【連載小説】Especial Pink《7》『ムラサキ』
↓前回までのストーリーです↓
↓そして登場人物紹介はコチラ↓
↓相関図作りました↓
《1》
「おう! 可愛い後輩共よ! やっと東京から帰ってこれたぞ!!」
金曜日の夕方、演劇部部室のドアが思い切り開き、聞きなれた声が部屋中に響き渡る……。
「………………!?」
……が、その声の主を見るやいなや演劇部のメンバー全員がフリーズしてしまった。もちろん私もその一人だ。
「…………あのぉ、どちら…様でしょうか?」
メンバーの一人が吹き出しそうになりながら口を開く。その言葉が合図になったかのように、部室にいる全員が声を出して笑った。
「おい、てめえらっ!! 何笑ってんだよ!! イジメかぁ!?」
声の主……キュウさんはひきつりながら声を荒げる。
「す、スイマセン。だってキュウさんが普通の格好をしているもんだから……」
「……おまけに黒髪。な、なんかレア過ぎて」
そう、彼はトレードマークである紫色の髪を黒に戻していたのだ。おまけにスーツ姿! 普段は学校のジャージかスウェットばかり着て大学に通っているので、新鮮な印象よりも違和感の方の気持ちが大きい。
「なんか、キュウさんも普通の人なんだな……って思いました」
「なんか失礼なヤツらだな。せっかく東京からここに直接来たのに」
彼は口を尖らせながら、靴を脱いで部室に上がった。
「あ、キュウさん! お土産でしかアザ~っす!」
「ケッ、やらねーよ」
なんて言いながらも紙袋からお土産を取り出す。
「あっ! 美味そ!」
「俺、ここのお菓子大好きなんッスよ!」
先輩たちが一斉に手を伸ばそうとした直前、「ストップ!!」とキュウさんが制止した。
「えっ? キュウさん、どうしたンスか?」
「先ずは1年2人に味を選ばせろ。ハイエナ状態の先輩見て、完全に遠慮しちゃってるだろうが」
「お、確かに。んじゃユーキから好きなの選んで。次はアーちゃん」
「あ、ありがとうございます」
私は急いでピンク色のパッケージを手に取る。
「やっぱり女の子ってイチゴとかピンク色が好きだよな」
先輩の一人が言う。
「先輩、僕もイチゴ味選ぼうと思っていましたよ。ちなみにピンクも大好きです」
アーちゃんも私と同じ色のお菓子を手に取った。
「まあ、『アーちゃんはピンクが似合う』という事実はさておき……。今は『色で男女カテゴリー分けするなんてナンセンス』って時代だけど、やっぱりピンクって女の子のイメージだよな」
「そう思う。戦隊ヒーローで毎年ピンクを演じるのは、女優ばっかだよな? 俺が知らない可能性もあるけど」
「戦隊ヒーローは歴史長いからな。いてもおかしくないんじゃね?」
「赤は赤で不思議だよな? どちらかといえば女性的な色のハズなのに、戦隊ヒーローシリーズでは男子のイメージ。それもセンター」
「赤は情熱的っぽい色だからじゃねーの? 戦隊ヒーローの主役にピッタリじゃん……」
そんな先輩たちの会話を聞きながら、私は横に座ってきたキュウさんを、つい見つめてしまった。
黒髪をキチンと整えて、スーツをビシッと着こなしている彼は、どこから見ても完全なイケメン男子だ。
「どうしたユーキ? 俺に見惚れてた? もしかして惚れちゃったか?」
不意にキュウさんが私と目を合わせる。
「ちちちち違いますっ! キュウさんが普通の格好をすると、やっぱり安藤くんに似ているな……って思っただけです!」
この言葉に偽りはないが、見惚れていたのも事実なのだ……。私はそちら側の感情を隠しながら、必死で言い訳をした。
「あー、マー坊ね。ガキの頃は、よく兄弟に間違われてたよ」
私と同じ学科にいる安藤雅美くんが、キュウさんと従兄弟同士だという事実を知ったのは、つい最近だった。
「親戚同士の交流は復活したんですか?」
「ああ、この間、アイツがウチのアパートに来て一緒に飲んだ」
「安藤くんは未成年ですが?」
