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乳がんを告知されて実感した【ブラジリアン柔術がくれたわたしの精神の成長


はじめに

ブラジリアン柔術は、身体的なスキルだけでなく精神的な成長にも大きな影響を与えるスポーツです。
みなさんは大人になってから、どれだけの精神的な成長が得られると思いますか?
私はこの投稿を書いている2025年1月現在48歳で、子供の頃想像していた40代とは全く違う精神の落ち着きのない自分に愕然とするほど、精神の成長は難しいことだと考えていました。
そんな私でも、2年間ブラジリアン柔術を続けてきた経験の中で「練習を休む」という意外なことから自分の精神的な成長を感じられたのでご紹介したいと思います。


癌でブラジリアン柔術の中断が余儀なくされた

癌の闘病のためブラジリアン柔術の練習を中断

Xで私の投稿を見てくれている方はご存じかもしれませんが、私は今乳がんを患って闘病中であり、化学療法を受けています。
化学療法が終わったら、手術、放射線療法、そして胸に埋め込んだ医療用ポートの摘出手術を経て、手術の傷が十分に癒えるまで柔術の練習をすることができません。

がん告知されて心配したのは「柔術の離脱期間」だった

癌の告知をされて、最初に考えたことは「柔術できなくなるかも」でした。
治るかな?余命は?」そんな本来なら心配すべきことが頭をよぎる前に、「闘病しながら柔術できるの?何か月で復帰できるの?」ととっさに考えていました。
どれだけ柔術に全振りした思考回路なんでしょうね(笑)
幸い乳がんはまだ初期の段階で、お医者さんの説明もわかりやすく、治療方針もすぐに示してくれ、安心させてくれたので、自信を持ってお医者さんにゆだねることはできました。
でもやっぱり、治療の詳細を詰めていくとどんなに早くでも半年(※術後の傷も関係なく復帰するなら。おすすめできることではありません。)、おそらく8か月は最低でも離脱することが決定しました。
悔しいけれど、命がなければブラジリアン柔術もできません。
「治療を頑張りつつ、離脱中もなんとか見取り稽古や、教則などを駆使して頭を使ってうまく成る努力をしよう。今はきっとそういう時なんだ」と自分に言い聞かせました。

練習中断中のブラジリアン柔術との向き合い方

自分が練習できないことが本当にストレスだった

今までも風邪や軽度な怪我で数日~1週間程度は離脱したことはありました。
そんな時は、夫の練習についていって見学して学ぶことができていたので、当初はがんの闘病中もそうしようと思っていました。
そしてそれはそんなにストレスになることだと当初は思っていませんでした。
告知されて直後は、生体検査で針を刺された跡がとにかく痛すぎて動くのもつらかったため所属ジムに出向くことができませんでした。
夫に依頼して、コーチたちに事情を話し私のメンバーシップは休会扱いにしてもらいました。
その後、夫の練習についていくと、いつでも明るく前向きなマーティン先生に「何があっても乗り越えよう。いつだって俺らは一緒にいる」と力強い応援の言葉をもらいました。
本当にありがたく、励まされましたが、私の心は通常時の前向きさを100とするならば、40%程度の気持ちのまま。
マットで練習するチームメイトを見ても、どうしても見取り稽古に力が入らないし、スパーしてるのを見るのは1ラウンドで限界を迎えました。
正直、生き地獄かと思いました。

