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失敗だらけの白鳥ロケット打ち上げ
はじめに
2016年(白鳥,大学1回生春休み),何かに情熱を持って取り組みたいと思い,2回生になる直前でも所属できそうな学生団体を探していた.
そもそも「宇宙」に興味があったから物理学を志したことを思い出し,今からでも宇宙に関わることを始めたいと考え,とある団体にコンタクトをとった.
内容は「宇宙に興味があります!仲間に入れてください!」というもの.
設立者にして代表のHさんと図書館でお会いして,即加入することになった.
ロケットを作る団体RiSA
団体の名前はRitsumeikan Space Association (RiSA).当時設立3年ほどの学生団体であった.
メンバーは機械工学科の学生がほとんどにも関わらず,物理科学科が所有する「実験工房」を活動場所(住処)としていた.
幸いにも,物理科学科の学生である白鳥が加入したことで,実験工房を占拠する大義名分?を得たのであった.
RiSAの主な活動は大型モデルロケットの製作で,毎年夏に日本中のロケット学生団体が集まる能代宇宙イベント(秋田県)に参加することであった.
大型モデルロケットの製作プロジェクトが走っていない時は,小型モデルロケットを各自製作して打ち上げたり,理工学部の学生や近所の子供達にモデルロケット教室を開くなどの地域貢献活動に力を入れていた.
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1mmが近似できない世界
何かと近似を使うことが多い物理の世界.工学の世界は違う.
その違いを痛感したのが,ロケットのボディを製作していた時だ.
設計図をまともに用意せず,1mmなど誤差だと感覚的に製作し,先輩方からダメ出しされてしまった.
ノギス持った先輩に「ここの寸法は?」と聞かれ,嫌な汗をかいたことを覚えている.
LEGOみたいに思いつきで製作するおもちゃとは違い,小さいながらも固体燃料エンジンを載せるロケットである.
「1mmくらい近似」することで「武器」になりかねない.白鳥の認識が甘かった.
失敗するべくして失敗し,成功するべくして成功する不確定性の存在しない工学の世界の入り口に立った気がした.
エンジニアリングとサイエンス
RiSAには活動場所が必要であった.
そこで,代表のHさんが物理科学科(実験工房)のH先生(後述)を顧問の先生にすることで,実験工房を実質的にRiSAの活動場所にすることに成功していた歴史があった.
しかし,物理科の先生方からは「物理科の実験工房を実質的に占拠しているサークル」「でかいロケット花火をただ打ち上げてるだけ」という痛い意見を頂戴していた.
思い出作りより研究活動
それらの意見を真摯に受け止め,H先生を交えて全体会議.
サークルではなく,研究団体になるためには,「思い出作り」より「研究活動」をしようという話になった.
H先生がおっしゃるには,物理科の先生方に認められるような研究活動にとって重要な要素が以下の4つある.
エンジニアリング(How)だけでなくサイエンス(Why)を
学業との相互作用(勉強したことを応用する)
他の真似をしない(研究の改良や発見)
他が理解できるよう記録に残すこと(研究発表)
今考えれば,これぞまさに研究の基礎.
白鳥は無意識にも学生活動において,地を開拓する術である「研究」の基本に触れることができていたのだ.
白鳥老いやすく学なりがたし
先に述べた精度の違いも含めて,物理科学科で教えてもらえないことばかりであることに気づいた.
白鳥は「わからないことがわからない」と言い訳をして,先輩方が丁寧に教えてくれるのを心のどこかで待っていた.
大学受験の延長で「あまりにも受動的に学ぶ姿勢」が影響していたのかもしれない.
そう,白鳥は大学での学びのパラダイムシフト「受動的な学びから能動的な学び」を実現していなかったのだ.
そうこうしているうちに時が経ち,先輩方が引退してしまった.
プロジェクトマネジメント
新入生同士で組んだ能代宇宙イベント(2016年)のプロジェクトにおいて,白鳥は「プロジェクトマネージャー」を仰せつかった.