「もちろん、マー坊はノンアル。でもさユーキ、聞いてくれよwww 俺がノンアルビールをグラス注いで、ヤツに飲ませた後『マー坊ゴメンっ! 間違えてアルコール入っている方をオマエに飲ませちまった』ってウソ言ったんだよ。そうしたらアイツ、一瞬で顔が真っ赤になって、酔っぱらいの顔になっちゃってさwww いやぁ単純だよな。まるで偽薬効果wwww」
「変化球の『アルハラ』じゃないですか。安藤くん可哀相。……でも以外な一面ですね」
「実はからかい甲斐のあるヤツなんだよねwww あ、そういえばアイツ、ユーキの話を結構していたな」
「………………えっ?」
一瞬、意味が解らなかった。
「マー坊、ユーキに気があったりして?」
「ない! それは絶対にないです!」
私は語気を強める。
「おい、何ムキになってんの?」
「安藤くんに失礼ですから。それに……」
「それに?」
「……あ、何でもないです」
心の中で『キュウさんに言われたくなかった』という言葉が響く。
「まあ、機嫌直せよユーキ。いいものあげるから」
キュウさんは鞄に手を掛けると、一冊の本を取り出し、私の頭の上にそっと乗せた。それを両手でキャッチした私が見たのは、2匹のウサギが走っている絵本のような表紙だった。
「……『銀河旋律』それと『広くてすてきな宇宙じゃないか』?」
思わずタイトルを読み上げる。
「俺らの3月公演予定シナリオ。ちなみに演るのは『銀河旋律』の方な」
「うわぁ! これですか!!」
今は表紙とタイトルだけでの判断しか出来ないが、『キュウさんが選んだシナリオにしては可愛い』というのが率直な感想だった。彼のイメージから予想していたのは、殺陣のシーンがバンバン入っているようなハードなシナリオだったから……。
どちらにしても、自分が出演する予定の作品がこの本の中に詰まっているかと思うと、物凄くワクワクする。
「……キュウさん、この本、今『あげる』って言ってましたけど、私が貰っていいんですか?」
「ああ、いいよ。俺がオマエをスカウトしたんだから、このくらいの『ギャラ』は払わなくちゃな」
「あ、ありがとうございます!」
私は本を無念にギュッと抱き締めた。
《2》
『銀河旋律』は『劇団キャラメルボックス』という超人気劇団の脚本で、この本の初版は1992年だった。
「私、まだ生まれてないや」
帰宅した私は、ドキドキする気持ちを押さえながら本を開く。あの時は部活の終了時間が近づいていたので、パラパラとページをめくることしか出来なかった。
「………………登場人物は『柿本』『はるか』………」
気がつくと私は涙を流していた。
『柿本』が全てを賭けて『はるか』を取り返そうとする姿に……。
おそらく私が演じるのは『はるか』だ。そして『柿本』はキュウさんか、コバさんのどちらかだろう。
こんなにも相手から強く想われる役など、私に演じきることができるだろうか。今までそんな経験したことなど一度もないのに………。
不安とワクワクが同居しているような心で、私はベッドに横たわり、覚えたばかりの『はるか』のセリフを口にした。
この時、同時に思い出したのは、キュウさんの顔だった。
「……んじゃ、キャストとスタッフの発表するぞ」
次の週の部活。コバさん、そして髪色を紫に戻したキュウさんが中心に立ち、『銀河旋律』についての発表が行われた。
「すいませーん、その前に質問いいですか? キャストに女性が多いんですが、ユーキ以外の女性キャストはどうするんですか?」
先輩の一人が手を上げた。
ちなみに『銀河旋律』のキャストは9人。
「『ヨシノ』役だけは知り合いの社会人劇団に助っ人を頼むつもりです。『タケチ、オオツ、クサカベ』の女子高生3人は男子高生にチェンジ。レポーター『アリマ』も女性にこだわらなくていいでしょう。むしろウチにはアリマのイメージにピッタリの初々しい男子がいますから」
コバさんの言葉に全員がピンと来る。
「えっ? 僕?」
みんなの視線が集中したアーちゃんは、驚いて自分の顔を指さした。
「当たり! 男性レポーターアリマ役はアーちゃん」
キュウさんがニヤリと笑った。
「ありがとうございます! 僕、頑張ります!!」
