情けはGIVE&TAKEの新渡戸稲造らず(母親って偉大)

こんにちは。
本日の記事には伝えたい情報が多すぎたので、題名を見れば大体内容を把握できるようにしました。
#センス無し

さて、今日は「情けは本当に人の為ならずなの??」というテーマで書きます。

突然ですが、「情けは人の為ならず」という諺は誰が作ったかをご存知でしょうか。
五千円札の肖像にもなった、日本の教育者として有名な新渡戸稲造博士です。

では、この諺の意味について正しいものはどちらでしょうか。

A.人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる。
B.人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない。

答えは、Aですよね。

簡単だろバカにすんなよ…ぶっ転ばすぞ!という声が聞こえてきそうですが、文化庁の平成22年度の「国語に関する世論調査」では、
Aの回答率は45.8%、Bの回答率は45.7%とその差は0.1%に迫っています。

この諺は古文のため、現代文に直すと次のようになります。
人の為ならずの「ならず」は〔断定の助動詞「なり」〕+〔打ち消しの「ず」〕ですから、「である+ない=~でない」という構文になり「人の為ではない(=自分のためである)」という意味になるのです。

(ちなみにBを言い表したい場合は「情けは人の為にならず」とすれば、〔動詞の「なる」+打ち消しの「ず」〕ですから、「なる+ない=~ならない」という構文になり、「人の為にはならない」という意味になります。)

僕が幼いころ

母はこの諺を繰り返し唱えていました。
母は優しい人でした。人前に出るのが苦手なのに、頼まれると断れない性格なのか、誰もやりたがらないPTAの役員や町内会の仕事を笑顔で引き受けていました。
毎日疲弊するような人間関係にも文句も言わず、どんなことにも「誰もやらないから私がやる」と言って震える勇み足で立ち振る舞っていました。
それでも日々神経をすり減らして明らかに疲弊しているし、少しずつ様子がおかしくなっていく母を見て、僕は幼心に「この諺は嘘だ」と思っていました。

大人になってもその思いは変わらず、世の中はギブ&テイクで回っているし、僕は自分がリスクを冒すのであれば相応の見返りを要求するような人間でした。
一方的に情けをかける(ギブする)なんて、なんて非合理的なんだ…という具合にです。

その中で、少しずつ考え方を変えようかな…と思ったのはアダム・グラント氏の「GIVE&TAKE」という本に出合ってからでした。

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この本の結論としては

「与える人(ギバー)こそ、幸せになれますよ」というものです。

胡散臭いですか?笑
そう言わず最後まで見ていただけると嬉しいです(※スピ系の話ではないです)。

グラント氏によると、世の中には3種類の人間がおり、「ギバー(与える人)」、「テイカー(受け取る人)」、「マッチャー(バランスをとる人)」に分けられます。
ただ、当然ギバーはただ与えるだけの人ではなく、テイカーは単に受け取るだけの人ではありません。最終的には「ギブ&テイク」で世の中が折り合っているのは事実で、この3種類が違うのは「ギブ&テイク」に至るまでの筋道が異なるのです。

テイカー(あまりいない):
目的は「テイク」にあり、自分の利益を得る手段として相手にギブする人
ギバー(あまりいない):
結果としてテイクが自分に返ってこようがこまいが、相手のことを考え真っ先にギブする人
マッチャー(ほとんどの人がこれ):
自分と相手の利益を考え、ギブ&テイクが五分五分になるように調整し、「あなたが何かしてくれるならこちらも何かしますよ」という姿勢の持ち主

本書では、度重なる実証実験の結果を交えた考察やその筋では著名な人物達のケーススタディを取り上げ、テイカーは貪欲にのし上がることを考え、他人の幸せなど関係なく搾取し続け、やがては人に妬まれ凋落し最終的に失敗しますし、マッチャーは、可もなく不可もない平凡な人生を歩むのだということを論じています(めちゃくちゃ要約してますが)。

そしてこの3種類の中で、実は一番成功するのもギバーだし、一番失敗しやすいのもギバーですよ!と書いています。※ここでいう「成功」は自分の夢を実現するこができると定義します。

まず、ギバーがなぜ成功するのか?

