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創作大賞ファンタジー小説部門「ファイヤー!ファイヤー」《1》

オリンピックの聖火の灯に宿る不思議な力に導かれ、1964年は聖火を護った5人の女性たちの夢が叶えられ、その5人につながる血縁者の女性たちは、悩みを聖火に吐露すると炎がその悩みを希望に変える物語。

【あらすじ】
1964年に開催された東京オリンピック。その大会で使われる聖火ランナーの炎は、ギリシャのオリンピアで採火され、2カ月かけてアジア11カ国を巡り、日本国内を巡回して10月10日の開会式で会場の聖火台に灯される。
その聖火の炎をギリシャから日本に運んだ使節団の副団長は、ギリシャで採火する際に巫女役から、聖火にはその炎を護る人の誓願の願いを叶える不思議な力が宿ると教えられる。
その行程で出会う5人の女性は、それぞれが聖火の危機を救い、聖火に誓いをたてる。
それにより聖火がその5人の女性の望や夢を叶える。
その聖火の炎は極秘で、オリンピックが行われた会場のすぐ近くの美術館の地下室に護られ保存されていた。
57年の時を経て燃え続けていた聖火の炎。
また再び同じ会場で東京オリンピックが開催されることになる。
聖火の炎の出番を数カ月に控えているが、炎の勢いがなくなり今にも消えそうになっている。
その美術館の館長が前館長より「もしも、この聖火の炎が消えるような事態になった時には、3つの条件を満たす新しい5人の女性が聖火の炎を復活させる」と教えられる。
その3つの条件とは
① 初代の聖火の女神の直系であること(娘、孫、ひ孫であること)
② 初代の聖火の女神が活躍した年代と同じ年代であること(10代、20代、30代、40代、50代)
③ 開催地に在住していること(今回は、東京在住であること)
その条件にあう5人の女性が、自分の今抱えている悩みを聖火の炎の前で吐露し、新しい未来に向けて夢や望を誓願すると炎が復活する。
聖火の炎を再び復活させるために、美術館の館長は新しい5人の女性を美術館の地下室の聖火の炎の前に集まってもらう。
5人の新しい聖火の女神が、今抱えている悩みを吐露すると。
同じ会場で行われる東京オリンピックを舞台に1964年と現代をつなぐ聖火の炎の物語。

    1章 消えゆく炎

その炎は、いまにも消えそうな小さなゆらめきだった。
小さくなった炎が囲われたガラスケースは高さが2メートルあり、
見上げるほどだ。
幅も大人が二人、両手を広げたくらいの大きさだ。
そのガラスケースの大きさがかつてこの炎が勢いよく燃えていた様をあらわしている。
今にも消えそうな炎を安井慎二は、じっとみつめる。
来年還暦を迎える安井は、身長が163センチと小柄だが、一日一時間の散歩と夜は、温野菜とスープしか食べないので、細身の体系を維持している。白髪が目立ってはきたが、短く整えた年齢の割にまだボリュームのある毛髪は実際より10歳は若く見える。英国紳士のごとく、肩幅にピッタリとあった腰回りの細身なジャケットに薄いカラーシャツにシックで発色の良いネクタイを首元にピッタリと沿わせた身だしなみを心がけている。
この炎を安井が初めて目にしたのは、父が館長を務めていたこの美術館の地下室だった。
美術館は、大正15年に建てられ、国の重要文化財にもなっていて、石造りの重厚な建物の外観はさることながら、3階建てほどある高さの吹き抜けのエントランスに飾られるステンドグラスや、壁や天井に施されたレリーフも優美な魅力を放っている。
収蔵される絵画も、エントラストからつらなる中央の大広間には、製作に12年もかけ、たて3メートル、よこ2・5メートルに幕末から明治にかけて日本が大政奉還する歴史の移り変わりがわかる一大絵巻の日本画の壁画が描かれている。
その他にも当代一流と呼ばれた日本国内の画家たちのえりすぐりな日本画や洋画が収蔵されている。
父がこの美術館の3代目の館長を務めていたが、60歳の定年を迎えるにあたり、その後継者として当時32歳の息子である安井が館長に就任することになる。
そのために安井は大学を卒業して、10年間務めた老舗の百貨店を退職した。
百貨店の仕事は海外への出張や、3年間のイギリス赴任も経験して、それなりに充実していた。
しかし商品のバイヤーから上顧客の外商を担当する部署に異動になると、毎日お金に余裕のある顧客たちのわがままな振る舞いに、安井はうんざりしていていた。
そんな時に父から、館長への就任の打診があった。
安井は特に美術の知識があるわけではないが、子供の頃から父に連れられてよく美術館に行っていし、実家には父の趣味で沢山の現代作家の絵画が飾られていた。
仕事でイギリスに赴任した時も、休みの度にイギリスはもとより、ヨーロッパの名だたる美術館を見て回った。
多少の美術への知識しかない自分が、美術館の館主が務まるのかと不安だったが、通常の美術品の管理や企画運営は専門のキュレーターや、学芸員が担当するので、館主は対外的な渉外や全体のマネジメントをするのだとの父からの助言で腹が決まった。
安井が館長になるための引継ぎを兼ねて美術館を訪れた時、父に初めてこの地下室に案内された。
この地下室は皇室関係者の緊急事態の時の為に作られたシェルターだったので、地下室の存在は美術館のスタッフも他の関係者も知らない。
国家のほんの数人の政治家と美術館を所有する法人の幹部と館長の父だけだという。
その秘密の地下室に入った時に、薄暗い室内に置かれたガラスケースの中で燃え上がる炎を目の前にして、しばらく呆然と炎を見つめた。
まるで生きているように繰り返し立ちのぼる真っ赤な炎から安井は、目が離なせなかった。
安井は午前8時30分に出勤して、香りのよいモーニングティーを飲みながら、この聖火の炎をじっくりと眺める。
この炎は1964年、アジアではじめて開催された東京オリンピックのためにオリンピック発祥の地であるギリシャから『平和の祭典を明るく照らしたまえ』と平和を祈り、採火された炎である。
炎は仏教においても、人間の悩み=煩悩(業)を薪として炎で燃やすことで、その悩みが解決できると説く。
父はこの炎が『誓願の炎』なのだと言う。
誓願とはその人が魂の底から願い誓うと、その願いが人を幸せにすることなら、願いが成就するという。
父はかつてこの炎を護った5人の女性の活躍を語ってくれた。
その5人の女性と炎の物語を聞き終えた安井は、この炎をその日まで自分が護り続けようと奮いたった。
その誓いの日から27年間、この炎は毎日変わらず燃えつづけた。
もうすぐその聖火を灯す平和の祭典が行われる。
しかし聖火はかつての光彩は無く、今にも消えそうだった。
もしも聖火が消えそうな時には、新たな5人の女神が、再び聖火を復活させてくれると父から教えられていた。
それには3つの条件がある。
①    初代の聖火の女神の直系の娘、孫、ひ孫であること
②    初代の聖火の女神が活躍した年代(10代、20代、30代、40代、50代)であること
③    開催地に在住していること(今回は東京在住であること)
この3つの条件にあう5人の女性が、消えかかった炎を救う、新たな聖火の女神として『平和の祭典を明るく照らしてくれる』と。
安井は新たな聖火の女神となる5人の女性を聖火に導く使命を果たそうと、消えそうな炎をじっと見つめた。
 
