『歎異抄』から学ぶ、心の救い
ココオルスタッフが記事を書いてくれたので、
僕のnoteで展開します!(以下よりスタッフの原文ママ)
ココオルスタッフの「ゆきわ」です
私は「ゆきわ」という名前でココオルに参加しています。
漢字で書くと「雪輪」で、これは着物などに使われる文様の一つです。
雪の結晶を文様化したものだそうで、雪は豊年の瑞兆とのこと。
だから縁起が良くて大好きです。
「大好き!」が道を拓くことがあります。
少し前に図書館で『猫はこうして地球を征服した』という本を借り、夢中で読みました。
もともと英語の本で、原題は『The Lion in the Living Room』…「居間のライオン」ってことですね。
私は昔から猫が大好きなので、猫のありとあらゆる魅力に共感できました。
あまりにも面白かったので、英語の原文でも読んでみたくなっていました。
そんな時、同じ図書館で『英語バカのすすめ』という本が目にとまったので借り、これまた楽しく読みました。
歎異抄
その中で有名な『歎異抄』が出てくるのです。
それも、海外の女性がその国の言語に訳された『歎異抄』を読んで感銘を受け、遠路はるばる「親鸞さまのお国」である日本にやってきたという素敵なエピソードとともに。
私も読みたくなって、昔から近所で仲が良かった、浄土真宗のお寺の娘さんに、『歎異抄』を知るならどの本がいいかとLINEで意見を聞きました。
娘さんは幼稚園の頃からの親友で、今は遠くに嫁いでいます。
でも、こんなことがきっかけで、今も一緒に生きていると思えるのです。
親友がすすめてくれた本は図書館になかったのですが、ひろさちや氏の『すらすら読める歎異抄』という本があり、借りて読むと、わかりやすくて良い本でした。
自力の心を捨てて他力を信じれば、お浄土のどまんなかに往生できるといった内容があり、これはあくまでも「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えて阿弥陀様に救っていただくという信仰の話ではあるのですが、少し現実世界にも通じるものがあると思います。
自分がやらなきゃ、自分が頑張らなきゃと思い込むより、他の人を頼ることで、自分も楽になるし、頼られた相手もやりがいを感じて自分に好意的に接してくれたりして、自分にとっても相手にとっても良い結果になるということは、誰しも経験していることだと思います。
もっとも、現実世界では自分が快適にいられるためには、色々と気を遣ったり先手を打ったりしないといけないのですが。
また、宿業(しゅくごう)という言葉が出てくるのですが、これは善い行いも悪い行いも自分に備わっていることだという考えです。
生きるために他の生き物を殺さないといけないことなども含め、人はどうしても悪いことをしてしまうことがあります。
逆に言うと、自分に備わっていない悪行は、しようと思ってもできないのです。
要は、ありのままに生きたらいいのであって、生前したことの善悪に関わらず救ってくれる大きな存在を信じることで、心が安定するのです。
最後に「外見あるべからず(どうか公表しないでほしい)」と書いてありますが、めちゃくちゃ公表されてるやん!誰でも読めるやん!翻訳までされてるやん!とウケてしまいました(笑)
いえ、当時は仲間内で守られたのかもしれませんが、非公開にするにはもったいない内容です。
時を経て、この私も『歎異抄』の恩恵にあずかることができ、嬉しく思います。
心の中に「お浄土」を持つこと
解説文を読んで印象的だったのが、心の中に「お浄土」を持つことで、「この世を絶対視せずに済む」「なにがなんでもこの世で良く生きないといけないという無駄なプレッシャーから解放され、思い詰めてしまったりすることを軽減できる」といった内容です。
宗教には、そのような役割があるのですね。
私の夢「ゆきわ木綿」という衣類の店を持つこと
気持ちを少しでも楽にして、心穏やかに生きることが大切だと思います。
この世には、喜怒哀楽があり、辛いこと・苦しいこと・悲しいことも多々あり、それが当たり前です。
これまで、自分が持病で苦しかったりするのを嘆かわしく思うこともありましたが、本を読み進めるうちに、辛いこと・苦しいことがあるということを嘆いても仕方がないと割り切れるようになっていました。
私は、人間の脳は力が有り余っている暇人のようなものだと思っています。
しょうもないことをいくらでも思いつきますし、悪ければ悪いほうへどんどん考えてしまいます。
どうせ考えるなら、救いがあること・楽しいことのほうがいいに決まっています。
私は今の仕事とは違う別の仕事をするなら…と想像したことがあります。
それは、「ゆきわ木綿」という衣類の店を持つことです。
私は、衣服に関しては、ほぼ消費するしか能がありません。
だから、作るところからできたら素敵だと思います。
それも、綿を栽培して収穫し、糸を紡ぐところからです。
もちろん、それでは生計を立てられませんから、仕入れた衣服のネット販売もしつつ、現実の店舗も持ち、はた織りや糸紡ぎの体験なんかもできるようにしたら言うことなしです。
少し前、収穫された綿花を譲っていただき、そこから種を取ってみました。
ワタの感触が心地よく、なんだか癒されました。
自然のものに触れて作業するということは、それだけで心が落ち着き、安定する作用もあるみたいです。
私も心に深い痛手と闇を抱えている人間ですが、好きなことをしたり、誰かと一緒に生きていると思ったりすることで、ずいぶん和らぎます。
おわりに
私は「ゆきわ」です。
ともに生きる「幸」せの「和」とも言いたいですし、和服で背中心から袖口の長さを裄(ゆき)といいます。それぐらいの距離感で親身に、また裄は人によって違いますからオーダーメイド(その人に合わせて)で「話」ができるといいなと思うのです。
あと「木綿」の響きは英語の「moment」に似ています。
「伝統」も「瞬間」も大切にできる、そんな自分でありたいと思うのです。