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【社説に対して】 スポーツと多様性

今日は「河北新報」の社説「スポーツと多様な性」について

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「当事者の存在前提に対応を」と見出し。

中身は日本スポーツ協会がまとめた「体育・スポーツにおける多様な性のあり方ガイドライン」について。開催予定だった2020オリパラも大会基本コンセプトに「多様性と調和」を掲げる。多様性という言葉には「多様な性」という意も対応も含まれていた。

ガイドラインの中身には当事者意識って大事だよねっと書いてまして、ここではスポーツに関してですが、その振る舞いや行動が「ゲイっぽい」「女みたい」「男らしい」などなど。評価しているつもりでも、相手にとっては困ったこと、嫌だったことだったり、当事者意識がないと相手を気づけてしまう可能性がある。みんな気をつけましょう!と書いてます。

スポーツは平等!と言いながらも実際は、、、

特に「トランス女性」に対しては未だに制限が厳しく、
・テストステロン数値
・身長差
・性別適合手術の条件、中身
など様々、また諸外国でも対応が違うので一概にひとくくりにできないのが現実。課題はまだまだ多い状況です。

この社説は「スポーツをきっかけに社会が変わる」というくくりだが、

もちろんこのガイドラインをまとめた中京大来田教授も「スポーツが変われば、社会が変わる影響力を持つ」確かにその言葉の意味もわかります。影響力をもつ団体が率先して示すことは何よりの模範。スポーツだけでなく、グローバルな各業界団体のリーダーたちが率先してとる行動は世界中から参考になるでしょう。

影響力の拡散を個人レベルで上げるなら

ここで個人的に考えるのは、やはり身近にLGBTの友人がいるかいないか、というのはその良き影響力の拡散ができるかどうかの要素だと思います。なんでもそうだけど、経験、体験があるかどうかで理解値は変わっていく。素晴らしい言葉を上げても中身がないと薄く感じてしまう。このご時世だし、僕より下の世代は意外に周りの友達に多かったりすると思います。

一人一人が「身近に当事者がいる」と意識し、「気付かずに誰かを差別していたかもしれない」と気付く。スポーツの現場をきっかけに、社会全体が少しは変わるはずだ。

社説を書くのは論説委員だったり社主だったりしますが、スポーツという森を見て選手、スタッフ、関係者つまり人という木を見てないのかなと最初は感じましたが、結局はスポーツをする、携わる人、その現場から課題解決が進めばいいなと思うと同時に、トップが変わらないと変わらない事例もあることをよぎりました。スポーツ社会ってどこか封鎖的、保守的なところもありますから。
そういった意味では上下左右より改革を起こして、性別でなく結果で争う種目で競い合うような、男女混合戦やスピード平均値を並べて区別なく戦ったりとか、主要スポーツこそ分け隔てない試合を観れる日を楽しみに待ちたい。

本当の意味での多様性、多様な性への理解が広まるよう個人的にも理解を深めないとなぁと思った記事でした。


追記:こちらも「多様性の理解の一つ」


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高橋克也 宮城県議会議員
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