 
        聖火の女神・30代・伊藤陽子さんの孫
 
テーブルに置かれた、絵本“忍者ケイティ”を見つめて安井が
「絵本作家の伊藤陽子先生は、日本が世界に誇る大ヒット絵本の”忍者ケイティ”シリーズの作者です。その方のお孫さんにこうしてお会いできて光栄です」
伊藤陽子の孫の高島梨花が微笑み、恥ずかしそうに安井を見つめる。
梨花は肩まであるストレートヘアを両側できちんと留めて、首元で結んだリボンの薄い紺色のエレガントなブラウスに、ふんわりとしたシルエットのプリーツスカートが、女性らしく知的な印象を醸し出している。
大きな目を輝かせなのがら、好奇心で一杯に膨らんだ口元から少し慌てたように
「子どもの頃からこの森が特に銀杏並木が好きで、よく散策に訪れていました。でもこの美術館に入ったことがなくって。一度入ってみたいと思っていました。外観も重厚感がありますが、館内も特に入口の吹き抜けの天井に施されたステンドグラスやレリーフはまるでヨーロッパのお城のようですね」と目を輝かせる。
「ありがとうございます。所蔵品も素晴らしいので、どうぞ後程ゆっくりご鑑賞ください」
とにこやかに安井が答える。
梨花が探るように「お電話でお話されていた、祖母のことでお話があるとは、どんな内容なんでしょうか」
安井は梨花から視線を部屋の壁の半分を覆うほどの大きさの、燃え盛る炎が中心に描かれた東京オリンピックのスタジアムの聖火台の絵画に視線を移し、
「話は父がこの美術館の館長だった、中田茂造から聞いた話です」と
安井は濃紺な背表紙に金文字で“誓願の炎”と流麗な書体で書かれた本をテーブルに置き
「中田館長から聞いた話を父がまとめたのが、この本です。この本は57年前にここ東京で開催された、東京オリンピックの聖火リレーの炎についてのエピソードが、特に聖火の炎を護った5人の女性の活躍が書かれています」
梨花が“誓願の炎”の本と安井の顔を見比べて
「あの…聖火リレーの炎を護った5人の女性ですか」
安井も親しみを込めて
「そうです。そのお一人がおばあ様の伊藤陽子さんです。57年前は商社にお勤めで、英語が堪能だったので、ギリシャで採火された聖火の炎を日本の使節団が運ぶ時の通訳をされたそうです。その時のご活躍がこちらに書かれています。どうぞお読みになってください」
不安そうに安井の顔を見つめる梨花に
「私はちょっと仕事をしてきますので」といって安井は部屋を出る。
梨花はゆっくりとページをめくると
「ここに書かれていることは、1964年アジアで初めて行われた東京オリンピックの聖火リレーの炎の物語です。登場するすべての人物や内容は事実です。未来永遠にこの炎を燃やし続けて頂けることを願い、ここに真実を書き残します」
     

    1964年8月28日インド・カルカッタ
 
夕方に飛行場に到着し、飛行機から降り立つとここが空港?と思うような小さな小屋のような建物が建っているだけで、建物は真っ暗だった。
つばの大きな白い帽子に花柄のワンピース姿に大きなトランクを抱えた伊藤陽子は、不安でいっぱいになった。
打ち合わせでは、日本航空の職員が、迎えに来てくれるはずだが。
暗い小屋のような建物に入ると、数人の職員が到着した入国者のパスポートを手元に持った懐中電灯で照らし、そのまま懐中電灯で入国者の顔を照らして照合している。
度重なる停電で一日に何度もこのような事態になると、遠くで大声で文句をいう入国者に職員が説明しているのが聞こえてくる。
 
陽子は大学時代に1年半アメリカに留学していて、英語が堪能だった。その特技をいかして、大学卒業後は商社に入社した。
入社して7年が経っても、男性のアシスタント的な仕事ばかりで、もっとやりがいのある仕事をと望んでいた。
だから1ヵ月前に上司から、東京オリンピックの聖火を運ぶプロジェクトの通訳をと言われた時は、嬉しくてトイレに行くふりをして、会社のすぐ近くにある電話ボックスに駆け込み、千葉の実家の母親に電話で報告をした。
明治生まれの母は、娘が大学に行きアメリカまで留学して、仕事に没頭することを快く思っていなかったが、日本で初めて開催されるオリンピックの仕事を任されたと知り、陽子が想像したより大変に喜んだ。
母の喜ぶ声を聞き、陽子も親孝行ができたと嬉しかった。
インドは治安が悪いので、絶対に一人では行動してはいけないと、現地の駐在員からもいわれていた。
列の最後尾に回り、キョロキョロと回りを見回していると、浅黒く日焼けした男が近づいてきて「ミセス、イトウ?」と小さな封筒を陽子に提示する。胸には見慣れた日本航空のバッジをつけている。
男から封筒をもらうと、中には市内の宿泊先のホテルの案内と
『日本のオリンピックの派遣団がパキスタンから、深夜到着するから、しばらくホテルで待機するように』との指示の内容が書かれたメモが入っていた。
ひとまずここに来た目的がちゃんと果たされるとわかり、陽子は安堵した。
日本航空の現地の職員に宿泊先のホテルまで車で送ってもらい、部屋に入る。
一人で利用するには広すぎるほどの広さと3人は眠れそうな大きなベットが置かれ、テーブルには色とりどりの南国の花々がアレンジされたバスケットが置かれている。
添えられたカードにはホテルの支配人からのメッセージで、今回のオリンピックの聖火リレーへの歓迎のコメントと、当ホテルも最大に歓待するとの主旨が書かれてあった。
いち通訳のしかも日本では普通のOLの自分が、まるで一国の代表のような扱いを受けいることで、改めて今回の任務の重大さとこれから起こることが後に大きな歴史を彩る式典になるのだと身震いがする。
その緊張感と同時にこの場に居合わせたことへの嬉しさがこみあげてきた。すこし前まではいつも男性社員のアシスタントで、いつももっと大きな仕事がしたかった。
世界を駆け回れる仕事をと願い商社に入社したが、女性は男性社員の指示でしか仕事ができない現実を目の当たりにして悔しさを抱えていた。
それでも得意の英語を活かして他の女性社員よりは、海外との電話の応対などはさせてもらっていた。今回の通訳への抜擢も、決まっていたオリンピックの準備委員会の職員の方が家庭の事情で都合が悪くなり、急遽のピンチヒッターとしての抜擢だった。
シャワーを浴びようと荷物の整理をしていると、電話が鳴り出るとホテルの従業員だと名乗る男性が「先ほど到着した日本人の方ですか」という。
陽子が少し、躊躇していると日本人の女性を見たのは初めてだがら、一緒に夕食をしないかとの誘いだった。
陽子は丁寧に断り、受話器を置き直ぐにフロントに電話をいれて、事情を説明した。
すぐにマネージャーから折り返し連絡が入り、従業員が失礼な振る舞いをしたと詫び、夕食は部屋に用意してくれることになった。
部屋には一人では食べきれないほとの豪華なディナーが運ばれてきた。
初めて受ける歓待に驚いたが、この幸運に感謝して食事をいただいた。
落ち合う予定の日本のオリンピックの聖火隊は、深夜に到着とメモに書いてあったので、明日からの多忙なスケジュールに備えて早めに就寝した。
 
