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わたしたちは、みんな違う国を生きている
初めて『違国日記』を読んだとき、胸の奥に抱えていたものが静かに解きほぐされていくのを感じた。「わたしたちは、みんな違う国を生きている」。物語の中で繰り返し語られるその言葉が、心に深く響いた。それは、自分と他者の違いを「分断」ではなく、「それでいい」と受け入れてくれる言葉だった。誰かと同じでいなければならない、自分の「違い」を隠さなければならない、そんな思い込みから解放される感覚がそこにはあった。
物語の中で描かれる朝や槙生たちの孤独や不器用さ、他者との距離感は、どこか自分自身と重なって見えた。それぞれが違う国を生きているという感覚は、自分の中にも確かにあったものだ。ただ、その「違う国」が交わり、関係性を生み出していく可能性について考えられるようになったのは、その後に出会ったシステムコーチングの学びと実践が大きかった。
私が学び実践しているシステムコーチングには、それぞれの国を知るためのツールがある。一人ひとりの価値観や背景を知り、その国の風景やルールを理解するための問いや対話の方法が体系的に組み込まれている。そして、それだけでは終わらない。それぞれの国同士がどのように繋がり、どのような関係性を築いていくのかを見つめ続けること――その過程を支えるのも、システムコーチングの重要な役割だと感じている。
いま振り返ると、『違国日記』を初めて読んだときに感じた「違う国を生きる」というテーマは、システムコーチングを学び実践する中で、さらに深い意味を持つようになったのだと思う。違う国を知ること、それぞれの国が交わる関係性に向き合い続けること――それは、ただ違いを認めるだけではなく、その違いを通じて新しい可能性を見出していくことでもある。
映画『違国日記』を観たとき、原作で感じた「許される」感覚が、さらに立体的に蘇った。違う国を生きる私たちが出会い、繋がるためには、互いの違いを理解し、その間に生まれる関係性を大切にする必要がある。それはシステムコーチングで学んだ「関係性の世界」にも通じていて、いまの私には、物語の中で語られる言葉一つひとつがより深く胸に響くようになった。
『違国日記』は、違う国を生きることの孤独と、それを超えて繋がる可能性を教えてくれる物語だ。
そしてこの作品は、システムの視点で世界を見つめながらデザインを実践する私と重なる、大切な道しるべでもある。それぞれの国を知り、その国が紡ぐ関係性に向き合い続けること。それは、物語の登場人物たちが歩んでいた道でもあり、いま私が実践していることそのものなのかもしれない。
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