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プロテニスプレーヤー:ケン・ローズウォール
ケン・ローズウォール。
1950年代から1970年代まで世界のトップで活躍し続けたオーストラリア出身のプロテニスプレーヤーです。
テニスの神様と言われた伝説のプレーヤーです。
1953年にアマ大会の全豪選手権と全仏選手権で優勝。
1955年に全豪選手権で優勝。
1956年に全米選手権で優勝。
1957年にプロ転向。
ILTF(現ITF)はアマチュア主義だったので、それ以後、当然、グランドスラム大会にも出ることはなく、ジャック・クレーマーがプロデュースするプロツアーを主戦場に転戦しました。
アマチュアの輝かしい戦歴を手土産にプロに転向するのは、スケートとよく似ていると思います。
スケートではオリンピック金メダルを手土産にプロ転向するように、多くのプロプレーやはグランドスラムの優勝を手土産にプロ転向していました。
プロ最高峰の大会は、フレンチプロ選手権、USプロ選手権、ウエンブリー選手権のプロ三大大会。
1950年代のトッププロはパンチョ・ゴンザレスだったので、その後塵を拝しましたが、1960年代に入るとパンチョ・ゴンザレスにも衰えが見え、以後はローズウォールの独壇場、1963年にはプロ三大大会を完全制覇しました。
ローズウォール時代が続くかと思われましたが、後輩のロッド・レーバーが新たにアマ年間グランドスラム(1962年)を手土産に鳴り物入りでプロ入りすると、主要大会はほぼローズウォールとレーバーが交互に優勝するような様相になりました。
ただ1962年にアマ年間グランドスラムを達成したレーバーも、プロ入りの1963年にはローズウォールに全く勝てなかったので、やはりプロとアマでは相当実力差があったのでしょう。
1968年にグランドスラム大会がプロ・アマオープン大会となった記念すべき最初の全仏オープンで、ローズウォールはレーバーを破って優勝しています。
また1972年のWCTファイナル・ダラス大会もレーバー相手に5セットのファイナルセットのタイブレークを制して優勝しています。
いまはYouTubeで当時の試合の動画が多数アップされているので、実際の試合を動画で見るごとができるのは嬉しい限りです。
プレースタイルは派手さはありません。
サーブはスライスサーブが主体なので、サーブ&ボレーもハーフボレーからの組立てがメインです。
ローズウォールといえば、天下一品とか、芸術的とか言われるバックハンドスライス。
切るというイメージではなく、フラットにボールを叩き、フォロースルーを下から抜くという感じで、パンチの効いたバックスピンという感じです。
それよりも目に付いたのは、
とにかく初動が早い!
相手がハーフボレーを打つ瞬間にはもう予想されるボールの落下点に向けてスタートを切っています。
仮に、相手に見切られて裏をかかれても想定の範囲内で、二の手を用意していて、すぐにロブで逃げて、またすぐにネットをとる。その動きが実にスムースでスピーディーです。
この早い展開がローズウォールの強さの源流だったのではと感じます。
1974年、40歳手前の超ベテランのローズウォールはベテランのジョン・ニューカム、スタン・スミスを押しのけて、ウインブルドンとUSオープンで決勝に残ります。
この両大会での決勝の相手が、この年世界ランク1位にのぼった10数歳年下のジミー・コナーズ。
ローズウォールはこのコナーズに屈辱的ともいえるスコアで完膚なきまでに叩きのめされます。特にUSオープンのスコアは、1-6、0-6、1-6。
これ以後、世界のテニスはパワー全盛になったと言われています。
昔は私もそう思っていました。でもYouTubeを見ると、そうではない気がしてきました。
ローズウォールの動きそのものに全く精彩がないのです。立ち上がりから目をしょぼつかせて。疲れて見えます。
そもそもコナーズが打つボールに体がついていけてないので、もう試合になっていません。
これは、パワーテニス云々ではないような気がします。
ここから先は勝手な推測です。
たぶん、ローズウォールは動体視力に衰えが出ていたのではないでしょうか。動体視力が衰えると、脳が目から入ってくる情報を瞬時に処理しきれないので、対応が遅れてしまいます。私の経験で言うと、40歳を過ぎた頃、上級者クラスのレッスンで、突然、コートの向こうから打たれたセカンドサーブがコマ送りに見えて全然返球できなくなりました。
でも、レクリエーションでやるテニスなら何ともありません。
たぶんローズウォールもニューカムやスミス、アーサー・アッシュ、トニー・ローチらの打つボールには目が対応できても、登り龍の勢いの若きコナーズの打つボールにはまったく目がついて行かなかったのではないでしょうか。
そう思うと、映像から見えてくる、どうしようもなさそうなローズウォールの惨めなくらい冴えない表情も合点がいきます。
プロ野球でも阪神の掛布選手が日本一になった翌年の1986年に突然バットにボールが当たらなくなり、1987年にはとうとう打率が1割を切ってしまい、その年を限りに引退しました。あれも動体視力の衰えではなかったかと思います。
1975年には、全豪オープンではニューカム、ウインブルドンではアッシュ、USオープンではマニュエル・オランティスといったベテラン勢がそれぞれコナーズを破って優勝しているので、1974年の両大会も、もしドローが異なってコナーズが先に姿を消し、決勝の相手がニューカムやスミスやアッシュなら、ローズウォールの優勝もありえたのではないでしょうか。
でも現実には、ローズウォールがニューカムやスミスを退けてあげて、コナーズ初優勝のための露払いをした格好になっただけに、そんなことも思ってしまいます。