翌日午前8時にホテルの1階で、日本のオリンピックの聖火隊員たちと初めて顔合わせをした。
1週間前にギリシャのアテネから聖火を採火して6カ国を休みなく回ってきて、インドには深夜に到着しているにもかかわらず、全く疲れた様子をみせず副団長の中田茂造は、ニコニコしながら
「陽子さん、昨日はよく眠れましか」
とメガネを外してポケットから出したハンカチでレンズをこすりながらいう。
「は、はい」と陽子はぎこちない笑顔を作る。
中田の座っているテーブルの上に置かれたカンテラの中で燃える炎と陽子は、一瞬目が合った。
陽子はそのまま、その炎から目が離せなくなった。
炎はまるで生きているように、生命力に溢れていた。
高さ34センチのカンテラに納められた炎は、小さな炎だが今生まれたばかりの生命が、勢いよく成長しようとの勢いに溢れていた。
一週間前にオリンピック発祥の地のギリシャのアテネから採火された聖火の炎は、イスタンブール(トルコ)→ベイルート(レバノン)→テヘラン(イラン)→ラホール(パキスタン)にて現地で聖火リレーや式典をしてここニューデリー(インド)から、ラングーン(ビルマ)→バンコク(タイ)→クアランプール(マレーシア)→マニラ(フィリピン)→香港→台北(台湾)→沖縄(日本)へと巡る。
はじめてアジアで開催される東京オリンピックの聖火の炎を無事に大会まで護り届ける長い旅だ。
陽子は炎なのに生命が宿っていると思った。
中田から同行する12名の隊員を紹介される。
陽子以外は男性で中田を含め全員が10歳は年上であろう。
これからの6カ国アジアの国を回る約10日の旅を思うと、緊張で身が引き締まる。
その日の予定を確認すると、すぐに聖火式典の会場へと移動する。
陽子は副団長の中田の専属の通訳の役割のようで、中田よりひと回り年上の団長の男性は、行政のとても偉い人らしく誰にでも尊大な態度で、陽子は少し距離を置いていた。
中田はいつも笑顔を絶やさず、誰にでも親切でどこに行くにも携帯用のカンテラに入れた聖火の炎を肩からかけたバッグに入れて持ちは運んでいて、みんなからは“ミスター聖火”と呼ばれていた。
この中田が肌身離さず持っているカンテラに収められた聖火が、ギリシャから採火された元の炎で、そこから分火した炎が地元の人々によって、パレードされている。
ランナーが走るすぐ後ろを護衛する車が続き、その後ろの車に中田と陽子が乗車していた。
一区間の炎が燃えてる時間は6分間と短く、ランナーが走っているのを沿道の人々が取り囲む。その度に中田が車から身を乗り出して「どいて!炎が消える!」と叫ぶので陽子も最初のうちは、反対の窓から顔だけだして、中田の言葉を英語で訳して大声で叫んでいたが、それでも沿道の人々は、全く中田の静止を聞かずに聖火を取り囲んでしまう。
何度もランナーの聖火の炎が消えてしまい、その度に中田が持っている元火の聖火を分火する事態となる。
陽子は日中の暑さの中で大声で叫んでばかりいたので、すべてのイベントが終わる頃には、フラフラになり夕食もろくに取らずに、部屋に先に帰った。
翌日に移動した、ラングーン(ビルマ)でも、パレードの時には中田と同じように陽子も車から身を乗り出し叫んだ。
中田の提案で英語で叫ぶより、日本語で語気を強く言った方が効果があると言われて、陽子も腹に力を込めて思いっきり
「どいて!火が消える!」と日本語で沿道の人々に向けて叫ぶ。
すると沿道の人々もだんだんランナーに駆け寄ることも少なくなり、聖火の炎が消えることも無くなった。
ラングーン(ビルマ)での行事を無事に終え、バンコック(タイ)へと移動し、記念式典の時にその事件は起きた。
記念式典で聖火を持ったランナーを横に、日本の使節団の団長がスピーチしている時だった。
陽子は中田と少し離れた所でその様子を見守っていたが、取り囲む群衆の中から、大きなバケツを持った中年の男性が出てきて、タイ語で何か叫び、バケツの水をランナーめがけて振り上げた。
陽子は咄嗟に前に出てそのタイ人の男性を制止しようとすると、バケツの水がもろに陽子に振りかかり、全身がずぶ濡れになる。
そのタイ人の男性は直ぐに地元の警備人に取り抑えされて連行されるが、陽子はその場にへたりこんでしまう。
その後何もなかったようにパレードがスタートされ、ホテルに戻っていいという中田に陽子は「大丈夫です」とその後も任務をやり遂げた。
その晩の夕食会の席で中田が隣合わせに座った陽子に
「今日は陽子さんに、大切な聖火を守って頂きました」と笑顔でビールを飲み干して、陽子のグラスにもビールを注ぐ。
陽子もつがれたビールを飲み「咄嗟に体が動いてしまって。炎が消えなくて良かったです」とテーブルの上に置かれたカンテラの聖火の炎を見つめる。
中田もカンテラの炎を見つめながら「陽子さんの夢は、何ですか?」
唐突な中田の問いかけに「夢ですか?」と中田の表情を伺う。
中田は聖火から目を離さず「ギリシャでこの聖火を採火した時にその儀式に立ち会った巫女役の女優さんが『この聖火には不思議な力が宿っています。聖火を守る人に、その人が心の底から望むことを叶えてくるのです。ただし、その望みが結果、人を幸せにすることであることにかぎります』と教えてくれました」
陽子はカンテラに収められた勢いよく燃える聖火を見つめて、その巫女の話が心にストンと心に落ちた。。
今の商社での仕事もそれなりに充実していたが、でもそれは会社の中での歯車の一つにしかすぎず、自分がいなくても変わりはいくらでもつとまる仕事だった。今回こうして日本を代表する記念すべき世紀の大イベントに関わることができて、もっと自分の可能性を発揮したいと思うようになった。
中田と陽子がじっとカンテラの聖火を見つめると、聖火の炎は更に勢いよく燃え上がる。
「私の夢は絵本作家になって、世界中の子供に夢を届けることです」そういった言葉に自分でも驚いた。
聖火の炎を見つめていたら、口が勝手にそういってっていた。
子供の頃から本を読むのも絵を描くのも好きだったが、絵本作家になりたいとは、意識したことはなかった。
中田が楽しそうに陽子を見つめて「そうですか。絵本作家ですね。ではこの聖火の前で誓いましょう。『私は、世界中の子供に夢を届ける絵本作家になります!』と」
ビールを少し飲んでいい気分になっていた陽子は恥ずかしかったが、グラスを掲げて聖火に向かって「私は、世界中の子供に夢を届ける絵本作家になります!」と誓った。
すると聖火が、更に勢いよく燃え上がった。
陽子も自分の情熱の炎が燃え上がるのを感じた。
 
