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僕は同世代とは"難"しいより同世代が"恐怖"になりました

|さて、お久しぶりです。勝本です。

僕は、これまでも同世代を救おうとか同世代に何かできないかと言うようなことを考えて生活をしてきましが、そうすると同世代と関わりにくくなった自分がいることに気づきました。

それは、自分が社会から置かれている目と同世代から置かれている目による"差"だと感じました。

その差は、大きいものであると言うことは僕にしかわからないことかも知れません。その差を大きいと思わない人も多くいると思います。

実際にその立場に置かれていないから共感ができないと言うよりかは僕が精神的に弱いだけかも知れません。

そんな僕は、同世代とどのように会話をしたらいいのかそんな自分を失い、同世代との関わりが難しいから恐怖に変わりました。

僕は、人が嫌いではなく日本の上下関係というなんか訳わからないシステムがとても嫌いです。

僕の疑問は…

なぜ、上下関係が必要なのでしょうか??

なぜ、大人に対して子どもが正論を言ったら大人は怒ったり機嫌を損ねたり大人の力で押さえてこようとするのでしょうか?

そんな、大人が居ても僕は地域も社会も何もかも変わる気がしていません。

だって、その一人ひとりの大人達の主観で話したことに次々と落ち度を付けて諦めたり呆れたりする人が生まれてくるからです。

そんな話を大人にしても僕はこんなことを言われました
「そうしなければ、何も進まない」
「誰かが、落ち度を付けなければ口論になる」
などと言われます。

では、僕はそうしなければいけない根拠をしっかりと言えばいいのにそこで、言い訳をされてしまっているのでは無いかとも思っています。

そんな、日常生活が続く中での同級生との関わりはとても出ないくらいの恐怖に変わります。

今の大人みたいな考え方に偏っていっている子達が増えるだけなんだからと思いました。

はっきりできることだけを教えても何も力にならないしできないことならどのようにしたらできるかなんて今の時代色んな方法があると思います。

できないから”次”ではなくできないと言われた別の方法を探す力をつければそんな実現可能性からほど遠い思考も少なくなっていくのでは無いかと思います。

「我は、”大人だから”できた」と言うことはない。「我は、”すごい人だから”できた」と言うこともない。誰もが違った路線で輝ける仕組みができればとふと考えました。

そんな。同世代はどのように思っているのかは分かりませんが僕の勝手な主観でお話をさせていただきました。



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