリビングのテーブルに離婚届けを広げる。
すでに自分の名前には署名をして印鑑も押してある。
「財産も何もいりません。だからお願いします」と頭を深く下げる恵に、何と答えていいか、言葉が出てこなかった。
青天の霹靂とは、こおゆうことだろう。
30年近く連れ添った妻から、離婚をいい渡されるとは。
「何故なんだ。離婚したい理由を教えてくれないか」と動揺する気持ちを必死に建て直そうとしながら、やっとそう聞く。
恵が挑むような顔で「これからの人生、最後に一緒に過ごしたい人がいるの」
もしもその時、ソファーに座っていなかったら、その場に倒れこんでいたと思う。
恵がいった言葉を何度も、頭の中で反芻する。まさか妻が恵が、他の男と……。
「少し、考える時間をくれないかな」というのがやっとだった。
8歳歳下の恵とは、大学を卒業して勤めていた百貨店で知り合った。
裕福な家庭で大切に育てられたせいか、恵は結婚してからもお嬢様気分が抜けない、いわゆる箱入り娘のようだった。
私が美術館の館長になり、仕事も前のように多忙ではなくなり、自宅から歩いて通えるから、家に居る時間が長くなった分、私が積極的に家事もするようになった。
恵は二人の娘が生れてからも、よく実家に娘を連れて帰って、義母に娘を預けては、自分は友達と国内や海外旅行に出かていた。
娘たちにバイオリンを習わせるといって、自分も一緒にはじめてそのうち恵の方が、夢中になっていった。
バイオリンでの演奏会でも家を空けることも多かったが、いつも黙って恵を送り出してきた。
恵の決意が、思いつきでないことはわかっている。
しかしそれを易々と受け入れるのは、難しかったが答えは出ている。
その一歩を安井は、踏み出そうと必死でもがいていた。
安井は今までの流暢な話し方から、一変していい淀んでしまう。
しばらくの沈黙が続き、香菜がいいにくそうに「あの~、それで離婚なさるんですか」
安井が決意したようにきっぱりと「はい」
智子が安井を憐れむように見て「私も経験しましたけど、離婚は結婚より何倍もエネルギーを使いますからね。ましてそんなに長く連れ添った奥様だからね」
安井は目を伏せて「はい。今まで生きてきた中で一番つらい告白でした」
安恵が心配そうに「理由がね。まさかですよね」
安井が気を取り直して「私の悩みを告白したところで残念ながら、聖火の炎は少しも変化しませんがね」と少しおどけていって聖火の方を見つめる。
聖火は全く変わらず、小さく揺らめいている。
思い詰めたように香菜が「もしも私が今日ここで、悩みを話さなかったら、どうなるんですか」
安井が少し険しい表情にゆっくり5人を見つめ「5人の女神が1人もかけることなく、炎に悩みという薪をくべることで炎は復活するのです」
「そんなこといわれても」といって香菜が黙って俯いてしまう。
努めて明るく智子が「なんだか私達、すごい使命をいただいちゃったわね」ほとんど出されたお菓子やサンドイッチを食べたマリナが「じゃあ私から話します」
全員がマリナに注目する。
マリナは右手で紫色ピアスを触りながら「私の悩みは、母です」

 