     
  聖火の女神・10代・スカーレット・サントスさんの孫
 
高校の制服姿の友永マリナは、短いスカートからすらりと伸びた脚を思いっきりソファーのイスから突き出して大きく両手を上にあげて伸びをする。
スマホから伸びたイヤホンを外して、一旦音楽を止める。読み終えた“誓願の炎“の本をテーブルに置く。
マリナのエキゾチックな目鼻立ちは、母がフィリピン人で父親が日本人の美しい顔立ちだった。ナチュラルメイクでも、人目を惹く大人っぽさで、よく街中では、モデルにスカウトされる。背中まで伸びた髪は、シンプルに高めに一つに結ばれていて、耳にあいたパープル色のハートシェイプカットの小粒のピアスが引き立っている。
このピアスはマリナの祖母であるスカーレット・サントスが、マリナが10歳の誕生日にプレゼントしてくれたもので、マリナの一番のお気に入りだ。
今フィリピンで元気で暮らしている祖母は、マリナが母親より大好きな存在で、祖母が57年前の今の自分とほとんど変わらない年齢の時に、こんな活躍をしたのかと思うと嬉しい気持ちになった。
その時ドアがノックされ、館長の安井が入ってくる。
マリナは少し緊張し、ソファに座り直す。
にこやかな笑みを絶やさずに安井が「いかがでしたか。おばあ様の物語は」
「楽しかったです。おばあちゃんにこんなハッピーな物語があったとは。そして、本当におばあちゃんは、夢を叶えたんだって。私も、嬉しくなりました」
「そうですよね。私はおばあ様に、この美術館でお会いしているんですよ」
「え~、そうなんですか?」
「おばあ様は、聖火の炎と数十年ぶりに再会したんですよ」
マリナは露骨に怪訝な表情になり「聖火と再会?一体どうやってしたんですか」
安井は更に目を細めて「そのことをお伝へしたくて、こうしてマリナさんに、ここに来て頂いたんですよ」
マリナの携帯から、振動音が聞こえてくる。
マリナはスマホの画面を見ると、嫌な顔をして「ごめんなさい。ママから電話なんです。さっきから、何度も、電話がかかってきているんで、ちょっとかけ直してもいいですか」
「もちろん、どうぞ。あ、でも、この話は、まだ、内緒にしてくださいね」と安井が、にこやかに “誓願の炎”の本を、マリナにかざして見せる。
マリナも笑顔でおどけたように「了解です」といって、席を立ち部屋を出で行く。

     
    1964年9月3日フィリピン・マニラ
 
マニラ市内は、日本で行われるオリンピックで使われる聖火の炎が市内をパレードするとあって、そのパレードを一目みようとする人々でごったがえしていた。
飲み物と果物を売る行商のアルバイトをしながら、ついでにパレードを見ようと思っていたスカーレット・サントス。デニムのタンパンに粗末なTシャツ姿で細身なスカーレットは、浅黒い肌で髪をポニーテールにして汚れた靴でもう5時間歩き、暑さでその場に座り込んでしまう。
スカーレットには、聖火のパレードをどうしても見たい理由があった。スカーレットの父親は、日本人だった。父は大戦の時フィリピンに出兵し、終戦を迎えた時、母との間にスカーレットを授かり、そのままフィリピンに残った。その後父はスカーレットが5歳になった時に、日本へと帰国した。スカーレットの母に必ず、迎えに来ると約束するが、その後約束は果たされなかった。スカーレットの母も新しい男性と再婚し、男の子と女の子を産む。新しい父は、仕事をせずにいつも昼間から仲間とつるんでお酒を飲んだり、かけごとをしていた。だから母が作った料理を行商で売ったり、お金持ちの家での家政婦の仕事を掛け持ちしていた。スカーレットもあまり学校にも行かずに、母の作った料理を売ったり、親戚からわけてもらった果物を売ったりして家計を助けていた。いつか日本から、父が迎えに来てくれるのを夢みていた。中学を卒業すると飲食店を数店掛け持ちして仕事をしながら、夜はバーで得意の歌を歌うバイトをしていた。父が遠い記憶の中で、よく歌ってくれた日本の歌も一曲だけ歌えたので、たまに日本からの観光客が来た時には、歌ってあげるのだった。そうするとチップを弾んでくれる客もいる。
いつか父のいる日本に行き、父に再会することを考えるようになる。
この貧しく希望のない生活を日本にいる父が変えてくれるような、漠然とした期待を抱くようになる。
オリンピックという世界的な大きなイベントが日本を舞台に行われると知り、もしかしたらこのイベントで父との接点ができるのではないかと淡い期待もあった。
スカーレットは式典用に設置されたテントのすぐ近くを陣取って、果物やジュースを売っていると、メガネをかけた日本人の中年男性が、ジュースを沢山買ってくれた。日本の父と同じ歳くらの、その日本人の中年男性にスカーレット.は、一生懸命覚えた片言の日本語で「アリガトウ。ワタシ、ニホン、スキ」という。
その日本人の中年男性も笑顔で「サンキュウ!」隣にいた若い女性が英語でスカーレットに聞いてくる「どうして、日本が好きなの」と。
スカーレットは、自分の生い立ちを話し、いつか日本に行きたいのだと説明する。
若い女性が、スカーレットの話を日本人の中年男性に日本語で話してくれるとニコニコしながら、両手の親指をグーにする。
式典がはじまると、中年の日本人男性と若い女性は、緊張した様子で、じっと式典を見つめている。スカーレットも少し離れた所で、その式典の様子をみつめている。日本人の中年の男性は肩から提げているバックをしっかりと抱えているが、もう一つ小さいバックを足元に置いている。ほとんどの人が聖火の炎に注目して上ばかりを見ているが、ふとスカーレットは、数人の男の子たちが近づいてきたのが気になる。アッと思った瞬間に日本人の男性の足元にあったバックを数人の男の子たちが、バックを取って行ってしまう。日本人の中年男性が気が付いた時には、男の子たちはずいぶん遠くに走って行ってしまっている。スカーレットが逃げた男の子の子どもたちを追いかけるが、パレードに集まった人混みにもまれて、男の子たちに思うように追いつけないが、スカーレットがタガログで大声で「泥棒!その子供を捕まえて!」と叫びながら走っていくと、前方にいた数人の大人が、バックを持った男の子を捕まえてくれる。
スカーレットが息を切らして男の子に追いつくと、バックを奪い取りタガログ語できつくしかり男の子たちを逃がしてあげる。
その日のパレードは無事に終わり、スカーレットは若い日本人女性から、日本人の中年男性からの伝言で、バックを取り返したお礼にホテルで一緒に夕食しましょうといわれる。
その夜初めて入るフィリピン一番の高級ホテルにとても緊張していたが、フロントで若い日本人女性が待っていてくれたので、安心してレストランへと向かった。
中年の日本人男性は中田、若い女性は陽子と紹介される。中田が大事に肩からかけて持っていたカバンの中に入っていたというカンテラが、ギリシャから採火された本当の聖火の炎だと教えてくれた。
スカーレットは吸い込まれるように、テーブルに置かれているカンテラの勢いよく燃える炎をじっと見つめる。
中田がにこにこしながら「本当に今日はスカーレットさんに助けて頂きました。私はこの聖火のことばかり考えていて、聖火はしっかりと身から離さす持っていましたが、盗まれたバックには、私のパスポートやオリンピックに関係した重要な書類が入っていましたので、それらが無くなったら明日からの移動や、まして日本への帰国も大幅に遅れてしまいます。本当にありがとうございます」と深く頭を下げる。
陽子が訳してくれて、スカーレットは恐縮して「フィリピンはまだとても貧しい国なので、子でもでも人の物を取るようなことが日常なんです」
スカーレットはまるで自分の家族がしたことのように、申し訳なく思ってうなだれる。
「でも中田さんがいってるように、スカーレットさんがこの聖火の炎を護ってくれたのよ」と陽子がそっとスカーレットの背中に手を当てる。
スカーレットはゆっくりとテーブルの上のカンテラに収められた聖火の炎を見つめる。
この炎は生きている。
スカーレットは素直に自分の感想を中田に伝えると、真顔になった中田が「そうなんですよ。私がギリシャでこの聖火を採火した時にその儀式に立ち会った巫女役の女優さんが『この聖火には不思議な力が宿っています。聖火を守る人に、その人が心の底から望むこと叶えてくれます。ただしその望みが結果、人を幸せにすることであることにかぎります』と教えてくれました」
スカーレットは勢いよく燃えさかるカンテラの聖火が『あなたの望は、何ですか』と語りかけられているようで、目をそらさぜずに見つめる。
陽子が聖火を見つめているスカーレットに「その炎、なんだか生きているみたいでしょう」
スカーレットが陽子を見ると「私もね、聖火に誓ったの。世界中の子どもたちに夢と希望を発信できる、絵本作家になります!ってね」
スカーレットは陽子の真剣な横顔を見て、本当に心からそう願い誓ったんだとわかった。
『私の今の望みは……』と自分に問いかけてみる。
いくつかあるが、どれも今のままでは、叶えられそうもない。
スカーレットはホテルのレストランの中央に設置された舞台に立ち「今日は記念すべき聖火のパレードを見れて、このような素敵なディナーに招待して頂き、感謝の気持ちを込めて日本の歌を歌います。日本人の私の父がよく歌っていた曲です」
スカーレットは日本語で歌謡曲『東京ラプソティ』を軽快に歌う。
場内も明るいメロディに一緒に口ずさんだり、手拍子をする。
場内が一体となり、スカーレットの美声に酔いしれる。
一曲歌い終わるとさらにアンコールのリクエストがかかり、スカーレットは、フィリピンの曲も含めて、数曲を披露する。
歌い終えて席に戻ったスカーレットに中田が、がっしりした両手で、握手をして「いや~上手いね!あなたは、歌手なの?」という。
陽子が通訳してくれ「歌は大好きで、夜スナックでアルバイトをしているお店で歌っています。さっき歌った日本の歌は、父が歌っていたのを思い出して、お店で練習しました」といいスカーレットは、聖火を見つめて「私の望は、いつか日本に行き父と再会して、私の歌でたくさんの人を幸せにしたい!歌手になります!」
スカーレットは今まで自分の将来のことは、ぼんやりとしていた。この貧しい生活の中で、とにかく毎日何かで稼がなければならない。自分の夢など叶うどころか、考えたことなどなかった。
聖火がさらに勢いよく燃えさかる。
「スカーレットさん。あなたのその望み、この聖火に誓った望は、きっと叶いますよ」中田は全てを見通しているようにスカーレットを真っすぐに見つめる。
陽子も力強くスカーレットの目を見て「約束しましょう。日本で再会しましょうね」
スカーレットも陽子を真っすぐに見つめて力強くうなづく。
陽子とスカーレット中田が、燃えさかる聖火をじっと見つめる。

