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自分は失敗をキャリーオーバーさせているのではないか
はじめましてかっつん(@kattsun4416)です。
小さい失敗を重ねられる人になりたいと思うのは、自分はそうではないという自覚があるからです。しかもそう言いつつ、実際に「だれかが失敗しているシーン」に遭遇したら、その規模の大小を問わず、僕はその失敗を批判する側に回るでしょう。笑う側に回るでしょう。もしくは「あーあ、やっちゃってるよ」と自分の境遇に半ば安堵しながら遠巻きに眺めていることでしょう。または恥ずかしくて見てられず、すぐにチャンネルを変えてしまうでしょう。
ましてや、自分がその立場に立つと一瞬でしょげ返るでしょう。
そうなるのは、自分の中で失敗の定義があいまい、つまり自分が頭で考える失敗と本当の失敗のギャップが大きいからなのかもしれないなあと。
失敗を経て現在成功している人には敬意を払えても、いざ現在進行形で失敗を重ねている人に会ったら、果たして尊敬の気持ちが僕の中に生じるのか、大いに疑問です。
僕は極端に失敗したくない人です。仕事でも人間関係でも、傍観者なのです。失敗したくないから、「失敗する人になりたい」とのたまっているのです。自己矛盾。
人に言われたことしかできないのも、こうしたマインドセットが関係しているのでしょうか。
頭でっかちの僕が「失敗を恐れず挑戦しなきゃだめだよ!」と言い、もう一人の僕は「うーんそうだよねえ」と言いながら傍観している。大きな揺り戻しが来ることを頭のどこかで感づいていながら、頬杖ついて眺めている。
死んだこともないくせに、死ぬよりも失敗の方が辛いと考えています。理想は我が身構わず自分をさらけ出して、危険に飛び込んで行きたいのだけど。その理想は今日も安全な頭の中でだけ再生されています。
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