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1月17日に思うこと

1994年11月に桂吉弥の名をもらい、12月に「東の旅・発端」で初高座。

神戸大学5年生やった私は、神戸市灘区記田町の徳井福寿荘に住み、「卒業できるんやったら卒業しとけ」と吉朝師匠に言われ、
学生と落語家の二刀流をやってました。

翌年95年2月1日から大師匠桂米朝師匠宅に住み込みも決まっていたので、事始めも年末の大掃除も、年明けてのお正月も米朝宅へ。
その後のサンケイホールの桂米朝独演会でも、「桂吉弥でございます、これからよろしくお願いいたします」と挨拶、下っ端仕事で走り回ってました。

そして、1995年1月17日。
三十年前の今日、阪神淡路大震災。

ーーーー私はたまたま助かった。

徳井福寿荘は残った。部屋の中はぐっちゃぐちゃ、でも冷蔵庫も本棚も、私の上には倒れてこなかった。

5日ほど経って、師匠のところへ電話すると

「おお!吉弥!生きとったんかい!」

「はい、なんとかやってます」

「そら良かった。吉弥お前バイク乗ってたな、神戸の知り合いのとこに水やら米やらカセットコンロを届けてもらいたいんやわ」

「分かりました!」

それから荷物運びのバイク便の日々。

「師匠、ボランティアで色々やりたいこともありまして、米朝師匠のとこに行くの3月1日にしてください」

「分かった。ほんでな、避難所になってる六甲小学校で落語して皆さんを励ましてくれと言われとるんやけど、お前も出てくれ。というか、吉弥よう分かってるやろ、落語出来るような雰囲気か?」

私は東の旅発端、そんな笑いも多くないネタ。
それを皆さんよう聞いてくれはった記憶がある。
帰りがけ

「あんた神大の学生さんで記田町におったんかいな、これからは落語家さんなんやな、一生懸命頑張りや!」とおばちゃんに反対に励まされた。

ーーーーあれから30年。
今朝も神戸の空に向かって黙祷。

あのときいただいた命を大切に、
落語家、桂吉弥、これからも頑張ります。

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