     聖火の女神・40代・田丸紅子さんの孫
 
安井は応接室のドアを2回ノックして、一息ついてゆっくりとドアを開けるとソファに頭を預けて堀口安恵が眠っている。
安恵のお腹には広げられた“誓願の炎”の本が置かれている。読んでいるうちに眠ってしまったようだ。
安恵はGパンにTシャツの上から大き目なシャツを羽織り、ショートカットの髪を自分で染めているのか、髪の根元が少し白髪になり、まだらになったカラーリングが一層、安恵を年齢より少し老けさせた印象にさせている。
見るからに疲れきって寝入っている姿に、安井はどうしようかと思案していると、安恵が目を覚まし辺りを見回して驚き「あ~、やだ。すっかり眠ってしまって。……すみません。夜勤明けで来たもので、眠ってしまいました」と恥ずかしそうにする。
安井も安恵の座っている前のソファに座り「そうでしたか。それはさぞお疲れでしたね。夜勤とはどのようなお仕事なんですか」とにこやかにいう。
「介護施設で働いていまして。月に10日は施設に泊まる勤務なんです。夜勤だと体はきついんですけど、お給料がいいので」といい訳っぽくいう安恵。
「月に10日ですか。それは大変ですね」と安井が少し同情したように安恵を見る。
「うちは娘が高校2年生で、息子が中学3年生で受験なんですね。もう~お金ばっかり、かかっちゃて。いくらあっても足りないんです。あ、ごめんなさい。この本でうちの亡くなったおばあちゃんが、香港にいてって所は読んだんですけど、その後どうなるんでしたっけ。私本読むの苦手で、読んでいるといつも眠くなっちゃうんです」
安井は見るからに疲れている安恵を不憫に思い「では私が変わりにこの本に書かれた、おばあさまのご活躍をご紹介しましょう」
安恵は好奇心のある目を安井に向け「ありがとうございます。そうなんですよね。おばあちゃんは、10年前に、89歳で亡くなるまで、本当に元気で。いつも沢山のアジアからきた留学生を自宅に住まわせて、お世話していました。尊敬する人でした」
「そうでしたか。そのご活躍のきっかけになったお話ですね。この話を私の父であり、この美術館の前の館長から聞きました。この本は父が書いたもので、書いてある内容はすべて真実です。この物語は今から57年前、おばあ様が42歳の時に行われた東京オリンピックの聖火の炎の話です」
安井は何度も繰り返しこの本を読んでいるので、本を開かなくてもまるでその場にいたように話しはじめる。
 

