ごくごく極私的音楽遍歴
はじめましてかっつん(@kattsun4416)です。
昔から続けていることに、音楽というものがあります。これほどまで長く続けていると、果たして自分は音楽が本当に好きなのか分からなくなってきました。なんで音楽をやっているか分からなくなってくるのです(音楽に限らず、僕は人からよく「考えすぎだよ」と言われます)。
なので、この投稿で僕の音楽遍歴をざっと振り返り、自分が音楽をどう捉え、その捉え方はどう変化してきたか、確認する機会にしたいと思います。
一介のしがない無名アマミュージシャンの音楽遍歴に興味のある方(もそうでない方も)、お付き合いください。
幼少~小中時代
小さいころから母親の影響で歌うことが好きで、マジンガーZやコンバトラーVなどの往年のアニソンから、キンキキッズまで、家族でカラオケに行っては歌っていました。TRFやSPEEDやZONEなど女性ボーカルのユニットがこのころから好きでした。
小中の校内合唱コンクールでは女子と一緒に、歌うことに乗り気でない男子に「ちょっと男子~」と言っていました。母の車内ではガンダムの主題歌集をカセットテープにダビングしたものが何百周も流れていて、飽きずに聴いていました。
中学時代、野球部で矢部くんという友達に出会い、彼から銀杏BOYZやマキシマムザホルモンや太陽族の曲が詰まったMDをもらったのが初めてのロックとの出会いでした。
高校時代
楽器を始めたのは高校2年生のとき。野球に挫折しバットの代わりに1万円のギター(アンプ付)を持ったことがきっかけです。それまでも作曲に興味があり、ガラケーの「へたくソング」というアプリで曲(のようなもの)を作ったり、部活の帰り道に自転車をこぎながら、思いついたメロディをボイスレコーダーに吹き込んだりしていました。
キーやコードという概念がよくわからず、ヤフー知恵袋などを検索して勉強していたことを思い出します。ギタナビというサイトで一人ギターの練習をしていて、UNLIMITSの「クローバー」という曲が掲載されておらず、問い合わせて掲載してもらったり(今久しぶりにUNLIMITSを聴きながらこの文章を書いているのですが、今すぐにカラオケボックスに飛び込んで彼女らの楽曲を歌いたい欲求に駆られています。エモい)、鴉の「夢」やワンオクの「完全感覚Dreamer」も好きで練習したりしていたな。
2ちゃんねるの音楽スレッドを漁り、ゆらゆら帝国とナンバーガールとスーパーカーを知りました。メジャーとは違う音楽を聴いていることに優越感を感じたかったのもあると思います。背伸びしてビートルズのアルバムをレンタルしてみましたが、この当時は良さがあまり分かりませんでした(Yesterdayは好きでした)。
SCHOOL OF LOCK!もこのころから聞き始め、ベボベや9mm、ステレオポニー、凛として時雨などを聴くようになりました。神聖かまってちゃんも好きでした。
大学時代
大学で初めて、音楽系のサークルに所属し、軽音楽部とジャズ研を掛け持ちしました(高校にも軽音同好会はあったのですが、当時入るには自己肯定感が足りませんでした)。
ジャズには当初興味がなかったですがサークルの雰囲気に惹かれて、軽音楽部は新歓ライブでナンバーガールのコピーをやっていた軽音楽部にハートを射抜かれ、新歓が終わるギリギリのタイミングで入部しました。
どちらのサークルにもディープな先輩がおられ、ジャズはグラント、フレディの両グリーン氏やケニー・バレル(ギタリストばかり)、ロックはリバティーンズやストロークスにフランツフェルディナンド、邦楽ではUNCHAINやTMGEなど、名盤&名バンドをたくさん教えてもらいました。後輩からもXTCやGRAPEVINEなどを教えてもらい、すごく充実した音楽ライフだった気がします。
軽音では[Champagne](現[Alexandros])やUNCHAINのコピバンをしたり、東京カランコロンやアークティックモンキーズのコピバンを聴いて悶えたりしていました。
ジャズ研ではヘッダー画像のような箱モノギターを駆り、ビッグバンドでギターを担当していました。「四つ切り」という傍目から見たらとてもツマラナク映るであろう奏法の奥深さを先輩から教えてもらい、音色を味わいながら刻んでいました。アドリブは最後まで弾けるようになれずじまいでした。
このときからギターでの作曲を始め、ちょっとずつオリジナルが増えていきましたが、誰かに聴かせることはほとんどありませんでした。へたくそでセンスのない自分がオリジナルのバンドを組むなんて考えられませんでした。軽音の同級生は続々とオリジナルバンドを組んでいて、僕は彼らのパフォーマンスを指をくわえながら観ていました。
社会人
人前で音楽をすることの楽しさをちゃんと感じられるようになってきたのは、社会人になってからでした。鳥取は音楽を披露する土壌が少なく(鳥取市内のライブハウスは1つしかありません。僕が知らないだけかもしれませんが)、サークルでは身内だけでライブをしてました。
都会は僕のことを知っている人は誰もいないので、このタイミングしかないと思い切って、日吉のライブハウスの門戸をたたき、月一のペースで弾き語り出演するようになりました。
そこで数多くの横浜のミュージシャンの方々と知り合い、またマスターからは出演の度に感想とアドバイスをもらい、少しづつスキルと自信を蓄えられていきました。オリジナル曲も少しづつ増えていきました。
そして、僕と同じタイミングで上京してきた大学の友達と偶然出会い、オリジナルのバンドを組もうという話になりました。大学時代の僕なら躊躇していたでしょうが、今なら僕でもオリジナルが出来る、と思い結成に至りました(現在は解散しました。そのことについては、別の機会に書けたらと思います)。
現在
今は…。たまにオープンマイクに出たりたまにカラオケに行ったり。目の前の生活を何とかすることに意識が向かうと、どうしても音楽から離れてしまいます。ボイトレも2018年の9月あたりから再開しましたが、すぐに財政難に陥りまた休止中です。
お金をもらうことに繋がらない趣味としての音楽は、余暇を楽しい色に彩ってくれるのかもしれませんが、その分自分の首を絞めていっているのではないかという不安があります。うつつを抜かさず勉強を優先したほうがいいのかな、と。規律を優先しつつ、情熱がくすぶっている状態です。
思えば、僕の音楽遍歴は、他者の目とどう折り合いをつけるかの自分との戦いの歴史だったと思います。人からどう思われるかの不安が、音楽を披露する楽しさを上回ることを夢見て、音楽を続けてきた気がします。今は以前の自分より前に進めるはずです。進めるでしょうか。