右手、中指、ブラックリング
私と、いきぐるしい誰かのために
黒い指輪を買いました。
右手の中指のサイズに合わせたものです。
これだけで意味がわかる人は、まだまだ少ないと思います。
セクシャルマイノリティという言葉を耳にしたことはあるでしょうか。LGBTを含む、いわゆる多数派とは異なる性のあり方をする人々です。これについては曖昧な知識で説明するべきではないので検索してみてください。丸投げして申し訳ない。
その中の無性愛者=アセクシャル(Aセクシャル)の象徴として、黒い指輪を右手の中指にはめるというものがあります。「エースリング」とも呼ぶそうです。私はそれを実践しています。
ひとつは、自分の拠り所をつくるために。もうひとつは、誰かの拠り所をつくるために。
私は「パンロマンティック・アセクシャル」を自認しています(※2020年現在)。
「全性に恋愛感情を抱き(パンロマンティック)」、また「他者との性的関係を望まない(アセクシャル)」。LGBTという短い言葉では説明できないことを、なんとか説明しようとした結果です。
※追記 なんかパンロマは違う気もしてきました ビアン寄り……?(2021年)
断っておくと、私には性嫌悪があるわけではありません。どころか仲のいい人とは手を繋ぎたいし、ハグもするし、下心のない友達とのスキンシップも平気です。ただ、やはり他者に性的欲求が向かないという点で、アセクシャルだと考えています。
つまるところ、恋愛と性愛が結びつかないのです。(和製の呼び名としてノンセクシャルともいいます)
その中でも微妙な立場です。性愛をテーマにした作品を読むし、ラブソングを聴くし、交際経験もあります。だからといって自分が性的接触をしたいわけではありません。
はっきり言ってめんどくさい性質です。どっちつかず過ぎない? という意見もわかります。でもそういうものなので……(ろくろを回す)。
さて、パンロマンティックとアセクシャルは一見正反対のようで、とても近い関係にあります。
恋愛と性愛が結びつかないということは、恋愛において性を重視しないということです。したがって、「全性に対して恋愛感情を抱く」パンロマンティックと、「全性に対して性的欲求を向けない」アセクシャルは、矛盾せずに両立します。
そもそも性的な関係がいらないのだから、相手の性別による影響は少ないというのが個人的な気持ちです。
(Aセクにもいろいろあります。異性に惹かれる人、同性に惹かれる人、恋愛感情のない人など、傾向は様々です。私は性別によらずすらりとしたシルエットや会話の面白さに惹かれがち!)
で、思ったんです。
一緒に生きたいと思う人を決めるときに、なんで異性の中から選ばなきゃいけないんだろう。
男も女もそれ以外もみんな好きなのに、なんで結婚は男の人としかできないんだろう。いちばんたいせつな人に性別は関係ない。人生の相棒としての形が、異性間の結婚しかないのは不便じゃないか。
私はまだ学生です。異性と結婚するかもしれないし、同性と暮らすかもしれないし、独身を貫くかもしれない。子供を産んだり育てたりするかもしれないし、しないかもしれない。その時にならないとわからないのに。世間の普通はあまりにも限定的すぎないか。
とはいえ、たいして落ち込んだり悩んだりしていません。たくさんの選択肢があることに早めに気づけてよかったと思います。
それと同時に、アロマンティック(=恋愛感情が他者に向かない)の方々には生きづらい世界だとも思います。異性愛を前提とする世の中は変わりつつありますが、性愛を、ひいては恋愛を前提とする世の中からは、やはりまだ抜け出せていません。
相手に危害を加えないのなら、誰をどんな風に好きになってもいい。誰も好きにならなくてもいい。そんな世の中になればいい。
けれど、そんな世の中にするための手段を私はまだ知りません。いまの私にできるのは考え続けることくらいです。
だから、多数派じゃない奴がここにいるよ、と示すためにも、しばらくは黒い指輪を右手の中指にはめようと考えています。
話は逸れましたが、これが誰かの心の支えになればうれしいです。
私は胸を張ってここにいるし、あなたもそこにいていい。恥じる必要などない。誰しもが同じ生き方をする義務などないのですから。