 
     1964年9月4日香港
 
台風が近づいていて、朝から雨が降りつづいている。
田丸紅子はマンションの窓から、空を見上げるとどんよりと曇った空から、容赦なく雨が降り続く。
紅子は動きやすい、黒い短めのスリムパンツ同じ黒井サテン生地の丸襟のシャツに腰が隠れる深紅のシフォンのオーバーブラウスを着て、その上に薄手のベージュのトレンチスタイルのレインコートを羽織る。
卵型の顎で切り揃えられたボブスタイルの黒髪は、ここ香港に住み始めての定番になった。
まるで私の今の気持ちを表しているようだわと、紅子は窓際にかけられた息子たちが作った2つのてるてる坊主を見つめる。
紅子は商社に勤める夫の転勤で、3年前から香港に住んでいる。
今日はベビーシッターに来てもらい、8歳と10歳になる2人の息子は先ほどから、リビングでプラモデルを組み立てて遊んでいる。
もうすぐ日本で行われるオリンピックの聖火の炎をギリシャから運ぶ使節団が、今日香港でパレードをする。
かねてより夫の会社も様々、東京オリンピック関連で取引があり、本社から若い女性職員が、その聖火のパレードの使節団の通訳で同行しているから、その女性のサポートをしてあげて欲しいと夫から頼まれた。
夫はいつも仕事の関係で香港を訪れた人々の接待を紅子に託す。紅子はホテルのコンシェルジュのごとく、その旅行者の様々なご要望を叶えるべく、奔走する。旅行者の好みを聞きレストランの予約や買い物先への案内は当然、短い香港の滞在を存分に満喫してもらえるように手配をする。
「私は旅行代理店じゃないのよ」と不満を一人呟く。
夫は仕事で忙しく家に帰ってくるのもいつも遅く、たまの休みでも日本から来た会社の人達の接待で出かけることも多かった。夫の口癖で「君は専業主婦なんだから」との言葉を浴びせられるたびに屈辱的な気持ちになる。
紅子は女子大の英文科を卒業した後に、スチュワーデスとして海外を跳び回っていた。
乗客として搭乗した夫が機内で気分が悪くなり、介助したことがきっかけで交際がはじまり、夫がタイへの赴任が決まったのを機に11年前に結婚した。仕事への未練もあったが夫との生活を優先に考えて、仕事を辞めた。
日本に帰国したり、子どもが生まれたりする中でそれなりに充実した生活を送っていた。香港に来てからは、頻繁に夫から今日のように来訪者の接待を頼まれるようになる。
憂鬱な気持ちなまま、紅子は教えられた時間に啓徳空港まで行くと、すぐに背広姿の団体が搭乗口から出てくる。たすき掛けに肩からバックをかけた中年男性の横についていた若い女性と目が合い、紅子が近づいていき「東邦物産の伊藤陽子さんですか」と尋ねる。
人懐っこい笑顔で「はい。そうです。田丸さんの奥様でいらっしゃいますか?」
「そうです」と紅子も笑顔で答える。
陽子が副団長という中田を紹介してくれて簡単な挨拶を交わすと、中田達一行は、直ぐに航空会社の関係者との打ち合わせがあると行ってしまう。
自然に陽子と二人になり、紅子は空港内にある喫茶室に案内する。
陽子は数日間の聖火のパレードの様子を興奮した様子で話してくれる。
陽子から話を聞くうちに紅子は、聖火の炎にすっかりと魅了された。
夫へ鬱屈した不満も吹き飛び、早く実物の聖火を見たくてたまらなくなった。
中田たちが戻ってきて、中田が肩から提げていたカンテラを出し、用意されたトーチに分火される様を紅子も見守る。
初めて聖火の炎を見た紅子は“炎が生きている”と思った。
そして、この炎を無事に東京まで送り届けなければと強い使命感にかられる。
陽子の口添えで、紅子も一緒にパレードに同行させてもうことになる。
香港での聖火パレードは、時より降る雨に阻まれ、何度も消えかかる。
その度に紅子は、祈るような気持ちで聖火の無事を見守る。
最終会場の香港シティーホールでの盛大な聖火の歓迎会の最中に中田の所に関係者が血相を変えてやってきて、中田も血相を変えて式典の会場を離席する。
そのただならぬ様子に陽子と紅子も離席する。
会場のロビーで打ち合わせしている中田に事情を聞いた陽子が、紅子に話してくれたのは、台風の影響で明日、予定していた飛行機の翼が壊れてしまい飛べない状態だという。
他の飛行機は予約で一杯でこのままでは、明日の出発はできないという。
聖火のパレードの予定はこのあとびっしりと詰まっていて、どこのスケジュールも変更するのは、困難な状況だという。
どの訪問地も、この聖火のパレードを楽しみにしているはずだ。
紅子は自分が以前勤めていた航空会社に頼んでみると、シティホールの事務所で電話を借りて、四方に連絡を入れてみる。やっと外国の航空会社で4席だけ確保することができた時にはもう式典も終わり、時間は夜の7時を回っていた。紅子が自宅に連絡を入れると珍しく夫が先に帰っていて、そういう事情なら、家のことは心配しないで、最後までお手伝いをするようにといわれる。
紅子は陽子たちの宿泊するホテルまで同行すると、中田に是非お礼に夕食を一緒にといわれる。
夫にも家のことは心配しないでいいといわれたし、何より紅子はもう一度ゆっくりと聖火を見たかったので中田の申し出を快諾した。
ホテルの宴会場に設けられた宴席には、香港の関係者も参加して100名ほどの盛大なものだった。
紅子は関係者ではない自分がこの場にいるのが場違いのような居心地の悪さを感じたが、そんな紅子の気持ちを察してか、中田が回りの関係者に明日の飛行機の手配をしてくれ、聖火の危機を救ってくれた女神様だと大仰に宣伝してくれる。
回りの人達も感嘆の声を上げ、紅子を最大に労ってくれる。
最初に感じた違和感もだんだんとほどけ、勧められるままにお酒を飲むうちにすっかりといい気分になっていた。
中田も顔を赤くしながら、紅子の空いたグラスに紹興酒を注ぎ「今日は本当に、田丸さんのお蔭で助かりました。明日飛行機が飛べなかったら、その後の行く予定の台北や、日本の沖縄へとどこかが予定を取りやめになる所でした。どこの地域も、アジアで初めて行われるオリンピックを楽しみにしています。そのシンボルである聖火の炎を楽しみに待っているんです」
テーブルに置かれたカンテラで勢いよく燃える聖火を紅子が見つめながら「この聖火を初めて見た時に“炎が生きている”って思ったんです」
中田も聖火を見つめ「そうです。この聖火は生きています」とほほ笑みながら紅子を見て、ギリシャで聖火を採火した時に巫女役の女優から聞かされたエピソードを話してくれる。
その話を聞き、紅子は“紅蓮の炎”だと思う。自分の名前も紅の子という炎を連想させる名前も、こうして聖火との出会いが偶然ではないように感じる。
「だからこの聖火に今の田丸さんの夢を誓ってください。聖火はその情熱を薪として更に勢いよく燃えて、いつか必ずその夢を成就してくれます」
紅子は飲んだお酒のせいなのか、それともカンテラの中で燃え盛る炎に照らされているせいか、お腹の辺りから込み上げる熱いものを感じる。
私ができる人を幸せすることって、一体何なんだろう。
明確な考えもすぐに浮かばないが、その漠然とした思いを声に出してみる。
「今すぐにはできないかもしれませんが、アジアの国を回らせて頂き、日本とアジアや、そして、世界の人をつなげることができるといいなと思います」紅子はそういってカンテラの聖火をじっと凝視する。
中田がとても真面目に「では今からこの聖火に紅子さんのその思いを誓いましょう」
「聖火に誓うのですか?」と紅子は中田を見る。
中田は当然というように「そうです。私は日本と世界の人々の交流の橋渡しができるようになることをここで誓いますと」
紅子は恥ずかしかったがカンテラの聖火を見つめていると、とても素直な気持ちで「私はこれからの人生を、日本と世界の人々が交流することをお手伝いすることをここに誓ます」と聖火に向かって誓った。

