最近気に入ったもの
アートな人間になりたいー
心に余裕ができたとき、多分誰もが一度はそう感じたことがあるんじゃないかと思う。
でもクリエイティブな人間でない限り、本当の“アートな人間”になれないんだろうな。。。
そう思いながら、それらに積極的に触れていくことで“アートな人間”に近づいていると感じることにした。
わたしのいろ(朱肉)
「朱肉は均一な朱色でなければならない」
誰がそう決めたのだろうか。
いや、私たちがそう思い込んでいただけなのかもしれない。
カラー名が「にしきごい」「もり」「みかん」「つばき」「うみ」っていうのも良い。
もし、今の和テイストじゃなくて洋風な感じの名前だったら、色の感じはどうなるんだろう……
私は「うみ」が気に入った。
常識や普通を覆す美しいものに久しぶりに出会えてなんだか気分が良くなった。
この朱肉を使うと印を捺すという単純な行為に雅が加わるんだろうなと思いつつ、学生でそんな大きな印を捺す機会なんてないことを思い出し、買うのを諦める。
東京蚤の市
YouTubeの動画で「サムネに釣られる」のをネット記事で体験した、みたいな感じでふらっと記事を訪問してみた。
「ヴィンテージ」と写真の夏らしい水色のガラスがとてもマッチした写真で気に入った。
記事に関することで言えば、
「東京蚤の市」では出店者は公募しておらず、開催者側から声かけした人だけ参加しているというのも良いと思った。
最近インテリアに興味があって、
goodroom journalさんの記事を読み漁っている。
というのも、
今後も引っ越す予定があるから「家は住めたらいいや」ではなく、
賃貸でも「自分の場所を作りたい」フェーズになってきたから。
学生なのでお金と時間をかけて壮大なことができるわけじゃないけど、
「自分のものに囲まれる」くらいはできそうかなと考えた。
(その前にいらないものを捨てないといけないが)
「東京蚤の市」に行ったことは一度もなくて、
商品を買わなくても写真を撮るとか
“体験”として良い機会になるんじゃないかなと思っている。
今年は開催されるか怪しいしあまり行く気が起こらないかもしれないが、
行くんだったら写真好きでカメラを持っている友達を誘おうと決めている。
海外の広告アイデア
私は結構外国のものが好きなことが多い。
例えばアクションドラマや映画は、邦画よりも洋画の方が大胆でダイナミックだし。
広告に関しても、なんかちょっと日本とは違うテイストの感じを気に入ることがある。(なかには不自然なものもあって嫌いなものもあるが)
コストコで見たハインツケチャップの広告。
日本だとハインツのケチャップを見られるのは
おしゃれでアメリカンなカフェやバーガー店くらいなんだろうか。
この広告、よく見るとスライスされたトマトがケチャップの容器の形状に積み上がっている。
なるほどな。
別にケチャップ感を全面に出さなくても、トマトで分かる。
なんかこういう大胆で斬新なアイデアとか鮮明なビジュアルで訴えてくる広告は海外商品に多い気がする。
日本でよく見る広告って文字とか有名人とか……
日本のことが嫌いなわけじゃないけど、ちょっとくらいは“海外センス”を身にまといたい。
この広告を見た後からこういうクリエイティブな広告のことが気になってPinterestを漁っていたらこんなサイトをみつけた。
面白くてその日中ずっとそのサイトを見続けた。
ブランド物じゃない鞄
個人的に、お高いブランド製品は好きじゃない。
学生だから自分のお金で買えないし、
親に買ってもらおうなんて思ったことないし、
百貨店の店にはなんだか怖くて近づけない。
持っている高級ブランド品は、
お母さんからのお下がりの20年くらい前のPRADAの鞄とか
誕生日プレゼントで家族に貰ったものとか。
どっちかっていうと
「良いもので機能的・デザイン的にも気に入ったものをそれなりの価格で買う」
人。
例えば、無印●品の商品は機能的でサステナブルな感じがするけど、デザインがシンプルすぎて自分のスタンダードにするには合わないなと思っている。(店員さんのあの寡黙な雰囲気はすごく好き。自分もMUJI商品を着たらああなるんだろうか)
だから、機能性とデザインの両方を求めている。
このメーカーのを絶対欲しいとは思わないけど、これを見たときビビッときた。
「私のニーズを知っているのか…!?」
男性でズボンの尻ポケットに財布を入れている人をよく見る(私の父もそう)けど、女性用のは浅く作られていて入らないと聞いたことがある。
しかも、「最低限の荷物」の量が私の場合はちょっと多い。
財布、スケジュール帳、スマホ、折り畳み傘、エコバッグ、ポーチ
行く先によっては水筒も欲しいな…とか思うので増やそうと思えばいくらでも増える。
でもポケットには入らないし、常にリュックで移動するわけにもいかない。
ちょっと買い物行くときとかにあったら良いなーと無意識に思っていたことがいつのまにか商品になっていて驚いた。
丸いまな板
最初の「朱くない朱肉」と同様、
「四角くないまな板」で
驚くと同時に納得させられた。
教育においてもそうだが、
既に存在しているものを盲目的に正当化するのは危険だ。
そう分かっているけど、
既存のもので多少問題があっても
「機能は最低限果たしているならいいか」
と思ってしまうのが人間の性なのかもしれない。
まな板も、長方形だと食材がこぼれてしまうことが多いが
「食材は切れているからいいや」
と我慢していた人がどれだけいただろう。
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