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子どもを自殺から守るためにはどうすればいいか?

ココオルの丸田です。

再度、ココオルの仲間から良い記事が上がってきたので展開します!


彼女の自己実現もぜひ僕、ココオルでうまくコラボできればなとは思います(^^)


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ご挨拶

丸田勝也の中学校同級生「ゆきわ」です。学校関係者で30代、2児の母をしています。

丸田くんは本来、エンパワメントとかされなくても自家発電できるような強い人です。

でも、同級生として関わるうちに色んなことが見えてきて、多かれ少なかれ大変な思いをしていることがわかってきました。

同級生としては「あなたがしていることは、とても大切なことなんだよ」というメッセージとエールを送りたいところです。

それで、ある専門誌を見ながらまとめたノートをFacebookのプライベートグループでシェアしたところ(写真)、丸田くんは「こういうのも、noteにしたいなあ」とのことで、今に至ります。

ココオルのミッションは「自殺撲滅」で、丸田くんは特に子どもを大切にするので、子どもを自殺から守るという内容で記事を書くことにしました。

実は私、「撲滅」という言葉が性に合わなくて好きではないのです。

でも、他に適切な表現がないというのもありますが、「自殺予防」でもなく「自殺防止」でもなく「撲滅」だからこそ、丸田くんの強い決意と熱い思いが感じられてリスペクトするし、だからココオルにジョインしているのです。

丸田くんも、ふわっとした感じの私をそのまま認めてくれているようです。

ふわっと真綿で包むようにやんわりと、人々の力になっていけたらいいなと思います。

でも、ふわっとやんわりだけでは救えない、そんな場面があるはずです。


ゆきわ木綿

ちなみに私は「ゆきわ木綿」という衣類の店を持ちたいという妄想をしたことがあり、「ゆきわ」は漢字で書くと「雪輪」で着物などに使われる文様、「木綿」の響きは英語の「moment」に似ていることから「伝統」も「瞬間」も大切にできる自分というポリシーを持っています。

ふわっとやんわりの部分は、伝統とか、これまでの関係性であるとしたら、momentすなわち瞬間とは、身近な子が「死にたい」と言ってきたその時なのだと思います。

「時間がある時にじっくり聞くからね」ではなく、きっとその時が大切です。どう対応するかも大切です。私たち大人は、適切な対応ができるでしょうか。

前述の専門誌を引用しながら見ていきましょう。


子どもの「死にたい」→大人のNG対応とは

まず、子どもが「死にたい」と言ってきたときに大人が言ってしまいがちなNG対応です。

「そんなこと考えちゃダメだよ」と頭ごなしに指導

「死ぬ気になれば何だってできる」と励ます

…いずれも「死にたい」という子どもの気持ちをありのままに受け止めておらず、なぜそんなことを思っているのか、子どもの情景が見えない会話。

「神様は乗り越えられない試練は与えない。がんばれ」

…「乗り越えられないと思うから死にたいのに、わかってもらえない」「これ以上、何をどうがんばればいいのか」という気持ちになってしまう。

「命は大事にしないとダメだよ」

「そんなことをしたらお父さんお母さんが悲しむよ」

…いじめや虐待などを日々受け、粗末に扱われている子には、どうやって命を大切にするかわからないだろうし、虐待する親が悲しむことも想像できないかもしれない。「この世に生を受け親に感謝しろ」と言われて、それができない自分はやっぱりダメな人間と思ってしまう。

では、どうすればいいのでしょうか。

大切なことは、受け止め、聞くこと

大切なのは、死にたいと思っているほどつらい気持ちを受け止めることです。

どんな死にたいほどつらいことが起きているのかを、子ども自身に聞いてみる。

「死にたい」と言われたとき「死にたいと思うの」とありのままに受け止め、「なんでそんな風に思うの?」と詳しく聞きながらその子の心の中の情景を見せてもらう。

死にたいと思っている状態のときは、「ここを抜け出す方法は死しかない」と思考が狭窄しているので、会話の中で困りごとをシェアしてもらいながら、解決策をともに考えていくことが大切です。