     聖火の女神・50代・宮里カマドさんの孫
 
その絵の画面には中央にめらめらと燃え上がる炎を取り囲むように、両手を空に向かって広げる5人の女性が描かれている。5人の女性は青・黄・黒・緑・赤のシンプルなドレスを着ていて出身の国籍も年齢も様々だ。
細田智子は『1964年東京オリンピック・聖火を護った5人の女神』とタイトルがつけられた絵の前に立ち、老眼鏡をかけたり、はずしたりしながら見る。
智子は小さな丸顔に髪をショートカットにして、紺のスラックスに淡いブルーの七分袖のジャケットを羽織り、白いスポーツタイプのスニーカーが若々しい印象だ。
展示室には他にも東京オリンピックに関係したポスターや、資料写真やユニホーム、聖火のトーチや表彰台、記念メダルなどが展示されている。鑑賞する人は、智子しかいない。
安井が近づいてきて「こちらにいらしたんですね」と智子に静かに声をかける。
後ろから安井に声をかけられ振り向き「すいません。お借りした“誓願の炎”の本を読み終わったら、こちらを拝見したくなりまして」と智子が恐縮する。
安井も智子と並んで『1964年東京オリンピック・聖火を護った5人の女神』の絵を見つめ「この絵は私の父で、この美術館の前館長が描きました」
智子がとても驚き安井を見て「え~、お父様が描いたんですか!?お父様は、画家だったんですか」
「画家というか、絵を描くことは好きだったようです。この美術館の館長になる前は、よく描いていたそうです。父は本の中にも登場する聖火リレーの派遣団の副団長の中田氏から、聖火を護った5人の女性の活躍を聞きこの絵を描いたそうです」
「ほんとうだわ。あの本の通リですね。その5人の一人が、私の祖母なんですね」
「そうですね。おばあ様は、沖縄で聖火を護られた、宮里カマドさんですよね」
「母が言っていましたが、子どもの頃はおばあちゃんの名前が変なのと、うちが床屋だったので、“バーバーのかあちゃんカマド”って、近所のイジメっ子にからかわれて、とても嫌だったと聞きました」
「そうですか。私はおばあ様にお会いしたことはありませんが、この絵が完成した時にここいらしてくださったそうですよ」
「そうでしたか。祖母も随分と苦労したのでね。このように絵のモデルにして頂いて、さぞ嬉しかったと思います。それで館長さん。私にお願いがあるとおっしゃいましたが」
「そうなんですよ。実はですね」といって、安井は『1964年東京オリンピック・聖火を護った5人の女神』を見つめる。

     1964年9月7日沖縄
 
手書きで書かれた『バーバ・カマド』との粗末な看板がぶら下がったガラスの扉に白い紙に拙い文字で“本日休業”と書かれた紙が貼られている。
床屋の店内は大きな鏡とイスが1個づつ置かれていて、イスに座り宮里カマドが腰まである長い髪を結っている。鏡に映る自分の顔をじっと見つめ、聖火の炎がこのヤンバルの小さな集落に来ることの不思議な因縁を感じる。
カマドは那覇で生れ育つ。両親は男の子を3人をもうけるが、どうしても女の子が欲しくて、ユタ(巫女)に占ってもらうと「火の神(ヒヌカン)の使いとしてこの家を栄えさせる女の子が必ず誕生する」とのお告げをもらう。“火の神(ヒヌカン)”は沖縄では、古くから世帯のあらゆることを司る家庭の守護神と言われることから女性である主婦が台所を護るという意味をこめて祀る神様だ。どこの家庭でも女の子が生まれると、この火の神への給仕を躾られ、女の子は家と家族を災難から守り、健康を守る守護神として讃えられた。1月4日に家にやってくるとお告げ通リにカマドは誕生する。両親はユタのお告げ通リに誕生した女の子に「カマド」と名付けた。その後のカマドは、本来は家庭の守護神であるはずの自分の運命が、決して幸せでなかったように思う。大戦で沖縄人の4人の一人が亡くなったが、両親と3人の兄も戦争で亡くなった。結婚してこの嘉陽の地に嫁ぎ、3人の娘を授かるが、夫も病で10年前に亡くなる。次々と身内を亡くして、幼い3人の娘を必死で一人で育ててきた自分は、火の神に見放された存在なのではないかと思う。
数カ月前から娘の通う小学校の向かいの海辺に、アジアで初めて開催されるオリンピックの聖火の炎が一泊するとの知らせが入る。こんな小さな集落に何故?と思うが、島の丁度中間地点であることと、集落がオリンピックの発祥の地のオリンピアという都市に似ているとか、海辺に浮かぶ大きな三角形の神様が住むと言われる岩に聖火を奉納するとのうわさが流れた。
小学校のPTAでは子供達と保護者で、手作りの聖火台を作ることになる。それぞれが拾ってきた石を高さ90センチほどで台座をつくり、その上にさらに高さ1メートルの円柱のヒューム管に白いセメントを回りに施した大型鍋型の点火台
を作った。その手作りの聖火台で一晩、大切な聖火を地域の住民と米軍の兵士でお護りするのだ。集落はこの名誉ある大役を大変に喜び、今晩は聖火を囲んでのちょっとした祝宴を開くことになった。
そこで、三線と歌が得意なカマドに出演依頼が来たのだ。
このオリンピックは敗戦国である日本が世界に復興をアピールし、未だアメリカの統治下である沖縄に平和のシンボルである聖火がパレードする。
カマドは自分が聖火の炎を護る祝宴に招かれたことに、何かとても深い縁を感じていた。長い髪をきれいに結いあげると、鏡に向かい普段はまったく化粧をしないが、時間をかけゆっくりとお化粧をする。
化粧が終わると奥の部屋で、赤橙色のかすりの着物に着替える。
普段の床屋で働くカマドを知る人は、この女性が同じ人物とは見分けがつかないほどに美しく変身した。
聖火がこの嘉陽に到着するのは午後4時近くと聞いているが、支度が終わったカマドは、大きな雨傘をさし三線を持って会場となる海岸へと向かう。
容赦なく照り付ける太陽を大きな雨傘で遮るが、かすりの着物を着ているカマドは、少し歩いただけで体の中からこもるような熱で、背中にじっとりと汗が噴き出る。10分ほど歩くと大きなガジュマルの木が見えてきて、その奥にカマドの末娘が通う小学校の赤い屋根の校舎が見えてくる。
校門の前には、大きな日の丸の旗が風になびいている。
カマドは風になびく日の丸の下で立ち止まり、雨傘をずらして日の丸を仰ぎ見る。
沖縄はアメリカの統治下だからこのように堂々と掲げられたのは、カマドの記憶では子供の頃以来だった。
揺らめく日の丸の旗をしばらく見つめ、カマドは今日という日がいかにこの沖縄にとって、特別な日であるかという身の引き閉まる思いがする。
大きく息を吐き、校庭を抜けて会場となる海岸へと入る。
会場となる海岸には、地元の有志と小学校のPTAや保護者がすでに大勢集まり、おおきなテントを張りその下で準備している。テントの下には小豆で炊いた赤飯や豚肉と具だくさんの味噌汁、豚の三枚肉の煮つけ、紅白のかまぼこ、揚げ豆腐、田芋の煮込みなどお祝いの料理が沢山並べられている。
大勢の人達に微笑みながら通り過ぎるが、ほとんどの人が顔見知りだが、美しく変身したカマドをどこからか来た芸人だと思い、羨望の眼差しで迎い入れる。
カマドが雨傘を閉じてテントの下で、三線の調整をするのをよそよそしく遠巻きに見守る。
カマドが三線をつまぶき歌うと、皆が動きを止めてうっとりと聞きいる。
静かに波うつ波の音と、カマドが奏でる三線の音色と、胸うつ張りのある歌声が海岸線に響き渡る。
友達と一緒にやってきた末娘が「おかぁ」といって、カマドに駆け寄ると、
一斉にカマドに皆の視線が集中する。
小学校の保護者でカマドが仲良くしている、ママ友が近づいてきて「うわ~ほんとだ。カマドだったのね。みんな、プロの芸人さんだと思っていたよ。カマドがこんなに歌が上手いとは知らなかかったわ~」
少し恥ずかしそうにカマドが回りを気にして「久しぶりに化粧したからさ。濃くない」
「何いいさ~。今日はお祝いだし。いや~でも、きれいだわ~」
男性の地元の役員が慌てて走ってきて、大きな声で「お~、聖火がきたぞ~!」
一斉に皆が小学校を見ると、遠くの方から、声援が聞こえてくる。
オートバイに乗った若いアメリカ兵が船頭して、白い短パンに白いランニングシャツの若い男性が、右手に炎が燃えるトーチを掲げて走ってくるのが見える。
皆が立ち上がり、割りばしに貼った小さい紙で作った日の丸を振りながら聖火ランナーを迎える。
大歓声の中聖火ランナーは、どこまでも広がる水平の海岸に立ちトーチの炎を高く掲げと、神様が住むと言われる海辺に浮かぶ三角形の岩場に向けて炎を向ける。
白い煙を吐きだしながらめらめらと燃える炎。
カマドはその様子をじっと見つめていると、腹の底から込み上げるような冷気が背中を走る。
カマドはその聖火が『御神火』けがれのない不思議な炎だと思う。
なぜかとても懐かしい思いがする。
カマドはこの炎にずっと会いたかったのだと、吸い込まれるように聖火に近づいていく。
聖火ランナーが住民たちが手作りで用意した、聖火台に炎を灯すと聖火がかっと瞬き、かんかんと燃え上がる。
場内から割れんばかりの拍手が、しばらく波の音をかきけした。
どこからやってきたのか、海岸には、沢山の人が集まって、聖火の炎を見ている。
地元の役員が、泡盛やジュースを見物者に配っている。
カマドが三線を小気味よいメロディを奏でながら数曲「祝い節」や「めでたい節」を歌う。
すると自然に集まった地元の子ども達や大人や他の地域から来た人びとが立ち上がり、みんなが頭上に腕を伸ばして腕を右に振りながら手のひらを右に向けたり左にむけたりしながら、リズムに合わせて大きく手足を動かして喜びを全身で表見するように笑顔で踊る。
しばらく賑やかな宴席で、カマドも何曲も三線を奏でる。
太陽が水平線に沈む頃、事件は起きた。
テントの下でカマドは、小学校のPTAや地域の親しい人たちと用意されたご馳走を食べていた。
そこに警護に来ていた若い2人のアメリカ兵が酒に酔って、小学校の校門に掲げられていた日の丸を降ろして、端と端を持って奇声をあげながら海岸を走り回る。
回りにいた人々は、そのアメリカ兵の奇行を黙って見守っている。
2人のアメリカ兵はしめし合わせて、勢いよく聖火の炎に走ってきて日の丸の旗を投げ込こもうとした。
「ストップ!」とのカマドの大きな声が、海岸に響く。
2人のアメリカ兵が、動きを停めてカマドの方を見つめる。
カマドはゆっくりと三線を持ち、聖火台の近くまで行き英語で
「その炎はけがれのない炎です。もう、戦争は終わったのです。その炎は平和のシンボルなんです」
といいゆっくりと三線を鳴らしながら、島唄を歌う。
アメリカ兵は金縛りに.あったようにその場に立ち尽くし、じっとカマドの歌を聞いている。
哀愁のある三線の響きと、全てを許し包み込み浄化するようなカマド歌声にその場にいた全員がただ黙っている。
曲が終わると一人のアメリカ兵が、日の丸をカマドの肩にそっとかけて、
カマドを優しくハグする。もう一人のアメリカ兵も一緒にカマドをハグする。
その様子を静かに見守っていた回りの人々から、静かに拍手が響きやがて炎が燃え広がるように、海辺は大きな握手が鳴り響く。
 