      吉永マリナの悩み

 マリナの目じりに入れられるパープルのアイライナー。
目を開けると、ぐっと大人っぽくなる。
メーキャップアーティストの店員の女性が「新発売の新色なんですよ」
学校の帰り道に週に1回は必ず寄り道する、最先端のファッションが集まる人気の街にあるファッションビルの一階のコスメコーナーは、人気のお店が20店並び若い女性でどの店も賑わっている。
その中でも私が最近一番気に入っている、ニューヨークから世界に進出した話題のコスメ店。色の配色がビビットでパッケージもクールで、オシャレに敏感な若い女子に人気な店だ。
新作の商品を使ってメークをしてもらい、新発売のパープルのアイライナーをしきりに勧められるけど、私の一日のアルバイト代が飛ぶ金額にあきらめる。普段は100均のコスメを使っているけど、ここで最新のコスメの情報とプロのメイクの技術を習得できる。マナーモードにしているスマホが振動する。画面を見るとママから、すでに10回着信が入っている。ウンザリして、電話を入れるとヒステリックなママの声に「わかった!今から帰るから!!」と電話を切る。その後もスマホのマナーモードがふるえっぱなしだけど無視する。
アパートの部屋を開けた途端「マリナ!マリナ!ちょっと!早くこっちに来てよ」
ダイニングキッチンから母親のジーナが大声で呼ぶ。
マリナは舌打ちしてダイニングキッチンに行くと、ジーナがA4の紙をヒラヒラさせて「ジョアンの小学校から配られた紙だけど、なんて書いてあるの?全くわかんないよ」
プリントを見て「今月の給食の献立だってさ。アレルギーがある人は、知らせてくださいって」
「なんだ、そんなこと?」ジーナは、プリントを丸めてゴミ箱に放り込む。隣の部屋でゲームに熱中している小学校1年生になったばかりの弟のジョアンにジーナが大声で「ジョアン、ゲームばかりやってないで、勉強しなさい!」
ジョアンはゲーム画面から、目を離さずに熱中している。しびれをきらしたジーナが怒って、ジョアンのゲーム機を取り上げる。
ジョアンが泣きながらジーナに掴みかかるが、相手にしない。
「ママも少しは、日本語を勉強したら?」と呆れていう。
ジーナがタガログ語でヒステリックに叫び続ける。
ママを無視して奥の部屋に入ると、おもいっきり扉を閉める。
ああ自由になりたいな。
日本語の読み書きができないママは、ラインはできない。
だからすぐにさっきみたいに電話してくる。
私はママの通訳じゃないし、ジョアンの保護者でもないし、ましてママのマネージャーでもない。
パパとママが離婚したのは、私が中学生になって、ジョアンが2歳になった頃だった。
前からパパとママはよくケンカしていたから、パパがうちに帰ってこなくっても、不思議に思わなかったけど、ママは日本語が読めないし書けないから、離婚届けも内容を私が読み上げてあげた。
学校に提出する書類や役所に提出する書類、カードの請求書、なんでもすぐに私に読ませる。
それで離婚の原因がパパがやっていたお仕事がダメになって、借金ができたということまでわかった。
ママはフィリピンで生まれ育って、仕事でフリピンに来ていたパパと知り合って結婚して、私が3歳になった時に日本に来たらしい。だから私はほぼ日本人。
しばらくはパパの仕事もうまくいっていたらしく、それなりな暮らしができていた。
だからママは私を連れて、年に2回はフィリピンに帰っていた。
でもジョアンが生れた頃から、パパとママのケンカがすごくなって離婚になった。
ママはもともとお料理もあまりできないし、いつもジョアンのことで怒ってばかりいた。
ジョアンは公園に連れていけば、地面にしゃがみこんで、小石を拾ってあたりかまわず投げたり、砂場で他の子たちに混じって遊んでいても、知らない子の遊具を乱暴に横取りして、その子が泣き出しても構わずに一人で遊んでいる。
ジョアンの乱暴ぶりは、だんだんエスカレートして、自分の思い通りにならないと、同じ年くらいの子供の髪の毛を引っぱったり、叩いたりする。
相手の子が大泣きして、その度にママがつたない日本語で、その子のお母さんに謝るが、公園の中では「危険なフィリピン人親子」とのレッテルを貼られる。だからママとジョアンが公園に行くと、回りで遊んでいる親子が蜘蛛の子を散らすようにいなくなる。
ママが働くようになって、ジョアンが保育園に行くようになってからも、お友達に乱暴をするのは日常で、ママは担任の先生に小言を言われるのが嫌で、私をよく保育園に迎えに行かせた。
その度にジョアンの乱暴な行動を担任の先生から「お母さんに、必ず伝えてね」と延々と聞かされる。
そこにお迎えに来た、被害を受けてる子供の母親からも、私でもわかる言葉で嫌みをいわれる。
うちに帰ってそのことをママに伝えると今度は、ママがジョアンにヒステリックにタガログ語で怒り出す。
「ママ日本語で言わないとジョアンだってわからないよ」と私が冷静に諭すと、チンプンカンプンの日本語を並べたてる。
私はジョアンを抱っこして、理解できる簡単な言葉で、ママの気持ちを代弁してあげるが、ジョアンにはまったく響いていない。

