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ピックルボールが始まった

バドミントンと卓球とテニスを混ぜ合わせたスポーツ。なーんだ?

「・・・へ、辺境の地で「ヘバサ」と称されている競技で、成人になった時の儀式として必ず行われる・・・」

そんな会話を交わしたのがおそらく2024年年末。つまり最近の事であった。知人に誘われるがままに参加することになった。ピックルボールというスポーツ。元々がヘバサなのかは神のみぞする。私の解説を聞く知人の怯えた目は一生忘れることはないだろう。

私も伊達に数十年生きていないが、そんなスポーツは全く聞いたことはない。若者の間で流行っているのであれば、もっと至極。至極どうでもいいようなネットニュースとかに取り上げられてて、ピックルボール店にて全裸でモッシュアンドダイブを繰り返す迷惑系youtuberが云々みたいな話がうすく私の耳に湾曲して刻み込まれているはずだ。つまり若者の間で流行っているわけではないだろう。そうに違いない。

であれば、私の知人が開発したスポーツなのか。そうでなければ私のヘバサ説がより濃厚になる。

ヘバサ

とある辺境の地で行われる競技。というよりは儀式の類であり、成人になるためにはその地に生まれたものは男女問わず「へバサ」を経験せねばならない。皆、木をラケット(テニス要素)のように加工した「チキシ」を準備しておく。チキシは木の板であり、紋様などを好きに刻むことができ、歴代のチキシがとある家にはずらりと飾ってあるという。

無論、父や母の作ったチキシを使うもいい。なぜそんなことが可能かというと、その付近でしか取れない植物、「モンガレ」の木の実を打つ儀式だからだ。モンガレの木の実は軽く。おおよそピンポン玉(卓球要素)を若干大きくしたようなサイズの球体であり、古いチキシだとしても問題なく、儀式は行うことができるのだ。

おまけにチキシは時間が経てば立つほど、木の水分が抜けていき、軽く。固くなっていく。その打感を好む者もいれば、作りたてのウェットなチキシを好んで使う若者。またオリジナルの紋様を掘りたいが為に家のものには手を出さない。そんな人もいたりいなかったりなのだ。

「どうしてお父さんのチキシ使わないの!?素晴らしい功績を残しているのよ?」
「・・・うっせーな!そんなのダサくてつかわねーんだよ!」
「親になんて口の聞き方だ!バカモン!」

そんな風に揉めているのは「サダオ」
彼は今年もへバサに参加することになっている。へバサは成人への儀式と言われているが、どの年代で参加しても問題はない。成人後に参加しても問題ないし、老人だって参加していい。小さな子供ですら参加できる。なんなら毎日行われている遊びのようなものだ。しかし一端にへバサを楽しめる者、家のことや仕事の事をやりながらも「オンオフをきちりと分けて時間を作り管理できるもの」こそが「自由に人生を生きていける」と認められる。
そして成人の証を得ることができるのだ。

・・・飽きた。が、バトミントン要素をまだ書いていない。くそ。サダオ描かなきゃよかった。

へバサはその地の元々は畑だった場所の土を固めて行われている。固めないとモンガレの実はバウンドしないからだ。しっかりと毎年手入れされたそのエリアはちょうどバドミントンコートぐらいの広さになっており(もう無理矢理)、間にはロープを貼りそこでモンガレをチキシで打ち合うのだ。

「どうしてそんなに家で怒っちゃうの?サダオはどんなチキシでも上手にできるじゃない」

そうサダオに話しかけるのは隣に住んでいる「エミ」だ。彼女はもっぱら美人で名高く、勉強も得意で運動も勿論のことで家の手伝いをしょっちゅうやってるから料理もバカ得意だった。そしてサダオは彼女にずっと片思いをしていた。

自分一人でへバサを達成してこその男であり、親の威厳を借りるようなことはしたくない。ステージ4の厨二病を患うサダオは意固地になっており、周りが見えなくなっていた。エミに声をかけられるたびに恥ずかしいような、悔しいような、しかし甘えたいような。そんな相反する気持ちを抱いてしまうのだった。

はい。

そんなふうにシナリオを考えてみたものの、さすがにそこからなんで「ピックルボール」なんて名前になるのかを考えると、あと2万字ぐらい、いやもっと必要な気がしてきているし、チキシの件あたりでもう後悔していたから、この辺でサダオの恋の話を止めておく。

結局グーグル大先生がおっしゃるには、バドミントンコートでテニスみたいにラケットっぽいやつでプラスチックのボールを打ち合うという競技だ。若干の掠りがあるところが私らしくて非常に残念だ。こういうの大空振りしてこその人生であろうに。くそう。

はてさてそんなスポーツに誘われて、普段だったらいいやと言っているところなのだが、今回は参加してみることにした。私は昔々。大昔。それこそ石器時代ぐらいの時に少しだけテニスをやっていたのだ。テニスがその時代にあったかは疑問だが、たしか高校生ぐらいの時にかじった記憶がある。

聞けば参加する面々はテニスのようなことはしたことがないらしく、それでも楽しめるというイージー性を持つらしい。グーグル顧問も「生涯スポーツ」という老若男女子供も楽しめるグッドなスポーツ、フロムアメリカとの太鼓判だった。

「え、アメリカンスポーツなの?君アメリカ出身じゃないじゃん」

なんて具合に会話したけど、本当にアメリカ出身じゃなかったからこの話はまるで膨らまない。つまりアメリカでそれがああなってええ塩梅になり、庭でバーベキューを嗜んだ結果、アメリカでは愛好家がたくさんいるらしく、プロ選手もおり、ツアーすらあるという。そりゃすごい。なんで知らないんだ。

往々にしてそういう海外で流行るスポーツというのは日本に馴染みにくいモンであるが、バドミントンコートは存在するし、道具もそれほど多くなく。簡単に始められて、ラリーもそこそこにできるというから驚きだ。初心者テニスのようにオータニさんばりのHRをかっ飛ばし続ける必要もないわけで。そも、ガットスポーツは消耗品の値段が高いし、ガット切れたら時間かかっちゃうし、かと言って卓球は素人がやるとそんなに体を動かすことができないような気もするしで、各スポーツともにうーん!という要素がある。

ともすれば、へバサもといピックルボールは、私のような「ちょっと体動かしたいんだけど、お金がかからず、あんまりむしゃくしゃしないで、時間もほどほどで、理想は家族でもできるようなやつ」というワガママの最果てみたいな要望に応える、夢のようなスポーツである。


はてさて、ピックルボール。一体どんなものじゃろか。
家に帰ってそうそうにアリエクスプレスでパドルを買う。一本3千円なり。
体験は、1週間後だった。

届くのか…?

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