メンバーの進捗管理を行い,滞りなくロケットを製作することが役目である.
結論から言うと,メンバーとのミスコミュニケーションの多さとプロジェクトの遅延に辟易し,挙げ句の果てには「プロマネは一人でロケットを製作できるくらい完璧でないといけない」と思う悩むようになってしまった.
大学生でロケットをゼロから製作することが一人でできるはずもなく,白鳥は努力の方向を完全に間違え,空回りしていた.
先輩方の助けもあって,なんとかロケットを製作し打ち上げることができたが,プロマネとしては失敗で,「あんなに時間をかけたのに」という無力感を味わっていた.
ただ,打ち上げが成功した時は大変救われた気がした.
アルミ加工と電子工作
能代宇宙イベントを終えて,白鳥の世代がRiSAを引っ張っていくことになり,学びを進めていかねばいけなかった.
そこで,白鳥はアルミ加工と電子工作に力を入れることに決めた.
もしかしたら,アルミ加工は他の人のサポートになるかなと思っていたが,RiSAとは関係なくほとんど趣味の領域でやっていた.
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このアートは誰にも理解されなかった.死後に値段上がるパターンである.
工作実習などがない物理科学科の学生としては,ボール盤,旋盤,フライス盤を始めとする工作機械に触れることができたのは本当に良い機会だった.
この経験は「何かを作りたい」と思った時に,実際の工程を想像する上でも大いに役に立った.
例えば,草津天文研究会でプラネタリウムのドームを製作した時がそれだ.
電子工作はロケットに搭載する電装を製作するため,マイコン(Arduino)プログラミングから始まり,電子回路設計やブレッドボードでの試作,そしてハンダ付け等を身につけることができた.
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Open RocketとAdobe Illustratorでの設計から始まり,ケント紙での工作,そしてセロファンとゴムにより制作されたパラシュートを内蔵してロケットが完成した.
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残念ながら電装はうまく起動しなかったので,ペイロードに搭載しなかったが,打ち上げ自体はうまくいった.
RiSAで学んだ電子工作の技術はインド留学でのプロトタイプ作成やスマートゴミ箱の製作プロジェクト(加筆修正中)に生かされることになった.
「頑張っているのに」という錯覚
地域貢献活動は学生団体の実績になる.
RiSAが大学から資金的援助を受けるためには必要なことである.
そこで,理工学部学生向けに行っている「理工学部企画」を白鳥が引き受けることになった.
宇宙開発の歴史やロケットの原理などのセミナーに加えて,モデルロケットの製作と打ち上げがセットの豪華な内容である.
白鳥は他の学生活動(加筆修正中)のおかげもあって,大学構内でどこにどのようにして広報ポスターや三角ポップなどを置くことができるかを熟知していた.
それらの広報や理工学部事務室との手続き(教室の予約や費用の見積もりなど),そして講演までをほとんど全て一人でやり切ってしまった.
一年前にプロマネとして感じた「無力感」を払拭するためとはいえ,またしても人の力をうまく使えずに消耗していた白鳥であった.
何も手伝おうとしてくれない他のメンバーにダメ出しを受けたことに辟易して「白鳥,RiSAのためにこんなに頑張っているのに?」といった趣旨の発言をしてしまった.
そもそも誰にもヘルプを求めず,これを一人でやっている自分すごいと溺れていた哀れな白鳥と,他のメンバーとの衝突が団体運営へ影を落とし始めていた.
団体解散の危機
同回生で代表を引き継いだHが後輩からの執拗なパワハラ?に耐えられず,職務を放棄し失踪してしまった.
緊急会議が開かれ,Hに執拗なパワハラ疑惑の後輩が投票により次期代表になった.
「この団体を引っ張ることができるのは白鳥しかいない」という謎の自信と周囲からの信頼の乖離に落胆した.