中学では部活にも入らず、毎日ジョアンのお迎えをして、その後ジョアンを連れて夕飯の買い物をして夕飯を作った。
保育園にジョアンをお迎えに行くと担任の先生が「小さいママがお迎えに来てくれたわよ」といわれるようになった。
自由になりたい。
このままずっと日本語がわからないママのために、色々やらされるのは絶体に嫌だ。
高校を卒業したら、すぐに働いて1人暮らして、ママから独立しようと決めていたから、高校に入ってからは、週5でアルバイトをはじめた。
卒業したらすぐに独立できるように少しでもお金を貯めたかったし、家に居ると色々家事やジョアンの相手をさせられる。
何よりママのヒステリックな叫びを聞きたくなかった。
ジョアンの小学校の先生から電話があり、しばらくはママが話していたけど、担任の先生の話している意味がわからないといって、ママが私に電話を交代させた。
担任の先生からジョアンのことで、相談したいので学校に一緒に来るようにといわれた。
仕方なく数日後アルバイトを休んで、ママと一緒にジョアンの通う小学校に行く。
ママより少し歳上の女の担任の先生は、ジョアンの日頃の勉強の取り組みや、お友達への態度などを説明してくれ、これは他の専門の先生や校長先生とも相談したのですがと前置きして「私はジョアン君は、特別学級に入れた方がいいと思います」といいにくそうに私とママの顔を見る。
ジョアンの通う小学校には知的障害者や身体が不自由な子どもが通う特別学級が2クラス用意してある。
何故、ジョアンが特別学級に入らなけばならないかを担任の先生に聞くと。ジョアンは知能的に他の子どもより、明らかに劣っている。通常は入学前の簡単な検査である程度はわかるのだが、ジョアンのように入学してからわかる場合もあるという。
専門家の先生がジョアンの検査をしたところ、おそらくそうだろうと。
日常の多動的で乱暴な行動も、知的障害ゆえだとも教えてくれた。
私と担任の先生とのやり取りを不安そうに見守っていたママが、しびれをきらし私に説明してくれとせがむ。
ジョアンが知的障害の可能性があることと、今後は特別学級への転室を勧められていると伝えると、ママの顔はみるみる険しくなってタガロクで激しい口調で話し出す。
担任の先生も困ってしまって、私に助けを求めるような視線をなげる。
担任の先生の言ってることに腹がたったけど、日頃のジョアンの行動を見ていると、確かにそうかもしれないと思う。
担任の先生の提案で、ジョアンに病院で正確な診断を受けた上で、特別学級への転室を検討しましょうとその日の話し合いは終わった。
帰り道今まで見たことがないほど、ママは落ちていた。
自分の息子に知的障害がある。
シングルマザーで、親戚も親もそばにいなくて、あんまり友達もいない。
言葉もよくわからない国で必死に私達を育てるママ。
今ママが頼れる人は、いないんだ。
さすがに私も、この時は、ママと同じ気持ちで泣きたくなった。
無言で家に帰ると、晩御飯も食べずに、ママは奥の部屋で1人籠っていた。時折タガログ語で誰かと話しているのが聞こえてくる。
ジョアンは相変わらず、ゲームで遊んでいる。
100均で揃えたコスメが入ったポーチを机に置き、ユーチューブのメイク動画を見ながら、鏡に映る自分にメイクを施す。
こうしていると、嫌なことを忘れられる。
それから1ヵ月後にジョアンの検査の結果が出て、やはり軽度の知的障害があることがわかり、特別学級への転室が決まった。
この1ヵ月間、借金返済で追われているパパは、全く頼りにならず、私がアルバイトを休み、時には学校を早退までして、ママと一緒に病院や役所や学校へと付き添うことになる。
どこに行ってもママは日本語がよくわからないと、すぐにヒステリックになるから、結局いつも私が手続きを進めることになり、何かあるとママにではなく私に連絡が入るようになる。
もうここまでくると、この家庭環境に心底うんざりする。
ママが世の中でいちばん疎ましい存在になった。
ジョアンが転室して落ちついた頃、今度はママがパートで働いている会社から、私のスマホに連絡が入る。
ママは近所にある工場で色々な販促物を組み立てたり、検品したりする仕事をしている。
そこでベテランのパートさんとトラブルになったようだ。
日本語がわからないママに、ベテランのパートさんたちが意地悪で仕事を教えなかったり、ミスを押し付けたりしたと、駆け付けた私にママは説明する。
会社の上司の人も、冷静に話ができないママに困り果てて、私に連絡をしてきたそうだ。
っていうか、私はこの人の娘なんですけど。それにまだ、高校生なんですけど、って心の中で呟く。
お互い大人なんだから、ちゃんとやってよと、とこの時は、こっちが発狂したくなった。
結局ママはなるべく一人でコツコツできる仕事にしてもらうことで決着した。
「いらっしゃいませ」店長の威勢のいい掛け声に合わせて、私と数人の店員も同じように声をかけて入口を見た私はぎょっとする。
アルバイトをする駅前にある居酒屋は、仕事帰りの会社員や学生の団体客でにぎわっている。
入口でニヤニヤしたママとジョアンが立っている。
慌ててママに駆け寄り「ちょっと、なんで来るのよ!」
「いいじゃない。大事な娘がどんな所で働いているのか見ても。お客さんなんだから、ほら席に案内して」とママはしれっとする。
ママは店長に愛想よく挨拶して、ちゃっかりドリンクとから揚げのサービスまで受ける。
その日は週末とあってものすごく忙しいかったから、早く帰って欲しかったのに、結局ママは閉店間際で私が帰る時間まで居座った。
かなりお酒を飲んだから、居酒屋から出てちどり足のママを私が、支えながら歩く。
ジョアンは眠そうに大きなあくびしている。
ママはとてもご機嫌でタガログ語で歌を歌う。
呆れながら「ホント、サイテー」とつぶやきお酒臭いママを支えながら、大きな声で「ああ自由になりたいよ~」と叫ぶ。
ジョアンがトロンとした眠そうな目で私を見上げる。
「ジョアン。お姉ちゃん、もうすぐ飛んでいくからね。恨まないでよ」とご機嫌で歌い続けるママを引っ張るように歩いていく。