本当は私も練習したいのに、復帰できる目途もない状態で仲間が練習をしているのを見るのは想像以上にストレスだったのです

練習の見学にはいかないと決意するも、突然前向きになるきっかけが訪れた

そこで、絶望するような気持ちで練習を見学するくらいなら、としばらく練習を見に行くことはやめようと決意しました。
そうこうする内に、大急ぎで治療が始まり、1回目の化学療法を受けると体調が悪くて、そもそも練習の見学どころではない状態になりました。
私の化学療法は3週間1セットで、6回繰り返す計画です。
3週間の初日に投薬があり、お医者様からは「そこから1週間程度は体調が悪く、2週目には徐々に回復、3週目にはほぼ通常通りになって運動もできるだろう」と目安を教えてもらっていました。
が、実際にやってみると3週目になってもまだ体調の悪い日が続き、体調が戻ったと感じられるのは5日程度でした。
本当はもっと早く体調が戻れば、いつか復帰したときに少しでも体力が残っているように筋トレしたりマシントレーニングをもっとしたかったんだけど・・・なんて思っているうちに、体調がいいことのありがたみを強く感じました。
「そうだ、柔術の練習見に行こう」
突然気持ちが切り替わったのです。
最初こそ、突然のがん告知に大好きでライフスタイルにすらなりつつあったブラジリアン柔術からの離脱で気持ちがついていかなかったものの、やはり好きなものは好きなのです。

ブラジリアン柔術がわたしにもたらした精神的な成長とは

練習の見学に行った私の心の変化

体調のいい日、私は夫の練習についていきました。
最初はまだ「いいなぁ、私もこのテクニック練習したいとずっと思っていたのに」そんな風に思っていました。
だけど、スパーする夫を見ていて、彼の動きの癖が目に留まりました
よく観察して、彼の課題が見えた気がしました。
夫とは同じ日にブラジリアン柔術を始め、同じだけ練習に行き、ほぼ同じテクニック動画を見て研究しているし、練習でもよくパートナーを組むので、お互いの癖や体型の弱点、強みはよくわかるのです。
(ほかのチームメイトの動きは見てても、アドバイスできるほど何も分かりません。)
一度それに気づくと、食い入るように残りのスパーも全部集中して見ました。
そして、客観的に観察して気づいたこと、課題としてここに気を付けて、以前習ったバタフライフックスイープをもっと使うべきなんじゃないか、等を夫に話しました。
夫も前向きにフィードバックを聞き、ふたりで夕食を食べながらあのテクニックはああだ、こうだ、と話すことができました。
実は、それまでちょっと柔術の話題は私が無視してました(笑)
この時、練習見学に行ったのと、以前と変わらず柔術のテクニックやストラテジーについての会話ができたことで私の心に変化が現れたのです。
「今は一時的に練習できないだけで、私はブラジリアン柔術をやめていないし、まだジャーニーの途中なのだから」という考えに至れたことで、心から前向きに柔術に向き合うことができたのだと思います。

自分の精神的な強さと成長に気づくことができた

最初に練習見学に行ったとき、「みんなが練習できてるのに私ができないのはストレス」、そんな風に感じたのが元来の私の考え方だったと思います。
こんなの言い訳にならないかもしれないけど、私は東京のファッション業界で働いていたことがあり、とにかくマウント取るの好きな同僚たちと毎日切磋琢磨し、こんな典型的ないじめって本当にあるんだ、と逆に笑ってしまうような子供っぽいいじめ(大事な会議の時間をわざと間違って教えて、会議室に行ったら終わってたとか・・・)などを経験し、「とにかく人に弱みを見せてはいけない、自分に強いところがあったらとりあえず見せつけておくのが吉ムーブ」というサバイバルスキルを身に着けたのです。
その考えに基づくと、「病気で離脱していてその間に差をつけられる」なんていうことはあってはならないクリティカルな事態」なんですよね。
だけど、上に書いたような練習を見学することで夫の成長の助けができると気づいた経験をはじめ、下記のような経験が「今の私は柔術を通じてもっと違う生き方を学んできたんだ」ということを自覚するきっかけになったのです。
たとえば、ヘッドコーチが伝えてくれた「病気との闘いも、柔術の修行のひとつだ。今は人生の困難に強い心で立ち向かわなければならない」というメッセージは、柔術の練習を通じて忍耐力を成長させてきたことを思い出させてくれました。
当時ジム内フィジカル最弱と思われた私がうまくなるためには、ボコられても、プレッシャーをかけられても極められずサバイバルにフォーカスすることでチャンスを待つしか強くなる道はないと思い (名教則本”Jiujitsu University”に書いてあったからそのまま実践しただけですが。)毎日辛くても不利な体勢でサバイバルの練習をし続けたことがありました。
ちなみにヘビー級の男性も普通に体重かけてくるわがジムです。
下になってプレッシャーをかけられるのは本気で恐怖(骨がミシミシいうし)なのですが、毎日練習してると克服することができました。
闘病も乗り越えることも、できるはずです。
そして、辛い時を乗り越えるという経験は確かに柔術の修行にも通じるものがあるはずで、「私はまだ柔術の練習をしてるんだ。少しトレーニングの形式が違うだけなんだ。」そんな風に前向きに、強い心で考えることができるようになったのです。
メンタルを自分で切り替えて、強い心で臨めるようにコントロールできるようになってきたのは、柔術が与えてくれた力だと思います。
そして人生全般で役立つ大きな力になると思います。

