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北極圏・ラップランドひとり旅 8日目
September 20, 2019
Urho Kekkonen National Park
ラップランドの夜は長い。
それは極夜のように太陽の沈んでいる時間が長いという意味ではなく、電気も電波もない場所では暗闇の時間が長い、という意味だ。
都会には暗闇というものが存在しない。お店の看板や信号、巨大な街頭モニターや車のヘッドライトなど、常に何かの明かりが僕たちを照らし、昼と同じように活動できる。テレビは24時間流れているし、スマホをひらけばすぐに誰かと繋がることもできる。
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それに比べ、ハットには電気も電波もなかった。丸太を組み合わせて作られたこの建物には照明がなく、外の寒さを防ぐために窓は小さく作られていた。それゆえ昼間も薄暗く、夕方になると室内は驚くほど真っ暗になった。あまりに何も見えないので、僕とユウは外のファイヤーサークルで焚き火をしながら夜遅くまで話をした。
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朝、僕らは一緒に朝食をとり、お互いに写真を撮り合い、別々の方向へと歩いていった。たった一晩だがとても楽しい時間だった。彼が気まぐれでサーリセルカから散歩に出掛け、僕がこのハットを気に入って逗留しなければ、きっと一生出会うこともなかったはずだ。サトルもだけど、日本から遠く離れたこの場所で、同じ言語を喋る友人ができたのが奇跡のように思えて、僕は嬉しかった。
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ここから先の道はこれまでの道と明らかに違っていた。道はあるが、誰かが歩いた気配がない。日帰りでハイキングするには遠く、多分あまり人が来ないのだろう。途中、マウンテンバイクに乗ったカップルが僕を追い抜いて行ったが、それ以外は誰とも会わなかった。
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目に映る景色の全てが美しかった。多分季節が秋というのもあるけど、木々が葉を落とし、色が少なくなった世界で、森全体を包む空気が白っぽくなっていた。その白さは夕暮れに郷愁とか哀愁を感じるように、僕の心に少しだけ寂しさをもたらしていた。寂しいことは美しいことなんだな、と感じた。
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テントや寝袋、食料などを詰めた14kgのバックパックと、レンズやドローンを入れて前に抱えた5kgのリュックサックが僕の肩に食い込む。地衣類でふかふかの足元が、僕の体重と荷物の重さで少し沈むのを感じる。休憩しようと思い、近くにあった枯れ木に腰掛けた。
誰とも出会わない時間だった。歩きながら聞いていたポッドキャストを止めると、森は静かに風を吸い込んで呼吸しているようだった。
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景色はどこまでも美しく、道はどこまでも続いていた。ほとんど歩く人がいないのか、湿原に渡された木道は朽ちかけ、自然に戻りつつあった。足を置く度、少しグラつく木道を歩きながら、僕はあることを思い出していた。
一年前、僕は一本の道を歩いていた。その道は広く、どこまでも続くかのように思える道だった。ずっと先の未来まで続き、自分の心臓が止まるその時まで歩くんだと、漠然と信じていた道だった。でも、その道はだんだんと細くなり、この木道のように途中からボロボロと崩れ、足を置くと不安定になった。一歩一歩が綱渡りのようになり、僕は踏み外さないよう、慎重に歩いたけれど、結局最後には崩れてしまった。道は途切れてしまった。
何が悪かったとか、誰のせいだとか、そういう話じゃなかった。ただ日々の中で何かがおかしくなって、少しずつ崩れていってしまった。たった二十数年しか生きてないのに、人生の全てを知ってしまったような気がした。あの日から、僕の秒針は止まっている。
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どれだけ歩いただろうか。太陽が傾き始めた頃、ようやく今日の目的地に到着した。そこにはドアのないシェルターとファイヤーサークル、薪小屋があり、少し離れたところに小川が流れていた。
シェルターにマットを敷いて寝ようとしたが、なんだかそんな気分じゃなかった。バックパックの中からタープを取り出し、太陽の見える小川の近くで寝ることにした。
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暮れてゆく空が美しかった。夕陽に照らされ、紅葉した地衣類が美しかった。全ては、変わるから綺麗なんだ。