 マリナはここまで一気に話すと「すいません。紅茶のお代わりもらえますか?」
安井が慌ててマリナのカップに紅茶を注ぐと、それを飲み一息ついてマリナがまた話し始める。
「もういつもママは、こんな感じなんです。日本語がわからないっていうか、わかろうとしないんです。そりゃ、ママにとっては、日本は外国で色々苦労もあるだろうけど」
安恵が最後に残ったサンドウィッチを食べ終わり「そうね。私にもあなたと同じ歳くらいの娘がいるけど、あなたはずいぶんとしっかりしてるわ。偉いよ」
「ですよね。もう、自由になりたい。私にだって、これからやりたいことが一杯あるのに」と飲み干したカップを持ちながら、マリナが口を尖らせる。
智子もマリナに向き合い「私には、息子しかいないからよくわからないけど、女の子だからお母さんも心配なんじゃないの?」
マリナが右手でピアスを触りながら「ママのことは、大好きです。でもこのまま、ずっと日本語が読めないで困っているママの面倒を見なくてはいけないと思うと、うんざりするんです。将来自由に生きて行きたいんです」
じっと黙って話を聞いていた梨花が「マリナさんは、将来何をしたいの?」と優しく問う。
マリナは背筋をピンと伸ばして「自分も人もきれいに変身させるのがするのが好きなので、ヘアメイクアップアーティストになりたいんです」
安井が微笑みながら「人をきれいして、その人に喜びを与えるということですね」
マリナはこくりとうなづく。
すると小さく揺らめいていた聖火の炎が、少し大きく伸びる。
マリナはすっきりとした表情で「はい。これで私の悩みは以上です」
安井が笑顔でマリナを見つめて「フリピンにいらっしゃるおばあ様も、今のマリナさんを見たら喜ぶでしょうね。お母様もきっとマリナさんの夢を応援してくれますよ。話してくださりありがとうございます」
マリナは恥ずかしそうにしながら、携帯を取り出して「ちょっとママに電話していいですか?さっきから、何度かママから電話が入っているんで。帰るの夕方になりそうだし」
安井がにこやかに「もちろんどうぞ。でもこの聖火の炎のことは内緒でお願いしますね」
片手で素早くスマホを操作しながらマリナが「了解です」と行って席を立ち、部屋の隅に行く。