転換点で責任放棄
白鳥はRiSAから距離をとるために「留学準備で忙しい」ことを理由に休部をした.時は2017年秋セメスター中盤であった.
RiSAを辞めなかったのは,実験工房(当時,白鳥は実験工房にいすぎてマイデスクがあった)で気まずい雰囲気を作りたくなかったからであったが,我々の世代の引退とともに自然と卒業する流れになった.
残された学部生活をさらなる有意義な学生活動や留学に費やすことを心に決めた瞬間であった.
これが留学へより力を入れる転換点であったが,同時に他のメンバーや先輩方の期待を裏切り,RiSAでの責任を放棄することでもあった.
身勝手で心苦しくもあったが,限られた大学生活の中で学費分の元を取ってやろうと思ったら断然「留学」だと心を入れ替えていた.
当時,物理科学科の講義,他の学生活動(複数),留学プログラムなどの多くのタスクで白鳥自身のキャパシティの限界を認識しつつあった.
限界に近かった白鳥の背中を以下の言葉が押した.
最も重要な決定とは,何をするかではなく,何をしないかを決めることだ.
自由で開かれた実験工房
白鳥は学部生活の多くの時間を実験工房で過ごした.
冷暖房完備で冷蔵庫,電子レンジがあり,パソコンが数台あり,ドアのロックがコード入力のため,いつでも入退室可能であるという研究室のような場所が実験工房である.
前述の通り,白鳥はマイデスクをいただいて,平気で夜中までいることも多かった.それほど居心地が良かった.
物理科学科の中でも少し変わった人間(白鳥を含む)が出入りする以外に,RiSAのメンバーにとっての憩いの場になっていた.
実験工房担当の講師にしてRiSA顧問のH先生は,趣味で多くの映画(SFやノンフィクション)や書籍を置かれていたため,全く退屈しない場所であった.
「もっとたくさん本を読みたい,映画を見たい」という白鳥の根源的な知的欲求を開拓した場所でもある.
有川浩の小説「キケン」に出てくるような自由な環境は,まさに実験工房であった.
白鳥が学部生活で関わった活動の約半分は,実験工房なしには成し遂げられなかったと言っても過言ではない.
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徹夜ボーリング
H先生は実験工房やRiSAの学生を連れて,夕食や京都のラウンドワンでボーリングをすることがあった.
ラウンドワンの投げ放題のシステムを巧みに利用した「徹夜ボーリング」は白鳥の学部生活の中でクレイジーだった思い出の一つである.
白鳥は数回参加したが,いまだに徹夜ボーリングをする理由は不明である.「苦しみ」を超えた先にある狂気にも似た「可笑しさ」を感じた.
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2017年末,白鳥の卒業研究室配属が決まり,実験工房を去らざるを得なくなった.
H先生への感謝の気持ちを込めて,よくいじられていたH先生の顔写真をあしらったユニクロオリジナルTシャツをプレゼントした.
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あの実験工房で面白いこと考えてる学生同士が自由にわちゃわちゃやっていると思うと本当に羨ましい.
もうあの時には戻れないと思うと胸が締め付けられる.
現在のRiSA
RiSAは「学びのコミュニティ集団形成助成金支援団体」から「理工学部プロジェクト団体」に昇格したものの,人数が集まらなかったようで,RiSAは解散してしまった(2022年).
またしても白鳥は後世に残るような団体を形作れなかったのは残念だ.
おわりに
RiSAで白鳥は本当に多くの失敗をした.
しかし,このRiSAでの失敗が圧倒的に白鳥の世界を押し広げたのは間違いない.
大学生活においては,怠惰で無知な自分を能動的にならざるをえない環境に身を置くことが大切である.
なぜなら大学の学費には「待っていたら訪れない学び」も含まれているのだから.
RiSAでの経験や学びが白鳥にさらなる自信をもたらし,その他の学生活動や留学に邁進していく.
To be continued.