子どもたちは、どんなことを理由に自殺に追い込まれているのでしょうか。

子どもの自殺理由

報道などでは、「いじめ」による自殺が印象的ですが、子どもの自殺の原因・動機に、いじめはそれほど多くありません。

家族からの叱責や親子関係の不和、学業問題などが理由の上位を占めます。

最も多いのは…

小学生「家族からのしつけ・叱責」

中学生「学業不振」

高校生「進路問題」

どの子どもも経験するような、日常にある悩みごとで子どもたちは自殺に追い込まれています。そしてこれら全てに大人が関わっていることは見逃せません。

どんなしつけをしているか

勉強についていけない子にどのような指導をしているのか

進路に悩んでいる子の相談に乗っているのか

経済的な救済をしてあげているか

大人たちが、声かけや指導・しつけのあり方を見直し、SOSを受け止められるよう行動変容することで、子どもの自殺は減るはずです。

しつけについては、自殺には至りませんでしたが、子どもの頃につらい思いをしたという友人がいます。殴る・蹴るの暴行を受けていたので、もはや虐待です。

その友人の話を聞いたとき、以前、丸田くんがシェアしてくれた記事を思い出しました。

記事のタイトルは

“水着で隠れてる場所だけじゃない…小中高生に伝えたい「性教育で一番大切なこと」”

で、あくまでも性教育の話題なのですが、最後のページには『CAPセンター・JAPAN』の子どもへの暴力防止プログラムにある「NO GO TELL」が紹介されています。

嫌と言っていい(NO)

逃げていい(GO)

誰かに話していい(TELL)

です。これは性暴力に限らず、あらゆる暴力から身を守るにあたって役立つことです。ただ、これを子どもたちに伝えても、実際に「役立つ」かどうかは、大人の理解や姿勢に左右されます。

子どもが「TELL」した時に、きちんと耳を傾けるなど、「安心できる大人」「信頼できる大人」でありたいと思います。

丸田くんは、教育・福祉・医療などの専門的な教育は受けていませんが、独学や様々な活動、法律や論文から学び、既存の問題をイノベーティブとかなんとか言いながら、独自のセンスでココオルを展開しています。

先日は、Facebookのプライベートグループで「声かけ」の大切さについて、私をタグ付けして「まずは気にかけていることを伝えることは大切だと思っています」と意見を述べ、これをココオルのテクノロジーに取り入れていきたいと話していました。

私はちょうど、前述の業界誌の特集で「TALKの原則」という内容を読んでいたので、丸田くん、いい線いってるなと思いました。

TALKの原則

TALKの原則というのは、死にたい気持ち(希死念慮)があるかどうかわからないときに使われる手法で

Tell … 言葉に出して心配していることを伝える

Ask … 「死にたい」気持ちについて率直に尋ねる

Listen … 相手の気持ちを傾聴する

Keep safe … 安全を確保する

ということです。Tellが、大丈夫かなと気になっている子どもに対して「最近元気がないようだけど、何かあった?」「心配しているよ」などと伝えることです。

「心配している」という声かけだけで、子どもにとってケアになります。

そして何かあったときに「あの人はあのとき、自分のことを心配してくれていた」と思い出し、相談する相手として選んでくれる可能性も高くなります。

気になる子がいたら、躊躇せずに声をかけるようにしたいと思います。


ゆきわ木綿の実現に向けて考えていること

ところで、前述の「ゆきわ木綿」は私の妄想なのですが、半分は本気で考えていました。

私は、紺色のセーラー服(制服の冬服)の下にブラジャーしか着用していない女の子に出会ったことがあります。彼女はこれから高校生になるというタイミングでした。

事情はわかりませんが、言うまでもなく、普通は肌着も着るものです。

「衣食足りて礼節を知る」という言葉もあるぐらい、人間にとっては肌着も含めた衣服が大切だと思っています。

老若男女、赤ちゃんからお年寄りまで、皮膚に優しい天然繊維の肌着を確実に入手できる。

例えば、男の子で140センチ、綿100%のボクサーブリーフが欲しいとなれば、それが必ずある。そんな店を目指したいのです。

本当に半分は本気で考えていて、以前住んでいてそのまま所有している家屋が同じ町内にあり、隣の売地を足せば駐車スペースもできるし、営業時間は…などと、けっこう具体的に考えていたのです。