梨花が遠慮がちに周りを気にしながら「じゃあ、次は私が、お話します。私の悩みは、隣に住むママ友なんです」

 

      高島梨花の悩み

 午前中に買い物に行き、簡単な食事を済ませて、ぼんやりと庭の洗濯物を見ると、胸騒ぎがして庭に出てみると足元に生ごみが散らばっている。
風にそよぐ白いシーツには、生ごみの汁が端っこに手のひら大のシミができている。
人が一人通れるほどの間隔をあけて、金網と植木で仕切られた隣の家の庭を見ると、同じように洗濯物が風にそよいでいる。
視線をそのまま隣の家の2階のベランダを見上げるが、人の気配はない。
大きくため息を吐いて汚れたシーツを取り込み、他に被害がないか確認する。
洗面所に行き、からっぽの洗濯機に汚れたシーツを入れて、しばらくその場で洗濯機が回る音にじっと耳をかたむける。
自分のばかさに、ほとほとイヤになる。
ちゃんと警戒して、ゴミがあたらない場所に洗濯ものをずらせば良かった。だってこの嫌がらせは、あの日から毎日続いているんだから。

うちの庭に毎日生ごみが投げ入れられるようになったのは、娘の愛理が幼稚園の年長になった時の最後のお遊戯会の次の日からだった。
この家に引っ越ししてきたのは、愛理が1歳になった時だった。
夫の実家は北海道で、私の実家は埼玉。
夫は仕事の都合上東京で家を買う事を望んでいた所、東京でも郊外だが比較的交通の便のいい地に、私達が無理なくローンを組める新築の家の物件を見つけた。
地域が若いファミリー世代の誘致に積極的で、契約時に行政からの助成金が出るのも購入の後押しをした。
引っ越ししてみたら区画一体が同世代のファミリー世代が多く、ほぼ同時に隣に越してきたのは、愛理と同じ歳の夏帆ちゃんという娘さんと私と同世代の真理子さんだった。
お互いに引っ越しの挨拶をした時からウマが合い公園デビューするのも、どこかに出かけるのも一緒に行くことが多かった。
真理子さんはよく我が家に夏帆ちゃんを連れて遊びに来ることが多かったけど、私達が真理子さんのお宅にお邪魔したのは、たったの一度しかない。
それもほんの少しだけの滞在時間で、リビングには入れてもらえず玄関を入ったすぐの小さな荷物置き場にしている小部屋に通された。

それからお互いの娘は、自然と同じ幼稚園に入る。
幼稚園の帰りに同じクラスの幼稚園の子供たち数人と、そのママ友と一緒に公園で遊ぶことも多かった。
子供たちがかたまって砂場などで遊んでいるのを眺めながら、ママ達もそれを見つめながら賑やかに話す。
話題はお互いの子供がこんなかわいいしぐさをするとか、さりげなくダンナさんの仕事の自慢、休みの日にどこそこに遊びに行ったとか、どうでもいいとやり過ごしたくなるような話題ばかりだった。
その輪の中でいつも話題の中心にいるのが真理子さんだった。
周りのママ達もなんとなく真理子さんを中心に持ち上げるのが通例となっている。
私はけっこうまわりに合わせるというか、控えめで和を大切にする。
兄と姉の3人兄妹の末っ子で育ったせいか、いつもその場の空気を読んで、誰にでも可愛がってもらえる立ち位置に立つように振る舞ってしまう。

また、祖母が世間的に知られた絵本作家で、実家にいた時は、たまにマスコミや出版社の人からの取材を受けることもあり、子供の頃から品行方正でいることが自然と身についてしまっていた。
子供の世界も同じなのか、夏帆ちゃんはいつも輪の中で中心的な存在だった。

