ご挨拶 決意文
高橋克也と申します。生まれも育ちも仙台市若林区。
宮城県仙台市を流れる広瀬川の景色を見て育ってきました。
専門学校在学中から、市議会議員事務所でアルバイトその後、昼間は国会議員事務所に勤め、夜間は学生として1年を過ごし、秘書として気づけば14年近く政治に携わって参りました。インテリではなく叩き上げ。
周りと同じ音楽好き(エアジャム、defjam共に全盛期時代)で、3児の父でもあります。
気づけばそばにあった「政治」
実は政治家という存在に秘書でありながら、気持ちとして距離を置いていた時期もありました。それは所謂「国士」だけが手を上げ支持される世界であり、自分とはどこかほど遠い世界なんだと心のどこかにあったからです。
そう「誰かがすること」なんだと。
しかし、私も東日本大震災を、身をもって経験した一人として、当時の内閣の対応に不信感と不誠実な当時の復興大臣を目の当たりにし、苛立ちさえ感じ、こんな人が国会議員でいるのか?と疑問符が付き
「議員とは?」を真剣に考え始めました。
それから数年、きっかけは政策担当秘書の研修でした。様々な研修は僕の中で政治を体験で済ませていたことが、身近に学問として学び、発言する環境に身を置き、時に議論し発表し党派問わず研修生皆が真剣に国、地方自治体について向き合い、それは知識としても昇華されていきました。
その時、ある某有名大学教授から
「決して今日学んだことを、学んだままで終わらせないでください。必ずどこかで活かしてください」と言われたのです。
選んだテーマは「地方の行財政」。今の地方自治体は税収をほとんど見込めず、国からの交付金に頼る現状、それでも新規予算を付け、また地方債を発行し借金する現状、そして基金を取り崩す、そう貯金を取り崩すのと一緒の現状。これは宮城県でも同じです。
そして宮城県は少子高齢化、原発再稼働、学力低下、不健康ワースト上位など様々な困難も抱えているのはご存知でしょうか?
平成から令和に元号が変わりました。
思い出してください、10数年前iPhoneが世界で発表されてからの世界の変わり様。日本も地方もどんどんアップデートされていきます。
しかし、今のままでは宮城県は困難にぶつかり座礁しかねない実態です。
自分が経験を活かせる場はここしかない。
地方が変わるなら今。
一つ一つ課題を現場から解決し、宮城をもっと世界に。ここ若林区から。
そして、宮城県に必要なのはどんな困難にも打ち克つ力。
責任世代として覚悟と確かな根拠を持ち、活動して参ります。
困難にも打ち克つ力 高橋克也 どうぞよろしくお願いいたします!
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