葛尾村における農業の変遷
葛尾村における農業のこれからを考える前段階として、今回は葛尾村の農業の変遷に関する記事を公開いたします。本記事は、農林水産省の統計および葛尾村での取材をもとにした内容になっています。本記事では、葛尾村の農業の中心である稲作および畜産業を扱います。
第1章 地理情報
はじめに、葛尾村における面積等の地理情報を整理します。葛尾村は福島県浜通りに位置していますが、海には面しておらず、なだらかな阿武隈高地の中にある農山村です。日本全体の耕地割合が約12%・森林割合が約67%であるのに対して、葛尾村の耕地割合は約7%・森林割合は約82%であることからも、大部分が林野であることが分かります。
全体面積:8,437ha(※1)
耕地面積:598ha(※2)7
森林面積:6,910ha(※1)
【参考資料】
・農林水産省「農林業センサス」(2015)※1
・農林水産省「面積調査」(2019)※2
第2章 稲作
次に、葛尾村における稲作の情報を整理します。作付面積は日本全体と同じ傾向で減少しています。また、単位面積当たりの収量は常に平均を下回っています。1993年および2003年だけ極端に収量が減少しているのは冷害の影響です。加えて、震災後は原発事故の影響で全く稲作を行うことができず、2016年の避難指示解除後に土づくりから再開したそうです。現在、震災以前の約30%の耕地しか稲作が行われていないようです。
【参考資料】
・農林水産省「水陸稲累年統計(福島県葛尾村)」(1993~2005)
第3章 畜産
次に、日本全体における畜産の情報を整理します。第1に、乳用牛は日本全体の傾向と同じく、集約化が進んでいます。震災直前には2戸まで減少し、現在は1戸のみになっています。しかし、1993年から現在まで飼育頭数は大きく増減していません。
第2に、肉用牛も日本全体の傾向と同じく、集約化が進んでいます。肥育牛は震災の影響で大きな打撃を受け、現在でも震災以前の4%程度の頭数しか飼育されていません。一方、震災以前から盛んであった繁殖牛は震災以前の約60%の頭数までは回復しているようです。
第3に、養豚は震災以前まで営まれていましたが、震災以後に養豚を営む農家は葛尾村にありません。戦後開拓の農家を中心に養豚を始めて成功した歴史が葛尾村にはあります。
第4に、養鶏は従来各農家では約5~6羽程度の地鶏を屋敷内の敷地に放し飼いにしていましたが、日本全体の傾向と同じく集約化されていきました。現在、養鶏では震災以前と同数以上の羽数が飼育されています。これは震災後に創業した株式会社大笹農場の影響が大きいです。
第4章 その他の作物
葛尾村には震災以後に育てられるようになった作物がいくつかあります。代表的な2つを紹介します。1つめは、トルコキキョウです。元々田畑だった場所でハウス栽培されているようです。2つめは、胡蝶蘭です。こちらはかつらお胡蝶蘭合同会社が専用のハウスで生産しています。このように、葛尾村では震災後に花きの栽培がはじまりました。これは原発事故による放射能の風評被害を受けにくいことなどの理由があると考えられます。
第5章 現状と課題
葛尾村では、畜産業と花き栽培を中心に農業が再興しはじめています。しかし、これらの多くは工場式で生産される農産物です。従来から農業ひいては生活の中心となってきた稲作および数頭の家畜の飼育は衰退の一途をたどっています。避難指示解除直後は、田畑が除染土を詰めたフレコンバックの仮置き場になっていることが原因で営農再開ができないという状況もありましたが、現在は仮置き場からフレコンバックが移動してしまうと農業の担い手がおらず、土地が荒廃してしまうという新たな課題に直面しています。このような担い手不足の問題にどのように向き合う必要があるのか次回の記事について考察したいと思います。
一般社団法人葛力創造舎
葛力創造舎(かつりょくそうぞうしゃ)は、通常なら持続不可能と思われるような数百人単位の過疎の集落でも、人々が幸せに暮らしていける経済の仕組みを考え、そのための人材育成を支援する団体です。
余田 大輝