最後の晩餐
運命のXデーの前日、私は最後のアルバイトを終えて家路についた。
私は息子が生まれてからもフルタイムで働いていたが、そのせいで家庭が保てなくなったのではないか、ということで、家族再生を誓った時に長年続けてきた仕事を辞めた。
専業主婦になってから数ヶ月後、前に一緒に働いていた先輩から、パートで働かないか、とお話をもらった。
自分の収入が完全に途絶えてしまうことを不安に思っていた私は、その話を受けたかった。
しかし、夫に話したら大反対された。
「お前が仕事をしていたせいで家庭が壊れたんだから、家事と育児が完璧にできない限り外で働いてはいけない」と。
そこで数回話し合い、家事と育児を完璧にやるから働かせてください、というところに着地したのだったと思う。
その条件が後に私を苦しめることになったのだけれど…
そもそも、家事と育児に完璧などあるのだろうか?
夫の求める基準に、私は達することが最後までできなかったのだろうと思う。
私の不足をあげつらい、深夜に説教された。
家事についてレポートを書かされたこともある。
それでも仕事を辞めなかったのは、私の意地だったのかもしれない。
幸い、職場の上司はとても理解のある人で、私の状況を分かってその日まで働かせてくれた。
その日、夫は機嫌がよく、家族3人で外食しよう、ということになった。
それが最後の晩餐になろうとは、彼は微塵も思わなかったことだろう。
それまで家族として過ごしてきた日々を振り返ると胸が痛んだけれど、再生を誓った上で出直してもこうなってしまったのだから、もう私に思いとどまる気持ちは残されていなかった。
「正解」を探し求める日々
運命のXデーに至るまで、私はいつも夫の顔色を窺っていたような気がする。
彼の中での「正解」を当てない限り、不機嫌になったりケンカに発展したり、冷戦状態で口もきかなくなってしまったり、色々な不都合が起こるから、私はいつもどこかで怯えていたのかもしれない。
彼の中の「正解」ではなく「地雷」を踏んでしまうと、酷い時には脅されたり人格否定をされたりするようになった。
私が一番言われたくない言葉を投げつけてくる夫に、私の心は固く閉ざしていき、気持ちも冷え切ってしまった。
そうなる前に、どこかでまともに話し合えればよかったのかもしれない。
でも、どこで…?
当時の夫も私も、落ち着いて冷静に話し合ってお互いの意見を分かり合おう、という過程を経るには未熟すぎたのかもしれない。
お互い譲り合うことができなかったのかもしれない。
夫婦関係が悪化していく中で、一度だけ夫の本心を聞いたような気がするけれど、私の中では既に遅すぎたし、何を今さらそんなこと言っているのだろう、と思ってしまった。
彼は自分のことを見てほしくて、駄々をこねている子どものような気持でいたのだ。
(つづく)