「そして『タケチ、オオツ、クサカベ』役。コバがさっき『女子高生を男子高生にチェンジ』と言ったけど、ここで捕捉。クサカベだけはニューハーフキャラでいく」
「つまり……女子の制服を着ると?」
「そういうこと。インパクトを狙ってみた」
「あ、面白いかも」
キャスト発表は続く。そして残りは『はるか』『サルマル』『柿本』になった。
「……『はるか』役はユーキ、『サルマル』役及び演出がコバ。そして『柿本』役は俺。異議あるかな?」
「ないです! キュウコバの演技、めちゃくちゃ楽しみですよ」
「そっかー、4年生2人がユーキを巡って対立するんだよな」
先輩たちの言葉に私は赤くなってしまう。そして『はるか』という女性を演じることに対して、新たなプレッシャーが追加されたような気がした。演技力がダントツに違うキュウコバの2人に挟まれる……ということなのだから。
そんな時に先輩がボソッと呟いた。
「なんかさ、『はるか』って、ユーキにピッタリだと思う」
「あ、俺もそう思った。一見流されている感じだけど、実は意志が強いトコ」
「…………あ、ありがとうございます」
嬉しいけど、ちょっと恥ずかしい。
「俺も!」
キュウさんがニヤリと笑った。
「………………」
冬なのに顔が熱くなりそうだ。
「そして、話は変わりますが……」
スタッフも決定し、一通りの打ち合わせが終わった後、コバさんはメガネの位置を直しながら目の奥をキラッと光らせた。
「本格的な練習に入る前に部室の大掃除をします!!」
「えーーーーーっ!!」
何故かキュウさんまでがブーイング側についている。
「12月に入ったことですし、シーズン的にも丁度いいですからね。それにあれを見て下さい!」
コバさんがビシッと指差した一角には6箱の段ボールが積まれている。外観にかなりの年月を感じるそれらに、ある種の存在感を感じてはいたものの、私たちはずっと見て見ぬふりを貫いていたのだ。
「…………いるんですよね、箱に詰めただけの『目隠し』だけで、片付けたような気分になってしまうような人が。ハッキリ言わなくてもジャマですよね? ……と、いうワケで、あの段ボールを開封して、必要なものとそうでないものに振り分けをします! 『7箱目』が積まれてしまう前に!」
「えーーーーーっ!?」
さっきよりも大きなブーイングだがコバさんは全く気にしていない。
「大掃除は今週の土曜日に実施します。2年生以上は強制参加。そして相良くんと三田さんの1年生に関しては、日頃の部室の使い方を見る限り常識の範囲内なので、用事があれば、そちらを優先して構いません」
「は、はぁ……」
「ちなみに、地べたに這いつくばってでも参加して欲しいのは、成田さん、あなたですからね」
コバさんの言葉に1ミリの容赦もない。観念したのか、キュウさんは「はいよ鬼部長」と返事をした。
(……キュウさん、参加するんだ)
土曜日は特に用事はないし、私も参加するつもりでいた。
「ん?」
私のスマホに安藤くんからのLINEメッセージが届いたのは、その夜のことだった。
「…………………………えっ!?」
文章の中に『三田さん』という名前が入っているというのに、私は安藤くんが誤送信してしまったのか?と一瞬疑ってしまった。
確かに最近の私たちは、本の話をすれば、時間を忘れるくらい盛り上がるし、こうやって連絡先も交換している。
「それでも…………これは信じられないんだけど?」
安藤くんからすれば、本好きの友人だから……と軽い気持ちで誘ったのだろう。いや、それ以外は考えられない。
「だから落ち着け落ち着け、……落ち着け自分」
自分に必死に言い聞かせるほど、パニックになってしまった私だが、ふと大切なことに気づいた。
「あっ!! この日は部室の大掃除だった!」
「…………………」
コバさんの言葉を思い出す。そしてしばらく悩んでいたが、私は彼に一通のメッセージを返した。
すぐに既読が付き、『残念』『ではまた今度』というスタンプが連投された。
「安藤くん…………ごめん」
憧れていた彼からの誘いを断る日が来るなんて、過去の私が知ったら、絶対にビックリするだろう。
《3》
「えっ? キュウさんが風邪?」