辺りはすっかり暗くなり、聖火の炎が辺りを明るく照らす。
見物人もほとんどいなくなり、交代で聖火を見守る地元の役員が20名ほどと、先ほどのアメリカ兵2人とこの聖火の責任者という中田という男性とカマドだけになった。
カマドも今晩は、なるべくこの聖火を見守りたいと思い残っている。
中田がニコニコしながらカマドに近づいてきて「本当に三線と歌がお上手ですね。聞いたところによると、普段は床屋さんをされているそうですね」
「はい。そうなんです。ただの床屋のおばあです」
「そんな。おばあだなんて。まだお若いじゃないですか。お名前は何って仰るんですか」
「宮里カマドです」
中田はメガネの奥の小さい目を思いっきりい大きくして「はい?カマド?さん?」
いわれ慣れているカマドは「はい。あのよくお台所にあるご飯を炊くカマドです」
カマドは自分の名前の由来を中田に説明する。
中田は何度も感嘆の声をあげ、時より質問をはさみカマドの名前の由来をしっかり理解したようだ。
「カマドさんはまさしく、今日はこの聖火が呼び寄せた御神火様ですね」
カマドは中田の口から御神火という言葉が出たので、驚いて中田を見て
「あの。どうして私を御神火だとおっしゃるのですか」
中田は燃え盛る聖火の炎をじっと見つめて「あの聖火は生きているんですよ」とギリシャで採火した時に巫女役の女優から聞かされた聖火の力の話や、今日までここに来るまでに3人の女性に聖火の危機を護ってもらったエピソードを聞かされる。
中田はカマドの顔をじっと見つめて「カマドさんの望は何ですか?」
中田から聖火にまつわる不思議な力の話を聞きながら、ずっと心の奥にしまいこんだ澱を吐き出しくなった。
「私の望は生き別れた息子に会いたいです。この沖縄の地が平和で、皆が幸せに暮らせるようになることです」
カマドは戦争が終わった時にアメリカ兵士と恋に落ち、その兵士の子供、男の子を生む。自分の家族を殺されたアメリカに渡り、生きて行く勇気もなく、帰国する兵士とは別れて子供も渡してしまう。そのすぐ後に、再婚して、夫の実家のこの嘉陽に嫁いできた。
カマドがアメリカ人の子供を産んだことは、誰にも知られずとなる。
再婚した夫は10年前に病気で他界し、自分が3人の娘を育ててきたと話し終えた時には、カマドの頬は涙で濡れていた。
中田はしばらく黙って聖火を見つめていたが「カマドさん。あの聖火に心から願い誓ってください。『私は息子に再会して、アメリカと日本、いや世界の人々が平和で幸せに暮らせることを願います』とね。やがてこの沖縄は、きっと世界中から人々が訪れる平和の楽園となりますよ。こんなにすてきな場所ですものね」
カマドは神様の住むといわれている三角形の岩場に重なるように煌く聖火の炎をじっと見つめて「私は息子に再会して、アメリカと日本、いや世界の人々が平和で幸せに暮らせることを願います」
聖火の炎は一層大きく燃え上がり、あたりをさらに明るくする。
中田がニコニコしながら「先ほど皆さんで踊っていた踊り、教えてもらえませんか?」
カマドが立ち上がり、中田も横に立ち「女性は手のひらをパーで、男性はグーにします。これは女性はしなやかさや美しさを、男性は力強さを表現しています。あとはリズムに合わせて大きめに手足を動かして、踊りを楽しむような感じです」
カマドの動きを真似て、中田がぎこちなく踊る。
それに合わせてカマドが三線を小気味よく鳴らす。
聖火の炎に照らされて、また、再び、皆でカチャーシーを踊る。
 

 創作大賞ファンタジー小説部門「ファイヤー!ファイヤー」《2》へと続く
https://editor.note.com/notes/nd8dc466b6fab/edit/

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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