あくまでも生計を立てるための商売だけど、「ケア」や「人とのつながり」、「衣類を作る過程の何らかの体験ができる」といった要素も含めたいのです。収穫した綿花から種をとってみるとか、はた織り・糸紡ぎ・染色の体験ができるとか。

そんなビジョンを子どもの保育園のママ仲間にも話していました。

そのママは、私と同じ年齢。

自らが代表を務めるNPO法人の建物で、月に2回、子ども食堂を運営していました。

コロナ禍に入ってからは、お弁当をわたすスタイルで続けています。

彼女はNPO代表を務める才覚はありますが、先代からだったようで、自分の意志を尊重した結果、さらにクリエイティブな仕事をするために代表を降りたのです。

すると、その場所で子ども食堂を続けるのは難しくなった。

不可能ではなくても、気は遣う。

お弁当を作ってわたすにしても、その準備までにその施設の活動で使っていた資材を片付けて…といったことが、自分が代表を務めていた頃のようにはいかない。

だから違う場所を探して、前述の、うちが所有している家屋を見に来ました。

元気がなく、落ち込んでいる彼女。

子ども食堂を立ち上げて、それを続けたいがゆえに生じた悩みだから、レベルが高くて素晴らしい悩みだなと思うのです。

私たち夫婦は喜んで協力したいところ。

結果として、その家屋に炊飯器などを複数入れて、無事に途切れることなくお弁当渡しを続けることが叶いました。

子ども食堂をするということ、そのものが、子どもを気にかけることであり、そうやって一緒に生きてくれる大人がいることは、子どもにとって大きなプラスになるでしょう。

成長期の子どもが、きちんとごはんを食べられることが大切なのは言うまでもありません。

そこに人とのつながりをプラスすることで、心も満たされる。

日常生活で何か問題が起きても、心ある大人や仲間とつながっていることで、深刻な方向にはいきにくい気がするのです。

私が気にしている衣服の問題にしても、子どもたちにどうあってほしい?子どもにどう育ってほしい?といったことと密接だといえます。

今や小学生向けのファッション誌も出版されて、そうやって楽しく経済を回すのもいいのですが、きちんと肌着を着ているだろうかとか、そもそも服ってどうやってできるの?やってみるとけっこう面白かったり、誰かと一緒に作業して自分たちでできたという自信につながったりすることもあるかもしれません。

子どもたちと一緒に、生きることの根本を問い直したいと思うのです。

居場所があって雑談できること、日常の中で物を作るための作業をすること、そのような「文化の力」を私は信じたいですし、「ゆきわ」は、ともに生きる「幸せ」の「和」でもあるのです。

子ども食堂は月に2回ですし、「ゆきわ木綿」で作業的なことをするにしても、気が向いた時や機会があるときなわけで、ココオルもそうなんですけど、要はゆるくつながっているといいと思います。

テクノロジーやシステム開発、事業やフィナンスとか、難しいところは私にはわからないのですが、そこは丸田くんやエンジニアさんに任せて、私たちは楽しく・ゆるくつながって、仲良くほのぼのやっていければと思うのです。

ココオルのリビアヤマネコ

ココオルに対して、私は、人間の家にも出入りする野生のリビアヤマネコのような存在です。

リビアヤマネコというのは、ヨーロッパヤマネコの亜種で、イエネコ(世界中のありとあらゆる種類の飼いネコ)の祖先です。原種が今も野生で生息しています。

私には私の世界があり、持ち味がある。

それを時たまココオルで生かすという感じなのです。

最後に、「ゆきわ」のもう1つの意味をお伝えします。

時はコロナ禍。

ソーシャルディスタンスが重視されていたりして、人々のつながりが希薄になりがちで寂しいものです。

せめて心は「裄丈(ゆきたけ)」で。

和服で背中心から袖口の長さを「裄(ゆき)」といいます。

それぐらいの距離感で親身に。また、裄は人によって違うのでオーダーメイド(その人に合わせて)で「話」ができるといいですね。

文化の力。人のつながり。ともに生きること。声かけをすること。

そんなことを織り交ぜながら、ふわっとやんわり、子どもたちを包んで守っていくことができたら…

それが私の願いです。

☆出典☆
月刊『健』2021年5月号
特集 子どものメンタルヘルス
〜コロナ禍以前の問題とコロナ禍で起きたこと〜

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