「学者」って、何だろう
いま巷では、ある学者の業績をめぐって色々な批判がなされています。
その批判の内容はここでは触れません。ただ批判の中で「学位論文」「査読論文」というワードがたびたび出ており、これについて私なりに少し思うところがあるので筆を起こしました。
学位論文とは博士課程に提出される学位請求論文で、審査に通ると「博士」という学位が授与されます。
大学を卒業する時に出す学位請求論文が「卒業論文」で、審査に通ると「学士」という学位が授与されます。
大学院の修士課程(博士前期課程)に進学し、最短2年の学修期間を修了する時に出す学位請求論文が「修士論文」で、審査に通ると「修士」という学位が授与されます。
大学院の博士課程(博士後期課程)に進学し、最短3年の学修期間を修了する時に出す学位請求論文が「博士論文」で、審査に通ると「博士」という学位が授与されます。
博士と聞くと、凄いと思いますが(確かに凄いのですが)あくまで、博士という課程の修了の証に過ぎないといえばそれ以上のものではなく、卒論や修論がそうであるように、当然、内容的にピンからキリまであります。
実はこの博士には、実は二つの種類があります。博士(甲号)と、博士(乙号)です。
博士(甲)は博士課程を修了する時に学位を取得するもので、「課程博士」とも言われます。理系や社会系、そして欧米の研究者は博士(甲)が多いと思います。多くの人が想像する博士号は、この博士課程を最短年限またはそれに近い年限で修了する際に取得する博士(甲)です。
博士論文に至らない所があると色々批判されますが、むしろ至らない所があるのも当然と思います。最短だと修士2年、博士3年、計5年の知見で執筆するものなので、至らない部分がある方が普通でしょう。もちろん学会をリードするような博士論文もあります。
ただ博士論文を提出し、審査が通って博士課程を修了しさえすれば、誰でも正面切って「博士」を名乗ることができます。本当は通したくないが、通さないと指導教官が「指導できなかった」と見なされるのでB評価で通すこともあると聞いたことがあります。
では博士(乙)とは何なのか。これは人文系に多い学位です。
特に哲学・文学・歴史の分野では非常に「奥ゆかしい」学者が多く、あえて博士課程修了年限で博士論文を提出しない傾向があります。
それは誰もが尊崇するような大学者が人に評価されることや、栄誉を自ら求めることを嫌って博士の学位を取らないばかりに、後に続く研究者が「自分のような若輩が僭越にも博士を名乗れない」という心理からくるものです。
ですから今の大学の先生方でも人文系では博士論文を提出せず「最終学歴=博士課程単位取得退学」となっている方が多くいます。博士課程在学中から発表している学会論文が評価され、博士課程を中退して大学等の研究機関に専任講師や助教授(准教授)として採用されているのです。
そういった先生方は、研究者人生の集大成として著書を刊行する際、それを博士論文として提出します。ちなみに提出先は出身大学に限定されず、博士課程のある大学ならどこにでも提出できます。
こうして研究者人生の集大成として提出された著書を審査して授与される博士の学位が博士(乙)で、「論文博士」とも言われます。
ただし乙号博士で提出する際の論文のボリュームの規定は大学によって様々です。
ちなみに、東洋史学で知らない人がいない大学者として内藤虎次郎先生がいます。内藤虎次郎先生はもともと朝日新聞の記者で、1907年に京都帝国大学に招かれ、1910年に狩野亨吉総長の推薦で文学博士となりました。そこで内藤先生は「博士になったのだから、本の一冊でも書かなければ」ということで「清朝史通論」を執筆したそうです。これは博士号と論文の順序が逆のパターンです。
さて「査読論文」とは何でしょう。
これは評議員がいて投稿論文を審査(査読)し、掲載を決めるという、レフェリーのいる学術雑誌に掲載された論文です。歴史学界なら「史学雑誌」「社会経済史学」「日本歴史」「日本史研究」「東洋史研究」「史林」「東洋学報」「西洋史学」「歴史学研究」「歴史評論」「歴史学研究」「法制史研究」などのがこれに当たります。特に若手でこうした雑誌に投稿、採用されると学界の研究者として一人前の扱いを受けます。
しかし査読付き雑誌は競争率も高く、同じ人ばかりを掲載できないのでおのずから論文発表の機会は制限されます。そのため多くの研究者は論文を大学や大学の学部が発行する学術機関誌「研究紀要」に発表します。査読付きのオープン雑誌ではありませんが、こうした紀要類にも学界をリードする必読論文が多数あります。ですから発表された学術雑誌が査読付きでないからといって、その研究の真価が下がるわけではありません。ただ若手研究者採用の業績評価のメルクマールとしては、査読付きオープン雑誌は3点、紀要類は1点、つまり査読論文は紀要論文の3倍の価値というような差を付けて評価することもあります。
では査読論文や紀要論文でなければダメなのか。
中国古代文字学で著名な立命館大学の白川静先生は、論文掲載の順番を待っていられないということで、自分でガリ版を切って、書斎でインクをこねて、ザラ半紙に謄写版印刷をして「私家版」として膨大な論文を発表していました。この私家版論文は今では入手困難な貴重品です。また中国文学で著名な原田憲雄先生は自ら雑誌「方向」を刊行し、幾多の論文を発表していました。この雑誌も収取困難な稀観本です。こうした発表の仕方は現在の評価基準に照らせば論文とはみなされず、「趣味」の一言で片付けられてしまうでしょう。
博士だからどうの、査読論文でないからどうの、ではなく、紀要論文であれ、私家版であれ、結局は読む人がきちんと内容と研究の深度を理解して評価できるかどうかが重要なのではないかと思います。
かつて東洋史の明清史で著名な濱島敦俊先生は「我々プロは、“こうでした” というような酒粕のような話は聞きたくない。我々が求めているのは思考の過程だ」とおっしゃっていました。思考の過程とは、言い換えれば論証の過程です。この論証の過程が明示されるものが「論文」です。確固とした論拠に基づき、論証の過程を明示する「論文」を書き続けられる人が「学者」ということになるのだと思います。そしてそれを読む人がその思考の過程に付いて行けるかどうかが、本当は大事なのでしょう。