海に眠るダイヤモンド~涙腺決壊~
12月22日に最終回で幕を閉じたTBSの「海に眠るダイヤモンド」。
賛辞を惜しまないコメントが続出しています。
物語の詳細はすでに多くの人が知るところなので、ここでは改めて述べません。
最終話で<鉄平>が晩年に過ごした高台に建つ一軒家に<朝子(いずみ)>と<玲央>が訪れ、<鉄平>が既に亡くなっていることを知った後で海の見える庭一面に咲いているコスモス。このシーンで多くの人の涙腺が決壊したようです。遠方に端島が見える。<鉄平>が<朝子>を思い続けていたことを実感する、心に来るとても美しいシーンでした。
しかし私は…
私の涙腺が決壊したのは、実は、1つ前の第9話のラストシーン、<朝子(いずみ)>が「進平さん、リナさん、誠がいてくれたおかげで、この家族に会えた」と言って、鹿乃子、和馬らでチャンポンを作っているシーンでした。このシーンは何度見ても涙腺が決壊します。思い出すだけでも決壊してしまいます。
<サワダージ・誠>が<朝子(いずみ)>の手をついて詫び、それを<朝子(いずみ)>が「誠に罪はない」と言って手を取り、そして「進平さん、リナさん、誠がいてくれたから『この家族』に会えた」と言います。そして台所に目を向けたシーン。この時<朝子(いずみ)>は全てを「許す」気持ちだったのでしょう。そして視線の先ではあれほどギスギスして罵っていた家族が一つになってわいわいとチャンポンを作っています。この瞬間に流れる「ねっこ」のメロディと合わせてとても美しいシーンでした。そしてその「家族」の中に<玲央>も入っていました。この時、親の顔も知らず、家族とは縁のない人生を送ってきた<玲央>もようやく「家族」というものに巡り合えた瞬間だったのではないでしょうか。後に<和馬>は最終話で端島に旅する母(朝子)を<玲央>に託し、またツアーガイドになる<玲央>の緊急連絡先(恐らくは保証人も)になり、一緒に個人的に食事をする仲にもなっているので、この時、親子のような情が芽生えていたのではないかと思います。そして、また生前に<虎次郎>が「だけど俺は幸せなんだ」と語っていた真意。<和馬>は「棚から牡丹餅(朝子)」と解釈していましたが、実は朝子の心にはずっと<鉄平>は棲んでいるが、それも全て包み込んで「この家族に出逢えたこと」に対して「幸せ」だと感じていたのではないでしょうか。<和馬>や<鹿乃子>が「棚から牡丹餅」がどうのと言っているとき、<朝子(いずみ)>は「ばかばかしい」と小声でつぶやきますが、あのつぶやきは和馬たちが「棚から牡丹餅」で盛り上がっているから出た言葉ではなく、<虎次郎>の真意を感じており、<和馬>や<鹿乃子>の理解がズレていたから出たのではなかったか、だからその後で自ら、また一つになれた(玲央もその中に入った)「この家族に出逢えた」と言ったのではないでしょうか。あのセリフは<朝子(いずみ)>のセリフであり、かつ<虎次郎>の真意でもあったと私は理解しました。<虎次郎>のその真意があったからこそ、<朝子(いずみ)>はその後でミッシングリングを埋めるために<玲央>と端島に向かえたのではないかと思いました。逃避行を続けながら<朝子>を守り、逃げる必要がなくなってからも<池ヶ谷>を壊さないために独りでいることを通した<鉄平>の大きな心と、それも全て受け入れていたと思われる<虎次郎>の大きな心に<朝子>は守られていたのではと感じました。
これらが折り重なった第9話のラストでチャンポンを作っているシーンは、何度見ても、涙腺が決壊してしまいます。
私は物語のポイントをつかみ損ねるタチなので、この解釈が適切だと言う自信は全くありません。
でも多くの人とはズレているかもしれませんが、あのシーンで確かに涙腺が決壊した奴もいたということを知って頂けたら幸いです。