大掃除当日。任意参加でOKだった私とアーちゃんは、ジャージ姿で部室にやって来たのだが、コバさんから『這いつくばってでも来て下さい』と言われたキュウさんの姿はなかった。
「あのキュウさんがですか?」
「三田さん、もしかして今『バカは風邪引かない』という言葉を思い出しましたか?」
「いえいえいえいえ、先輩に対して、そんな事思うワケありませんからっ!」
「冗談ですよ。もっとも三田さん以外のメンバーは分かりませんが……。それにしても成田さんは結構重症なんですかね? あの人のことだから、多少の体調不良であれば、俺への嫌がらせで部室に来てもおかしくないと思うんですよ。もちろん『這いつくばって』……」
「………………」
キュウさんって一体……。
「三田さん、掃除は午前中までで大丈夫です。お昼になったらこれを持ってヤツのアパートに行ってもらえませんか? 自分がこの場を離れると、他の部員が怠けてしまうので、一番しっかりしているあなたにこれを託します。様子を見たら直帰して下さい。地図はLINEで送ります。後でどうだったか連絡もらうと助かります」
「…………は、はぁ」
売店で買ったというイオン飲料とレトルトお粥が何個か入ったレジ袋を私はコバさんから受け取る。
「コバさん、優しいですね」
「あんな人でも公演を控えた身体ですから、しっかり治してもらわないと。ただそれだけです」
必要以上にツンとするコバさんを見て、私は吹き出しそうになってしまった。
しかしよーーーく考えると、私が一人で男性の部屋に行くなんて、大胆じゃないだろうか。
2時間ほど掃除を頑張ったあと、私はコバさんから預かった食料を片手に、キュウさんが住んでいるアパートへと向かう。
(で、……でもコバさんから頼まれたからだし、私もキュウさんの様子が気になるし……)
言い訳のようなことを考えるながら、私は地図を頼りに道を歩く。
そして目指している建物が目に入り、部屋のドアの前に立った時には、心臓のドキドキが最高潮に達していた。更にこんな時になって、自分が大学のジャージ姿だったことに気がつき、『もう少しマシな格好だったら良かったのに』などと場違いなことを考えてしまう始末。
(いやいやいやいや……何を意識しているの私!?)
ドアの前でモジモジしている姿は、傍目から見れば立派な不審者だ。私はようやく覚悟を決め、インターフォンを押す指に力を入れた。
「はーい?」
「キュウさん、ユーキです。体調はどうなりました? コバさんから様子を見て来いと言われたので………って、えっ!?」
話しが終わらないうちに玄関のドアが開く。しかし私の目の前に現れたのは家主のキュウさんではない。
「三田さん?」
「あ、安藤くん!?」
そう、そこにいたのはキュウさんの従兄弟である安藤くんだった。
気まずい。
「おう、ユーキ、悪ぃな。わざわざ来てくれて」
玄関先で帰ろうとしたのに、安藤くんは「お茶でも……」と言って半ば強引に部屋に招き入れた。
「こちらこそ、寝込んでいる時にスイマセン。……あ、安藤くんありがとう」
マグカップを安藤くんから受け取り、私は紅茶に口をつける。平静を装ってはいたが、実はかなり緊張していた。
(これがキュウさんの部屋か……)
キョロキョロするのは、さすがにはしたないので、気付かれない程度にチラ見をする。
未だにドキドキしているのは、一人暮らしの男性の部屋に入るのが初めてだからだろうか?
それとも……ここがキュウさんの部屋だから?
「キュウさん、大丈夫ですか? コバさんがめちゃくちゃ心配していましたよ」
「コバがぁ? なんか気持ち悪ぃな。まあ、午前中はヤバかったけど、だいぶ楽になった。あっ! 今ならコバへの嫌がらせが出来そうだな。這いつくばって部室に行きたいんだけど、ユーキはどう思う?」
「はいはい、大人しく寝ていましょうね」
キュウコバは絶対に以心伝心で繋がっていると思う。
「それにしても、ユーキは真面目だな。『1年生は来ても来なくてもいい』ってコバが言ってただろ?」
(キュウさん、それは今、言っちゃダメ!!)