ある時実家の母が愛理にプレゼントしてくれた、ちょっと名前が知られたブランド物の洋服を皆がとても可愛いと話題になった。
「ほんと愛理ちゃんはいつもかわいいお洋服を着てるわよね」と真理子さんは顔は笑顔を取り繕っているけど、目が怒りに燃えているのがわかった。そんな真理子さんに私は次第に、距離を取るようになる。
ここから離れたい。
パートにでも出ようかと思い夫に相談すると、友働きの両親に育てられていつも寂しい思いをしてきたから、愛理がもう少し大きくなるまでは仕事をしないで欲しいといなされてしまう。
無邪気に仲良く遊ぶこどもたちを見ながら、私はいつも息苦しさを感じていた。
いつものように我が家で愛理と夏帆ちゃんがごっこ遊びをしているのを見ている真理子さんが、当然という振る舞いでコーヒーをお代りする。
愛理が絵本を持って来て「これ私の大きいおばちゃんが描いたの」といって真理子さんに見せる。
私は咄嗟に取り繕うように「愛理、夏帆ちゃんとお人形さんで遊んで」といって絵本を取り上げてしまう。
真理子さんはすかさず私から絵本を取り上げて獲物を見つけたハンターのような目で「大きいおばあちゃって。この絵本を描いた伊藤陽子さんが、あななのおばあちゃんだっていうの」
そんなはずはないわよね。まるで愛理が嘘を言ってるように攻められているような詰問するような口調の真理子さんに、初めて挑むように「そうよ」といってしまう。
真理子さんの顔がみるみる険しくなり、あざ笑うように口角をあげて「嘘でしょ。あなたが世界的に有名なあの伊藤陽子さんの孫だったっていうの?」「なんでそんなことでウソをつくの?本当よ。私はその絵本を描いた伊藤陽子の娘のその娘です」
真理子さんはしばらく挑むように私をじっと見つめて「なんで今まで黙っていたの」
大きく肩で息を吐いて「別にいうことでもないじゃない」と真理子さんを真っすぐに見返す。
真理子さんは「ふ~ん」とゆっくりと部屋の中を見回して、少し考えていながら「夏帆、帰るわよ」と立ち上がる。
真理子さんはまだ遊びたいという夏帆ちゃんの手を強く掴んで、帰ってしまう。
正直祖母のことは、内緒にしていた。
今までも祖母が有名人と知ると、急に態度を変える人を沢山見てきたから。今までの経験で、真理子さんのようなタイプは、祖母のことが帰ってマイナスになると長年の勘で感じていた。
真理子さんが帰ってしばらくは、祖母のことをいってしまったことでパンドラの箱を開けてしまったような後悔をするが、何をそんなに真理子さんに気を遣うのかと、開き直ると気持ちが楽になった。
でもその日から明確に真理子さんの態度が変わった。
明らかに私に対して憎悪というか、何か特別な感情を抱えてるのが態度に現れる。
一緒にいるママ友も感じたらしく「真理子さんと、何かあったの?」と探りを入れられる。
その度に否定して、私は今まで通りに振る舞っていた。
公園での集いも色々と理由をつけては、参加しないようになる。
幼稚園の最後のお遊戯会の配役が発表になった日に、幼稚園から帰ってきたら玄関に真理子さんが訪ねてきた。
明らかに怒りで顔をこわばらせて「ねぇ。やり方が汚いんじゃないの」と声を震わせて真理子さんが私を睨みつける。
真理子さんのいってる意味が理解できずに「やり方が汚いってって?一体なんのこと」
と問う私に真理子さんは声を荒げて「何しらばくれってんのよ。自分が有名な絵本作家の孫だからって、そんなコネを使っちゃってさ」
その時は本当に真理子さんが何を怒っているか全く理解できずにいた。
話をよくよく聞くと、お遊戯会でやる劇の主役を愛理がやることになり、夏帆ちゃんはほんのチョイ役になったそうだ。
愛理が主役に決まったのが祖母が有名な絵本作家だから、先生たちが決めたのだという。
今度は私が真理子さんに激怒した。
真理子さん以外の人に祖母のことは話していない。
もしも仮に愛理が先生にそういったところで、子供のいうことを先生が真に受けるはずもない。ましてそんなことで、配役を決めるはずもないと真向から主張した。
このままでは引きさがらない様子の真理子さんと私で、結局二人でそのまま幼稚園まで行き、担任の先生に配役の経緯を聞きに行った。
担任の先生は当然祖母のことは知らなかったと、とても驚いていた。
今回の配役は担任と園長先生と主任の3人の先生で決めたと教えてくれ、真理子さんに何度も謝っていた。
そんなことならその主役を夏帆ちゃんに譲ると申し出るが、真理子さんがそれはできないと拒否した。
恐縮する先生に私が謝り、怒って先に帰ってしまった真理子さんを見送る。先生はこういうトラブルはよくあることなので、気にしないで欲しいと励まされるが、お遊戯会が終わるまで毎日胃が痛かった。
真理子さんは私を無視するようになり、それに連られてか他のママたちも私を避けるようになる。
愛理が夏帆ちゃんにイジメられるのではないかと心配したが取り越し苦労で、今まで通りに夏帆ちゃんはうちに遊びに来たし、愛理の様子にも全く変化はなかった。
それでも真理子さんは、相変わらず私を無視しつづけた。
愛理が主役を務めたお遊戯会が終わった次の日から、うちの庭に生ごみが投げ入れられるようになった。
最初は近所の人のいたずらかと思い、そのうち無くなるかと様子を見ていたけど、1カ月経っても無くならなかった。
私はこの生ゴミを投げ入れるのが、真理子さんではないかと疑うようになった。
生ごみが投げ入れられるのが決まって私が、ちょっと出かけた時や夜中だったりすることから、どこかで私の行動を観察しているようだった。

