【寄席エッセイ】九井諒子先生という御方が
「おい!どーなってんだこれぁ!」
妻の奇声が家の中に響き渡る。また何かやってしまったか。
靴下脱ぐ時にちゃんと表にしなかったか、電気の消し忘れか、冷蔵庫の中身で食べてはいけないものを食べてしまったか。とにかく怒られる心当たりが多すぎるので閉口してダイニングの椅子に座る。
彼女が見せてきたのはダンジョン飯。私も見ているアニメだ。
アニメが面白かったので、漫画の方もざーっと見た。面白かった。発想というかなんというか考えたことも想像もつかなかったところで、人気が出るのも頷ける傑作だった。
アニメの絵も綺麗だし、ちょっと前に妻に面白いよとおススメした記憶がある。
いささか興奮気味の妻に度したのと尋ねると
「絵がうますぎて意味が分からん」
というのだ。何の話かと思ったら、エンディングのカットを見せてきた。この絵がとにかくヤバい(語彙力)らしい。
私の妻の感覚はありえないほどに優れている。彼女がうろ覚えで言ったものは大体あってるし、勘っぽい説明も結構的を得ていることが多い。理論的に話すことは割と支離滅裂だったりして私がカオナシみたいな顔で話を聞いているのがばれて怒られる事もままあるが。
そして妻は絵を描くことが好き。彼女がコレだけヤバいというのをほとんど見たことが無いので、よほどヤバい(語彙力)ことなのだろう。
が、しかし、私は絵というものが分からない。
確かにものすごくきれいで、絵のタッチというかなんか不思議なまるさがある。絵がまるいというわけではないのだが、色も絵もとても私と同じものを見ている目とは思えない程・・・ぐらいの事しか分からない。
そんなことを一言二言喋ると、「ちげぇ!!!」と一喝された。違うらしい。
アツ・・・アッ・・・と喋ろうとしてるカオナシみたいな私の言葉を遮り、彼女はしゃべり続ける。
なんというか絵そのものがトンデモなく巧いのだという。この角度から見たら人がどう見えるかとか、服がどう見えるかとか、そして人間のモチーフを超えたものがあまりにも自然に見えている事がどういうことか。
妻曰く、存在しているものをに色々やるんじゃなくてこれらを頭の中で処理してこちらが見て自然に見えていることがなんていうかもう、あぁああ!らしい。
ドラゴンボール超なテンションの妻を見て私は言っていることが分かるような分からないような顔をした。絵の分かる人の言っている事はよくわからん。
しかし、絵じゃないところの言いたい事は何となくわかったような気がする。
私も彼女も頭の中で色々な事を考えるのが好きだ。それを人は妄想という。
頭の中のイメージを膨らませてああいうのがあったら、こういうのがあったら、そんなドラえもんのような夢ワールドを炸裂させているのである。それを形にできるという能力が素晴らしい。私は絵を描くとパンチドランカーみたいなゆるゆるの線を書くくせに、書いたものがゆるふわの欠片も無いような画伯である為、頭の中を取り出し目に見える形にすることができない。いや、やろうとしない。
私たちの目というものは、素晴らしい性能でこの世のものを映し出す。美しい風景も、綺麗な街並みも、人の姿も、動物も、それらすべてを色鮮やかに映し出す。どれだけそれに心震えてもカメラなどに取ると意外と伝わらなかったりする。そのたびに、まだiphoneは目に見た光景を表現できる程の所に来ていないのだなと実感する。
それが非現実だろうと、形にして色を載せるその表現力と洞察力。しゅごい(語彙力っていうかバカ)
加えて妻は、「この人は本当に絵が好きなんだなぁ」と呟いた。
私には何の才能もないので、天才的なものに出会うとカオナシみたいなリアクションしか取れない。アンケートの葉書にも、「アッ・・・」って書いてしまう。
でも天才というのは何もしていないという言葉と同義ではない。私たちがクソして眠る中、日夜その「好き」という行為を繰り返し続けているのだろうと思いを馳せる。
私が絵が描けないのは、絵を描いていないからだ。
何千、何万、何億という思考と形にするという行動を積み重ねる事によって、頭の中身は現実的となって私たちを感動させる。
絵が好きで好きでたまらないのだろうという妻の言葉は確信を得ていると思う。私の子供にもそういう風に何かすごいものを見たときに、その裏に好きで好きでたまらないというものを感じ取って欲しい。
好きであるからこそ、苦悩して。それでも好きだからこそ手を止めないで続けていくのだと。そしてそれを続けてきた人間が「天才」などと表現されるのだろうと。それは本人にとって努力なのだろうか?いや、なんか好きな事ずっとやってたらこうなった。って感じなのだろうか。得意な事だと思って続けるからこうなるのだろうか。よくわからんが億千万のトライエラーがどうなるのかという事がよく分かる。努力は人を裏切らない。裏切るのはいつも人だ。努力には天才と変換されるだけの膨大な物が詰まってるのだろう。しらんけど。
というわけで、九井諒子先生のイラスト集を買ってみた。
妻はまるで美術館だかなんだかに居るかのようにおとなしくそれを眺めている。
私もそれを眺めた。すごく素敵なものだと思った。私にはそれが限界だった。
妻に「どうよ?」と聞かれたので、「あー」って言った瞬間にもう妻が話し始めていた。すごい本だな。この本。
感想は人それぞれだろうが、「稀代の名著!一家に一冊!」との事なので。
私はダンジョン飯にゆかりのある人間ではないのだけれど手に取ってみてみる事をお勧めします。
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