自分の目の前にいる安藤くんが『来ても来なくてもいい用事』のために、誘いを断られた事実をキュウさんは知らない。
「ぶ、部室には私も結構入り浸っているので、年末の掃除くらいはしておかないと落ち着きません。それに来年は旗揚げ公演がある大事な年ですから……」
無難な返答だったハズだ。そもそも用事自体に嘘はないのだから、安藤くんにここまで萎縮する必要はないと思う。しかし正体不明の罪悪感が私を焦らせたせいか、口調は微妙に不自然だった。
「今から張り切り過ぎんなよユーキ」
「私は大丈夫ですよ」
その後は3人で他愛のない話をしていたが、親戚でも彼女でもない人間が滞在できる時間は、もう終わりだろうと判断した。
「そろそろ失礼します。コバさんにはLINEしておきますが、落ち着いたらキュウさんからも連絡して下さいね。それから安藤くん、看病お疲れさま」
「うん。………あ、キュウちゃん、俺もそろそろ帰るね。ついでに三田さんのこと送って行くよ」
「あぁ頼んだわ」
(えっ? えーーーっ!?)
さっきの気まずい空気を嫌でも思い出してしまう私だった。
「安藤くん、古本市はどうだったの?」
私はおそるおそる彼に尋ねる。
「いや、実は行ってない。朝イチでキュウちゃんから『ヘルプミー』なんてLINEが来たら、駆けつけないワケにはいかないでしょ?」
苦笑いをしながら彼は言った。
「そうだったんだ。近くに安藤くんがいて良かったよね。キュウさんったら、運がいいよね」
「次は5月の予定だって。日程が分かったらまた誘うよ」
「ありがとう」
どうやら安藤くんは気を悪くしていないようだ。もう一度謝るのは却って失礼だと思い、私は別の話題を口にしようとした。
が……、
「三田さん、あのさ……」
急に真顔になった安藤くんが少し語気を強める。
「何?」
「聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたい……こと?」
思わず身構えてしまう。身体ではなく心が。
「単刀直入に聞くね。三田さんはキュウちゃんのことが好き?」
「はっ?」
想定外の質問に私は固まってしまった。今度は身体も。
「薄々そんな気がしてたけど」
「いやいやいやいや、どうしてそんな勘違いしているの? キュウさんは尊敬する先輩だよ。私の価値観を変えてくれた恩人でもあるし……」
「キュウちゃんの横にいた三田さんを見て確信した」
「………………」
「三田さん、キュウちゃんは一見ちゃらんぽらんで尖っているけど、実は繊細で、人一優しくて、真っ直ぐなイイオトコだと俺は思う」
「………………」
「だけどね、異性として好きになったら三田さんは傷つく」
「えっ?」
「キュウちゃんにはカノジョいるよ」
「………………ウソ」
膝から崩れ落ちそうになる感覚を私は初めて知った。4歳も年上の男性にカノジョがいても、本来は驚くべきことでない。
それなのに『ウソ』という言葉を無意識に口にした自分。この瞬間、私はキュウさんへの恋心をようやく認めた。
「いや、『いた』って言うべきかな?」
「元カノ?」
安藤くんは首を横に振る。
「恋心に水を差すようなことを言って、本当にごめん。キュウちゃんにとって『シオリさん』は永遠のカノジョだと思う。多分……誰もあの人を越えることはできない」
「『永遠の』?『シオリさん』?」
キュウさんに関係しているという女性の名前。もう安藤くんにも、そして自分自身に対しても取り繕うことを放棄した私は、動揺を隠すことなく彼の言葉を聞いた。
「キュウちゃんの高校時代からの彼女で、同じ演劇部だった人。高3の時に信号無視の車に轢かれて亡くなったって聞いてる」
「!?」
「ちなみに『シオリ』って漢字は『紫』に『織』って書く。…………これで俺が言いたいこと解った?」
「『紫織』………むらさき」
キュウさんの鮮やかな髪色が脳裏浮かんだのは言うまでもなかった。
《4》
どうやって翌日の日曜日を過ごしたのか、ほとんど覚えていない。月曜日は部活が休みで良かった……と思いながら、私は午後11時を表示している部屋の時計を見つめた。
(キュウさん)
カノジョがいたとしても、その女性がこの世に存在していれば、私は軽い失恋で終わったかもしれない。
だけど……、
亡くなってしまったカノジョへの想いを髪色に変えたキュウさんの過去を知った今、「失恋しました」なんて言葉を、簡単に使ってはいけないような気がした。