3カ月が過ぎた頃、証拠をつかもうと信頼できる地元の友人に頼んでうちに来てもらい、私が外出した時に家にいてもらい見張ってもらった。
私が帰宅すると、友人が2階のベランダから女性がうちの庭にゴミを投げ入れるのを目撃して証拠の写真を撮ってくれた。
写真は不鮮明でぶれてぼやけて顔が半分切れていて、一目では真理子さんだとは判別できない状態だったけど確信した。
私が困って悩んでいるのを楽しむかのように、真理子さんは何食わぬ顔をして、我が家に遊びに来るようになった。

 ここから離れたい。
そう思って回る洗濯機をぼんやりと見つめ、大きくため息をつく。
玄関から娘の愛理の元気な声で「ただいま!」と聞こえてくる。
リビングに出ていくと、ランドセルをおろす愛理。
「おかえり。おやつあるから、手を洗ってきて」と笑顔で言い冷蔵庫に行くと、愛理が近づいてきて「ねぇ、ママ。夏帆ちゃんと一緒におうちで遊んでもいい?」
何と答えようかと思案して取り繕うように「夏帆ちゃんも毎日じゃあ大変じゃない?そうだ。ママとお買い物行こうよ」
玄関のチャイムが鳴り、愛理が「あ、夏帆ちゃんだ~」と玄関に飛び出していく。
玄関に行きドアを開けると、夏帆ちゃんと真理子さんが立っている。
「ごめんなさいね。夏帆がどうしても愛理ちゃんと一緒に遊びたいっていうから、ついでに私も一緒にきちゃった。いいかしら?」と真理子さんが不自然な笑顔を向けて、私の返事も聞かずにもう靴を脱ごうとしている。
「え、え~。どうぞ」と引きつった笑顔を作る。
愛理と夏帆ちゃんが仲良く部屋に入って、後ろを真理子さんが付いていく。その真理子さんの姿に寒気がする。
リビングで真理子さんに冷たいお茶と、子供達にジュースとクッキーを出すと、出したそばから真理子さんが当然のように、クッキーをつまみ「ほんとにいつ来てもきれいにしてるわね~。朝から晩まで、ずっとお掃除ばかりしてるんじゃないの?うちと同じ時に引っ越してもう6年も経つのに、まだ新築ですか?って感じよね」と部屋を見回していうが、その言葉にはあきらかにとげがある。
真理子さんの吊り上がった目を見ないようにして、曖昧に返事を返し「ごめさない。ちょっと、洗濯物を干してくるわね」
真理子さんは大袈裟に驚き「え~、お洗濯って、今頃するの?もうすぐ夕方じゃない?」
返事もしないで浴室に行き、出来上がった洗濯物をかごに移すが、怒りで体が震える。

