
【大学受験を振り返る②】人生を狂わせた文理選択
大学受験を振り返る①はここから読めます。↓
高1は文理選択の学年だ。でも私の文理選択は一筋縄ではいかなかった。これが家族最大の大喧嘩と言ってもいいくらいだ。
文理選択を語るのに欠かせないのは私の家庭環境だ。
少しだけ私の家庭環境について説明する。
私の父親は、一言で言うと「学歴コンプ」だった。あまり偏差値の高くない理系の大学に進学し、それをかなりコンプレックスに思っているらしく、私を理系に進め、一流IT企業にいれるのが夢だったらしい。
そのために中学受験もさせたそうだ。
今思えば小学生の頃から父の理系教育は始まっていた。私の家には顕微鏡があったし、誕生日プレゼントに実験器具を買ってもらったり、だからなぜか私の家には試験管やビーカー、アルコールランプ、上皿天秤など実験器具がたくさんある。中学受験の時はたしかに理科が好きだった。
中学に入ると最初から「文系なら学費を出したくない。国立理系に行ってくれ」という趣旨のことを度々言われていた。中1の時の自分は数学は得意じゃなかったけれど理科はできたし、理系でもなんとかなるだろうくらいには思っていた。
文理について漠然と「まあ文系じゃ学費出してもらえないなら理系かな」くらいに思っていた矢先、中3の時に生物にドハマリ。生物の先生に「東大理系目指します」と宣言してしまったのだ。
私は文理選択は理系にすると心に決めていた。だから歴史はミリも勉強しなかった。
でもそれに猛烈に反対したのが母親だった。
「理系なんてできるわけない!まして東大なんて絶対に無理だ、現実を見ろ」
とめちゃくちゃ叱られた。いや、よく考えればめちゃくちゃ正論だ。
高1のときの私の数学の定期考査はいつも5点とか。生物はまあできたとしても、化学はmolまでで理解が止まっていて、ふつうに定期考査は15点とか。
こんな成績で東大理系を目指しますとか、アホすぎる。
でも当時の私は生徒会で実績をコツコツと積み上げていたのもあって、自分に変な自信があった。やってみないとわからないのに最初から絶対無理なんて決めつけるのはおかしいくらいに思っていた。(だったら勉強しろよとつっこみたくなる)
しかし父親は反抗する。「理系にいかなきゃ人生終わる、これからの未来で文系なんてどうやって生きていくんだ(普通に文系にめっちゃ失礼)」
父は文系をディスることでしか学歴コンプを解消できないのでめちゃくちゃ文系をディスりまくっていた。そうして私の文理選択を巡って父親と母親は大喧嘩。文系に行けば父親からキレられ、理系に行くといえば母親からキレられる。八方塞がりである。
ちなみに、担任の先生は優しい女性の先生だったが「この成績で、理系は厳しいかと…。それに理系生物を選ぶと理工学部が受けられなくなるのでかなり選択肢が狭まります」と言われた。でも心のなかで理系生物を決めてしまった私にはなにも響かなかった。
結果、11月の文理選択面談、母親の反対を押し切って私は理系生物・政治経済選択という最悪の選択をした。
しかし、2月に転機が訪れる。
なんと、あんなに命をかけていた生徒会長選に落選したのだ。
正直、自分が落ちるとは全く思っていなかった。その時、自分の中にあった根拠のない自信が一気に崩れ落ちた。生徒会長になれなかった。自分は生徒会でしかこの学校に貢献できていないのに、生徒会を失ったらただの成績がカスな生徒じゃないか。ただただ絶望だった。学校にもあまり行かなくなった。
そして根拠のない自信が崩れた2月、やっと気がついた。
「自分、東大理系なんて行けるわけがない。」
気づくの遅すぎだろ、とつっこみたくなる。偏差35のやつがなにを言ってるんだ。その時ちょうど私の模試の結果が父にバレた。(見せるととんでもなく怒られると思い隠していた)
数学の偏差値が進研模試ですら30台なことに父親は絶望していた。せっかくこんな進学校に入ったのに、落ちこぼれるとこうなってしまうのか、と絶望し、「これは理系はさすがに無理だ」と言い出した。
あんなに理系しか許さないといっていた父が、理系を諦めたのだ。
それから急いで担任の先生に今から文理を変更したいとお願いしたが、「もうきまってしまったことなので、変えられません」と言われた。
おわった。
これから私は2年間何をして過ごせばいいんだ。
そして退学を検討した。
2年間理系の授業をフルで受けて文系科目を独学するのは無理がある。なにせ私は文系科目が別に得意なわけではない。国語の偏差値は30とかだ。ただでさえディスアドバンテージがすでにあるのに、授業がなければ差は開いていくばかり。とにかく時間がない。
しかも会長選に落ちてから学校に行きづらくなっていた。メンタル的にもかなり崩壊していて本当に辛かった。
そして転校先を探すようになった。母はわざわざいろんな転校先の見学についてきてくれた。
転校したい気持ちと、あんなにがむしゃらに頑張って入学したこの学校を自らやめてしまうことへの恐怖が入り混じっていた。それに、転校するということは部活を辞めるということである。軽音にあんなに夢中だったのに、軽音をやめなきゃいけないことが一番辛かった。
あと、本当にどうでもいい話だけれど、〇〇高校の生徒っていう肩書を失うのも、自分の中で少し怖かった。
迷いに迷ってすごく泣いた。転校したくないという気持ちと、この学校に居続けても大学進学が絶望的であること。
そんな時とある英語の先生に声をかけられた。「今のあなたは正常な判断ができなくなっているから、今転校とか大きな決断を衝動でしてしまうのは絶対によくない、もう少し落ち着いてから考えたほうがいい」
と言われた。そう言われたこともあって、高校2年生のクラス替えでクラスの様子を見て転校するか決めようと転校を先延ばしにした。
次は、「文転」について書きます。結構書くこと多すぎて、これ何回で終わるんだろうと自分でも心配になってきた。