安藤くんには感謝している。
彼が危惧していたのは、私がもっとキュウさんを好きになった時に、重い真実を知ることだったのだろう。
どちらにしろ辛いけれど、今、知ったことで、こうやって気持ちを整理出来たのは良かったと思っている。
火曜日からは『銀河旋律』の読み合わせが始まるのだから。
(みんなに迷惑をかけちゃいけないもんね。そう、本当に辛いのはキュウさんの方だ)
そんなことを考えている私の耳にLINEの通知音が乱入してきた。
「えっ? キュウさん!?」
「……………よかった」
「…………えっ?」
「………………」
心臓が止まりそうになる。だけど、ここまで言っているキュウさんに会わないワケにはいかない。
意を決した私は『了解しました。では明日』と送信した。
安藤くんの『懺悔』によって、キュウさんは私の恋心に気がついてしまったのだろうか? もしかしたら私が自覚する前から薄々感じていたかもしれないが……。
約束の月曜日。部室のドアノブに手をかけた。鍵は開いてる。
「失礼します」
部屋の中ではキュウさんが壁にもたれて座っていた。彼を好きだと自覚した後で、顔を見るのは初めてだ。
「オッス! ユーキ」
「…………こんにちは」
いつものキュウさんだ。大好きな……いつもの彼。私は部屋の角に腰を下ろし、彼の言葉を待った。
「マー坊が、勢いで紫織のことを喋っちった……って言っててさ、ヤツの方が病人みたいな顔をしてやがんのwww あ、これは笑うところじゃねーな。ユーキはどこまで聞いたの?」
「高3の時に交通事故で亡くなったって」
「俺のせいなんだ。一時期は俺が殺したって思っていた」
「えっ!?」
思いがけない言葉に、私は目を見開いた。
「紫織の死因は信号無視の車による交通事故。だけど土曜日の部活が始まる前に、俺が彼女に頼んでコーヒーを買いに行かせたのが原因の原因。更にいつものコンビニじゃなくて、道路を挟んだ向かい側にある店のコーヒーが飲みたくなったのが、原因の原因の原因。もっと突き詰めれば、溜めていた課題を部活前にさばいていたせいで、一緒にコンビニに行ってやれなかった俺の怠惰が原因の原因の原因の原因」
「……………キュウさん! キリがありません!!」
私は彼を思い切り制した。涙が頬を伝う。
「みんなそう言ってくれる。紫織の両親でさえも。卒業は何とか出来たけど、大学受験を放棄して引きこもって俺に『紫織の為に自分の人生を放棄しないで欲しい』って手紙が来た。そして『紫織が好きだった演劇も続けて欲しい』とも……」
「……………」
「紫織は『銀河旋律』のDVDがきっかけで演劇部に入った。本当はキャスト志望だったのに『私が!私が!』ってタイプじゃないから、いつも周りに遠慮ばかりしていたな。だけど高校最後の舞台が『銀河旋律』に決まった時は、俺が無理矢理『はるか』役に立候補させたんだよね」
「……………」
「読み合わせのオーディションでは紫織はダントツの出来だった。そりゃそうだろう。『はるか』のセリフなんかとっくの昔に暗記しているし……」
「……………」
「満場一致で紫織は『はるか』に決まったよ。でも練習初日にあの事故が起きた」
「……………」
涙が止まらない。
「彼女の両親との約束だから、俺は演劇部に入った。クソみたいな先輩しかいなかったけど、同期にコバがいてさ……。『クソみたいな先輩? 最高じゃないですか! だって3年後は演劇部を自分たちの色に染め直せるんですから』ってアイツが言うんだよ。マジ笑っちまったな。だから俺たちは仲間になれそうな後輩たちに声をかけながら、3年後を目指した。紫織が立てなかった『銀河旋律』の舞台を作る為にね」
「……………」
「そして最後はユーキに会えた。『自分』を持っているクセに、周りに遠慮ばかりしていた、紫織に似ている女の子に」
「…………キュウさん」
「プレッシャーかけてごめんな。だけど、協力して欲しい」
「分かりました。私、キュウさんに着いていきます」
いつの間にか涙は止まっていた。
大好きなキュウさんの、大好きな紫色の髪。でも、これは紫織さんに対する揺るぎない気持ちだ。そんな私にできることは、『はるか』役をしっかり演じるきること。
舞台の上では彼を思い切り愛そう。その後に残るものは『空虚』でも構わない。
キュウさんが大好きだから。
そして、欲しいものが手に入らないのは、私にとってはいつものことだから。
《LAST 》に続く