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今語る、オリックス時の真実。

今回は、阪神からFA宣言して移籍を決めたオリックスでの失敗談を話します。
2012年オフ、長年在籍した阪神で獲得したFAの権利を行使することを発表。
争奪戦に参加したのは、森脇浩司監督の下新たなスタートを切るオリックスと、最初に出会った恩師である星野仙一監督の楽天であった。
争奪戦の末、オリックスが勝利し13年ぶりにオリックスへ復帰した。
復帰初年度(2013年)は「二刀流」大谷翔平投手擁する日本ハムとの最下位争いで勝利するのが精一杯で5位に低迷したもの、これ以上負けると後がない翌年に奇跡が起きる。

必殺火消人・比嘉幹貴投手

この年は開幕から好調で、比嘉投手・糸井選手・森脇監督などのメンバーで連戦連勝の大躍進!

「オリックスフィーバー」を巻き起こした当時の応援グッズです。

その後も「オリックスフィーバー」は続き、関西圏ではオリックスのグッズが売り切れるなど、タダ券の頃を経験してた人たちからじゃ考えられないことまで起きてました。
9月に入り、1位ソフトバンクが足踏みしている間に2位のままマジックが点灯するという、長いプロ野球の歴史でも10000分の1の確率でしか起こりえない珍現象が起きた。
惜しくも、10月2日のソフトバンク戦で敗戦してしまったが、このときの成績が評価され新たに2年契約を勝ち取った。

オリックス在籍時はこの試合がNo.1の名勝負。

続くCSでは、多くの評論家がオリックスの突破と予言。
ただ、番狂わせが起きてしまいのちに世界で活躍する大谷投手との対戦で敗戦するなど力を出せず初戦敗退という悔しい結果に。。。
ここまでは、オリックスファンになって一番光り輝いていましたが、翌年に「今年(2015年)こそ優勝できんじゃない?」と甘く見ていたのがオリックスファンとしての人生に影響します。

輝きを失い滑落へ…


そんな栄光も長くは続かず、2年契約1年目の翌年は開幕から不調で下位に低迷。。。
これに畳み掛けるように、求心力が低下する事件が起きる。
6月に突如として発表された森脇監督の解任劇である。

「球界の草刈正雄」と呼ばれ名将の器になる可能性もあっただけに電撃解任は大きなショックを与えた。


森脇監督は後日談で、「ぼくがほしいと思った選手を取って来てくれなかった。」と漏らしていた。
この一言で、当時のフロントはBクラス常連のフロントあるあるといえる「一日が終わればいい人」たちの集まりだったのがよくわかりました。
ぼくの恩師である岡田監督も球場入りした直後にアレ(途中解任)されてますが、このあたりで立て直そうと思えばまだ立て直せたといえる。
この事件からぼくとオリックスの関係に溝ができたといっても過言ではない。
その後は福良監督代行が引き受け、本拠地で楽天との最下位決定戦を勝利し、最下位を脱出したもの翌年にさらなる確執で完全に対立します。
それは、2016年5月福岡でのソフトバンク戦。
伊藤光選手のリードに関してその問題は起きた。

「パワハラ」が常態化していた当時のオリックス。

「公開説教でどうにかなると思っている自称イケメン捕手(Sコーチ)の指導法は間違っている!これは「パワハラ」(パワーハラスメント)だ!」とぼくは糾弾した。
当時の事件を振り返って、Sコーチは、(ぼくのような)我の強い人・伊藤選手のような性格の選手には合わないコーチだったことは間違いないです。
現に、中学3年のときの野球部の監督がSコーチに近い監督でした。(人間関係の問題もあり、進路に直結する中学3年のときは不振でした。)
だが、先程のコメントが球団批判とみなされ「二軍行き」を通告され事実上の戦力外通告手前となりました。(ぼくは一介のファンですが「契約している(球団サイドとの不都合が生じないよう2〜3年に1度契約を結び直している)」んで、もちろん途中でやめれば違約金が発生しますので、それを払うのは無駄だと考えてぼくを泳がせたんですよ、そこら辺のエリートじゃないんでぼくは「一寸先は闇」の取引に乗ったわけです。)
そのときに、北神戸で未来のメジャーリーガー・吉田正尚選手を見ました。
常にフルスイングを忘れない姿勢は、ぼくが埼玉西武移籍後(2017年以降)、手強い存在になっていきます。

のちにメジャーリーガーになる吉田正尚選手。

ぼくは、「二軍調整」を終えて後半戦から復帰したんですが、「三振して天を仰ぐ選手、打たれてうなだれる選手。」と暗黒末期のベンチになっていました。
ぼくの休養期間中に、当時の監督だった福良淳一監督よりも影響力を持ってしまったのがSコーチでありました。(ママ友とかにあるじゃないですか、「ボスママ」という立ち位置、この場合はSコーチが「ボスママ」・福良監督が「パシリ(使い走り)に使われるママ」だったわけですよ。)
そして、9月30日に「2年契約が今季で満了になる」とのことで来季の構想外である本当の「戦力外通告」に。(これをいっちゃおしまいかもしれませんが、選手1人の替えはきかないのですが、ファン1人が船から降りたところで「かわりはいくらでもおる。」といった状態なんですよ。)
10月1日、宮城での楽天との最下位決定戦では奇しくもぼくと2014年10月2日に一緒に泣いた伊藤光選手が最後の打者になり悔し涙を流す中、オリックスでの人生を終えて2017年に埼玉西武へ移籍しました。

なぜ短命に終わったか(まとめ)


・2年目の結果が良すぎて幻想を追いすぎた。
直接的な理由はこれです。
2年目(2014年)の結果が良すぎて、理想と現実を切り離せずにいた2015年のとある試合で1点差の敗戦をしたときに「いい試合をしても勝たなければ意味がない!」と漏らしたことがあったんですよ。
勝利へのこだわりが強くなりすぎて、当時経験の浅かった選手たちに多くを求めすぎたとも言えます。

・森脇監督解任後の求心力低下。
ぼくは、オリックスにおいて森脇派の人間だった事実は間違いない、そういう人間が新体制になったときに簡単になじめるかというと相当の時間が必要。
ゆえに、森脇監督解任後に求心力が低下したのは事実だろう。

・選手に対して高圧的なコーチがいたから。
先述したSコーチの件もあったが、当時は「検討師」(何もしない人たち)が多かった。(Sコーチの更迭を求める文書を山ほど書いていたので当時監督だった福良監督はさぞ「ご心痛」があったでしょう、福良監督ごめんなさい。)
今後、指導者になりたい方はSコーチのような指導法を真似ることだけは絶対にあってはいけません、ぼくからの約束です。

現在とこれからの夢

Sコーチは程なくして失脚(「次期監督になる」という野心があったのだろうが、西村監督の失脚とともに総倒れ。)し、マスコミが国際試合で「宿命のライバル」と言っている隣国(🇰🇷)へ左遷されてからは、オフシーズンに元オリックスファンとしての経験を話したり、現オリックスファンとSNSなどで意見交換したり、交流するイベントもやってますが、なかには3度目の登板を熱望する声も。(今の監督さんである中嶋監督は、ぼくも過去に「名将になるかどうかは保証しないけど、仰木さんの血統(サイアーライン)をひいてるから、優勝争いに持ち込めるんじゃないかな。」と指導者としての質は評価していました。)
これからの夢は、オリックスと埼玉西武が戦うであろう「本気の優勝争い」を制して世界一に輝くのが夢です!

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