同じ"場所"に立つ者 ~『ボルグ/マッケンロー 氷の男炎の男』~
虎ノ門ニッショーホールの試写会にて観てきました。
当時は特徴的だった両手バックハンド、トップスピンをかけた重くミスをしにくいストローク、表情を変えず、常に冷静沈着でクールなプレースタイルから"氷の男"と呼ばれたビヨン・ボルグ。
サーブ&ボレーを得意とする攻撃的なプレースタイル、下がり過ぎずライジング(ボールがバウンドして跳ね切る前の低い打点で打つストローク)で左右に打ち分け相手を翻弄するストローク、そして審判の判定や一部の観客に対してクレームや暴言を吐くことが多かったことから"悪童"と呼ばれたジョン・マッケンロー。
テニスプレーヤーなら誰もが知っている"伝説のプレーヤー"たち。
彼らが1980年ウィンブルドン決勝で繰り広げた3時間55分にも及ぶ試合はテニス史に残る名勝負として語り継がれている。
今回の映画は、ボルグの5連覇がかかった1980年のウィンブルドン決勝戦までの二人の葛藤と彼らに隠された過去を描く。
◇映画で"ココ"を観て欲しい!
・対照的に描かれる二人の"現在"と"過去"
"氷の男"と"悪童"。知的でクールな二枚目と天才的だが素行が悪い新人。
表の姿は誰がみても正反対。そんな彼らの対決だからこそ、観客が盛り上がっている。しかし、その裏側もまた正反対。
ボルグはコート上ではクールで堅実なプレイを貫くが、それは恐ろしいほど正確なルーティンワークと妻、コーチのレナートの支えあってこそ。いつ崩れるか、噴火するかわからないマグマと一緒なのである。
マッケンローはコート上では怒号をあげ、観客からブーイングを受けるほど悪い素行を見せるが、その感情の上下によって自分のプレイに悪い影響が出ることはない。決勝までのトーナメント予想や相手の分析は正確で、抜け目がない。
13歳のビヨンは、自分のミスや不利な判定に対して怒号をあげ、ラケットを叩きつけ、テニスクラブの同期やその親からは一緒にプレイしたくない、同じコートに入りたくないと言われるほど、正真正銘の"悪童"だった。
そんなビヨンの若き才能に目をつけたスウェーデンのコーチ、レナートは彼にあることを伝え、試合に出させる。
10歳のジョンは3桁の掛け算を瞬時に暗算できるほど頭脳と頭の回転の速さで、弁護士の父が家族の自慢にするほどだった。しかし、彼は何かがうまくいかないと、黙り込んでしまい、さらにうまくいかず、家族や周辺に期待ハズレだと思われないかと考えてしまう、弱気な少年だった。
そんな過去を持つ彼らがなぜ、氷の男、悪童と呼ばれるようになったのか。
彼らは本当にメディアや世間が思っているような正反対のテニスプレイヤーなのか。
ぜひ注目してもらいたい。
・同じ景色を見た者にしかわからないトッププレイヤー同士の友情
頂上に立った者だけが見る景色、知る苦悩、だれも本当の意味では共感しえない孤独に苛まれて期待という重圧がグランドスラムの決勝に立てるテニスプレイヤーにはのし掛かる。
それが実際どれほどのプレッシャーなのか、僕らには到底計り知れないが、この映画ではそれをモノの見事に可視化しているようにも感じられた。
ラストシーンの二人は同じ空間で苦悩し、全力でぶつかった"戦友"だからこそ分かり合える、そんな美しい瞬間を綺麗に切り取ってくれる。
・二人の主人公を演じきった二人の俳優
ボルグを演じるスペリル・グドナソン。
写真を見て口があんぐり開いてしまうほどの似せ方もさることながら、
口を堅く結び、ただ目で語る演技、裏側に眠る感情を押し殺していることがひしひしと伝わり、緊張感を作る素晴らしい役作りである。
マッケンローを演じるシャイア・ラブーフ。
トランスフォーマーシリーズで世界に名を馳せたが、近年の素行の悪さから映画から遠ざかっていた。しかし、内側に秘める感情を純粋に爆発させ、感情をストレートに表現できる彼だからこそ、大胆さと繊細さを併せ持つテニスプレイヤーとしてのマッケンローを作り出すことに成功していた。シャイア・ラブーフ史上最高の演技なのではないだろうか。
小泉自身も小学校5年生から大学2年までのおよそ10年間テニスを真剣にやった人として、この映画で描かれる"伝説の決勝戦"は手に汗握り、神経が張り詰めるほどの最高の108分間だった。
テニスを一度でもプレイしたことがある人はもちろん、テニスを見たことがない人でも十分に楽しめるのでぜひ劇場で観に行ってもらいたい。