「引っ越ししたいな」
夫の和也が残りのしょうが焼きを頬張った時に、ため息まじりにそう言いった。
「引っ越ししたいなんて、簡単に言うなよな。ローンだってまだあと30年近く残っているんだぜ」と不機嫌になる。
「だけど毎日うちの庭にゴミを投げ入れられて、もう頭がおかしくなりそう」と今日の真理子さんとの顛末を説明する。
「本当に隣の奥さんなのか。その生ゴミを投げ入れるってさ。だっておかしいくないか?」
「そうよ。おかしいわよ。今日だって何も知りませんって顔して、子供と一緒に遊びに来てさ。こっちはあんたの投げ入れたゴミで汚れた洗濯物をしているのに悪びれもなく“あら~今頃、お洗濯してるの~”だってさ。もう怒りで体が震えたわよ」
「直接本人にいったらどうなんだ。うちに生ゴミを入れるのをやめてくださいってさ」
「私だってそういえるならいいたいわよ。でもそれで愛理が今度、夏帆ちゃんに、何かされても困るでしょう」
和也は面倒臭そうに「まぁ、うまくやってくれよ」
「うまくやるってどういうこと?このままずっと毎日毎日、我慢して暮らせっていうの」と和也を責めるような口調になる。
「じゃあさ。警察でも何でもいったらいいじゃないか」
「そんな大ごとになったら、隣同士でこれから先どうするのよ」
和也は黙って風呂場へと行ってしまう。
その場に残されたて、やり場のない怒りにただ途方にくれた。

 梨花はここまで話すと、また怒りが込み上げてきて、両手でハンカチをギュッと握りしめて下を向いたままでいる。
横に座っている智子が、そっと梨花の背中をさすってあげる。
少しの間室内が静寂になる。
それぞれが思いつめたように、宙を見つめたり、聖火の炎を見つめたりする。
安井はその状況をそっと見守る。
梨花はさらに説明するように「娘が幼稚園の年長の時のお遊戯会でうちの娘が主役をやることになって夏帆ちゃんは、その役に選ばれなくて。多分真理子さんは、それが悔しかったんだと思います。お遊戯会の終わった次の日から、うちの庭に生ごみが毎日投げ込まれるようになったので」
安恵が露骨に嫌な顔をして「それって完璧、犯罪なんじゃないの?その隣の真理子?って人警察に通報した方がいいでしょ」
梨花の方を向きながら智子が「隣の真理子さんという方が、あなたのお宅のお庭に生ごみを投げ込んでいる写真は証拠になるのかしら」
梨花は携帯を出して、保存している写真を見せる。
ぶれて顔半分が切れている写真には、確かに女性が何かを投げている様子が写っている。
身を乗り出したり、席を立ち上ったりして、全員が梨花の携帯の写真を確認する。
安井が冷静な口調で「その写真をご主人に、お見せしたんですか?」
梨花は首を横に振り「いいえ。友人に探偵のようなことまでさせて、まるでこちらが悪いことをしているようで。こんなことする自分も嫌なんです」と困ったように力なく微笑む。
安恵が何か考え込むように両腕を組む。
「今日このように私の悩みを聞いて頂き、すっきりしました。私が勇気を出して、この問題に向き合わなけばいけないと気付きました。すぐには解決できないかもしせまんが、逃げずに隣の真由美さんと話し合います」と気持ちが吹っ切れたように梨花がいう。
梨花は晴れやかな笑顔を安井に向けて「館長さんから祖母が聖火に誓った夢の話を聞いて、自分がやりたかった夢を思い出しました。私も祖母のように絵本や子供向けの物語を書きたいと思います。祖母のようにはなれないかもしれませんが、挑戦してみます」
安井は真っすぐに梨花を見つめて「そうですね。是非夢をカタチしてください」
その時ケースの中の聖火の炎が、また少し伸びあがる。
安恵が意を決したように、手を挙げて「は~い。もうどうせいわなきゃならないから、話しちゃうわ。私の悩みは夫です」

創作大賞ファンタジー小説部門「ファイヤー!ファイヤー」《3》へと続く

 https://note.com/katy_moon/n/neab919b2a31c

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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