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教員採用試験と寝台特急

今からもう何年も前の話。
研究室でずっと資料に向き合う生活になじめず、修士2年途中で大学院を辞めた。予備校の非常勤講師を継続しながら教員の口を探すことになった。

今ではどうか分からないが、教員採用試験は7月第一日曜日が北海道、第二日曜日が関東甲信越、第三日曜日が東海、第四日曜日が近畿以西というサイクルで行われていた。

どうしても教員になりたい人は地元にこだわらず全国を受けると聞き、まずは北海道から受検することにした。高校社会の採用倍率は、当時の大都市はどこも200倍前後。ただ北海道だけは数十倍という穴場でもあった。「人生至るところ青山あり」。北海道の最北端で人生を送ることも腹をくくった。

受験地は函館、試験日は日曜日。だが、どう考えても前日の土曜日に函館にいなければ試験開始には間に合わない。関西から函館までの直通列車は大阪発の寝台特急「日本海」のみ。もちろん飛行機を使って函館空港からタクシーに乗れば当日でも着けるのだが、いかんせんお金が…。というわけで、生まれて初めて“ブルートレイン”なるものに乗ることになった。

寝台券だけで6000円。ちょっとしたビジネスホテルの一泊の料金。だが寝台券が取れなければ特急券も発行されないことを初めて知った。満席で寝台券は青森までしか取れなかったので、とりあえず青森までB寝台で行き、そこから函館までの3~4時間は快速「海峡」に乗り換えることにした。金曜の夜6時半頃に「日本海」に乗り込み、土曜の朝に函館に着く。夜、通路でぼ~としていると、多くのベッドで参考書を手にしている姿が。お~そうか、この日の寝台特急「日本海」は、さながら教員採用専用列車だったのだ。

夜が明けて秋田平野を走っているときに目に入った、朝日が昇る前の青白い空気の中、どこまでも広がる水田の風景は、さすが米どころ、という景色だった。知識としては知っていても、実際には見たことがなかったので、感動があった。通路では初老のお客さんとも話をして、「北海道の雪は東北の雪と違ってサラサラしている」ということを教えてもらった。

寝台列車の良いところは、閉ざされた空間での長旅だから、お客さんどうしや、乗務員さんと話ができるところ。車掌さんとも長話をした。さすがに退屈になってきてデッキで外を眺めていると、車掌さんの方から話しかけてきてくれた。その時、函館までの特急券が取れなかったことも話した。すると、「そんなもの“着駅変更”で大丈夫」と教えてもらった。つまり料金が同じ区間なら車掌さんの“着駅変更”処理でその先まで行けるということ。これも初めて知った。ということで、そのまま寝台特急で、指定席なしで函館まで行けることになった。

やがて青森駅に到着。青森止まりの車輛から函館まで行く車輛に乗り換え、津軽海峡に向けて出発。海底トンネルと抜けて昼前に函館に着いた。

さあ、前日の土曜日に函館に着いた。これがいけなかった。普通なら翌日の試験に備えて最後の追い込みを…、というところだが、“はるばる来たぜ函館~ ♪ ” ホテルに籠って勉強するなどもったいない!せっかく函館までやって来たのだから、函館の街をこの目で見てみたい、という誘惑に駆られた。ということで、土曜日の残り時間はフルに市内観光に充てることにした。路面電車に乗って、五稜郭から始まり、トラピスチヌ修道院、土方歳三終焉の地、函館山などなど色々な所を回った。函館の街は路面電車が通っていても、バスなどが走る車道も十分に広く、京都もこれだけスペースがあれば路面電車は廃止されなかったんだろうか、と思ったりもした。

翌日曜日、庁立函館中部高校で採用試験。今は「道立」と言われているが、当時はまだ「庁立」だった。設立元は道庁なのか渡島支庁なのかは分からないが、北海道の公立高校は「道立」ではなく「庁立」だった。

採用試験が終わって帰京するのも寝台特急。18時前後の函館発。その車内では相席になった大阪まで帰る受験生と、寝るまでずっと話し込んだ。函館発の寝台特急もまた、さながら教員採用専用列車だった。教員になりたい人はみんなそんな感じで列島縦断をやっていた。

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