自分自身の思考の嫌な癖が直ってきた

前置きすると、以前からチームメイトのストライプや昇帯は心から喜んでいました。
試合で勝っても負けても、その経験を共に喜ぶ気持ちは確かにありました。
だけど、自分の調子がいい時に、仲間のいいことを喜べるのはある意味当たり前のことです。心の余裕がありますからね。
上に書いたように、私にはどこか「絶対に弱みを見せてはならない、相手にアドバンテージを取らせてはならない」という気持ちが根底にあり、自分が離脱している間に先に進んでいく仲間たちを心から祝福できるかなぁ、と自分自身を疑う気持ちがありました。
実際に私を試すかのように、わがジムでは私が離脱した前後のタイミングに昇帯ラッシュがありました。
「これ、完全に私への試練ですよね。」
そう思いました(笑)
同じころ始めた白帯仲間も青帯になり、始めたばかりの頃からずっと面倒を見てくれていた青帯の先輩たちもこぞって紫帯に。
一方で、私は離脱中は昇帯なんてありえないし、覚えたテクニックも忘れちゃうかもしれないし、体力だってすぐに戻らないかもしれません。
だけど、実際に目の当たりにすると思い出しただけで涙が出ちゃうほど彼らの昇帯が嬉しかったのです。
いつのまにか私の歪んだサバイバルポリシー「絶対に弱みを見せてはならない、相手にアドバンテージを取らせてはならない」は柔術の練習で仲間と本気で切磋琢磨し、大げさではなく命のやり取りを繰り返すことで昇華しつつあるんだと思えました。
正直なところ、今でも最初からこちらに敵意ある相手にはこのポリシーは有効なものだとは思ってはいますが、状況と相手にかかわらず無意識で常にこのように考えてしまう嫌な思考の癖はずっと何とかしたいと思っていたので、私にとっては大きな変化だと感じています。


【おわりに/まとめ】

  • ブラジリアン柔術を続けてきたことで得た成長は人生の大きな力になる
    2年ほどの練習を通じて、忍耐力を身に着けたことで、人生の困難な時にも乗り越えられるという自信を得ることができました。
    さらには、人生の困難さえも柔術のトレーニングの一環だと発想の転換をすることで前向きに強い心で取り組もうと自分のメンタルをコントロールできるようになってきました。
    今はまだ周りの人の助けもあってなんとかコントロールできるような感覚ですが、これは人生全般で大きな力になるような精神の成長だと感じています。

  • 自分自身の嫌な思考の癖が矯正された
    相手や状況にかかわらず、「絶対に相手に弱みを見せない、アドバンテージは取らせない、自分の方が強いところがあれば当てこすっていく」というサバイバルスキルから生まれた「思考の癖」がブラジリアン柔術を通じて幾分か健康的なものになってきているように思えました。

  • ブラジリアン柔術は身体だけでなく精神の成長まで期待できる素晴らしい活動
    私の経験を通じて、ブラジリアン柔術は身体だけではなく、精神にも大きな成長をもたらしてくれる可能性のある素晴らしいスポーツであることが少しでも伝わったらうれしいです。
    経験は人それぞれなので、私よりもっとすごい成長を経験する人もいれば、あまり良い経験にならない人もいるかもしれません。
    私は個人的に50歳も近くなって多くの成長を実感できたブラジリアン柔術というスポーツをもっと多くの人が経験して素晴らしい人生なればいいなと感じています。

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