それは「見返りを求めないギブ」は、その人に特定人物固有信用を蓄積させるからです。

心理学者のエドウィン・ホランダーは、人がグループなかで寛大に振る舞うと、「特定人物固有信用」を得ると主張しています。これは、グループのメンバーの中に積み立てられる信用のことです。
この信用は、見返りを求めない純粋なギブをすることで積み重なり、この信用が多ければ多いほど周囲の人は「この人のやることや言うことなら、何でも聞いちゃうし何でもやっちゃうなぁ」と思うようになる、というものです。
期待から外れたことをしても認められてしまうということですね。
つまり、「何か変なことや大それたこと」を思いついて実行したとしても、「それが許されるし、応援されるようになる」ということなんです。
このことについて、ベンチャーキャピタリストのランディ・コミサーは本書の中でこう説明しています。
「誰もが勝たせようとしてくれれば、勝つのは簡単だ。まわりに敵がいなければ、成功するのは簡単になる」

でも、です。

見返りを求めないギブって中々難しいものですよね。
限られた時間の中で成果を出さなければいけないのに、他人に無償の愛を注ぎ続けるなんて、親か聖人君子でもなければ正直厳しいっすよ…。

先ほど、一番失敗するのもギバーだと述べましたが、正に壁はここにあります。
他人を助けるのはとても良いことだけど、それによって自分の時間がなくなり、自分自身の目的や利益追求を達成できなければ、仕事として成り立たないじゃないか、ということですね。

この指摘はその通りで、成功するギバー(大事にされる人)と失敗するギバー(利用される人)の違いはここに集約されます。

つまり、自分の利益追求もしっかりやっているかい?

ということです。
いやいや、見返りを求めないのがギバーだろ?という声が聞こえてきますが、視点を少しズラしてみることが重要です。
自分の利益追求が前提にあり、それを指針に、見返りを求めない無償の愛を「いつ、どこで、どのように、誰に与えるか」については、他の誰でもない「あなたが」決めていいのです。

求められるがまま、言われるがままの自己犠牲を前提としたギブは、必ず身を滅ぼします。
なので、その時の自分にできる精一杯のギブを、その時必要としている人に、必要な分だけ分けてあげるだけでいいんです。

※ただ、「ギブした結果、その人の役に立ったことが明確に分かる」ことが大事です。そうでないと「ギブ疲れ」に陥ってしまうので注意が必要です。

こうした無償のギブは

巡り巡って自分のもとに返ってくるまで(信用が蓄積されるまで)、相当の時間がかかります。下手をすれば帰ってこないうちに一生を終えてしまうかもしれません。

だから僕は、新渡戸博士のあの言葉が再び脳裏に浮かびます。
「情けは人の為ならず」という諺は新渡戸博士の唄の一節を抜き出したもので、実は続きがります。(新渡戸稲造 【新訳】『一日一言』より引用)

「施せし情けは人の為ならず おのがこころの慰めと知れ 我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をばながく忘るな」

【解説】
恩を人に施したと思っているから、彼は恩知らずだと腹の立つこともあるのだ。だが、恩は自分が受けるもので与えるものではない。だからこそ、自分が受けた恩は決して忘れてはならないし、施したと思うのは、決して恩ではないと思え。

この言葉は、「恩という言葉を使えば、どうしても見返りがあってこそだと考えてしまう」ということを前提に、次の二つのことを教えてくれています。
・誰かに恩を受けたのなら、それを忘れず当たり前のこととして人に何かをしてあげなさい。
・何かをしてあげたら、そのことは忘れなさい。忘れないとそれは、「恩」になってしまうから。


という訳で、本日の結論は次の通りです。

・世の中で最も失敗しやすいのはギバーであり、最も成功しやすいのもギバー
・ギバーが成功するのは、ギブによって特定人物固有信用を蓄積できるから
・ギバーが失敗するのは、ギブによって自分のことを度外視して人を助けてしまうから
・その2つを分けるものは、自己犠牲心を持ってしまっているかどうか
・だからいつ、どこで、誰に、どうやって、何をギブするかは「あなたが」決めていい
ギブされたことは覚えておき、ギブしたことは忘れるべし
・そうすると、めちゃくちゃ巡り巡って、信用があなたを助けてくれることがあるかも知れません

正直者がバカをみるといったような環境に身をおいたり、偽善者は叩き潰す!というような言葉を浴び続けると、「わざわざ人の為に何かをする」という敷居が高くなってしまう気がします。

でも資本主義においては、最終的には自分(自分たち)の利益を追求するなんて当たり前のことだし、1秒でも1文字でも1言でも誰かの役に立っていたり、意味のある行いなのだとしたら、それはとても価値のあるギブですよね。

だから今は、そんなに難しく考えず、情けは人の為にもなるしきっと自分の為にのもなるから、「自分にできることを少しずつ」をモットーに頑張っていきたいなぁと決意を新たにしています。

今、母に当時のことを聞いたら、どんな反応をするだろう…。
きっと、家族の体裁や様々な所属との関係を守るために必死にギバーを続けてきたんだろうな。
母はいつも疲れていたけれど、彼女の口癖はいつも「色んな人に助けられてる」でした。
今はきっと疲れてはいませんが、口癖は同じです。

母親ってすごいなぁ。

時勢的に中々実家へ帰ることが許されないので、テレビ電話でもしてみることにします。

それでは、よい週末をお過ごしください。

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