【ドアを開けたあなたへ、これから窓を開けるあなたへ】友だちとは、自己とは、【For the GHOSTs 感想 / プレイ前の方もどうぞ】
あなたには”友だち”と言える人は居ますか
あなたにとって”友だち”とはなんですか
こんはっぱです🍃
先日、Youtubeライブ配信にてFor the GHOSTsというゲームをプレイさせていただきました。
配信では最後まで流行っていません、もし自分の配信を視ていただいた方も続きは自分でやってみることを強くおすすめします。
配信でやるノベルゲーを見つけるためにSteamストアを徘徊してて雰囲気に惹かれて購入しました。
単刀直入にいえばすごいしやばいしすごいしやばい。
こんなに考えさせられるゲームをプレイしたのは初めてかもしれません。
合う合わないは大きくあると思います。
ただ刺さる人にはとてつもなく刺さるゲームです。
名前や雰囲気的にホラーゲーなんじゃないのかな?と思われそうですが、そういった要素は一差ないのでご安心を。
興味が湧いたのなら、このノートを読む前に自分でプレイすることをおすすめします。
配信者の方は、ライブ配信でやるのもいいですが、どちらかといえば動画向けの作品かもしれません。
そして本当に、心の底からこのゲームに臨みたいというのであれば、あなたの親友だったり大切な人とこれから共に過ごすかのような心持ちで、モニターの小さなゲームの窓に向かっていただければと思います。
紅茶やチョコの用意をして、傍らにあなたの好きな花を添えながら。
以下ネタバレ注意
「友だち」とは
「友だち」、とはなんだろう。
For the GHOSTsはその意味をまざまざと考えさせられました。
このゲームではたくさんの「好き」が出てきます。
好きな飲み物、好きな花、好きな景色・・・。
それぞれのキャラクターが自分の好きを語ってくれます。
それぞれのキャラクターがそれぞれのキャラクターへの好きを語ってくれます。
とてつもないくらいの好きが散りばめられています。
こんなにもキャラクターが好きを語ってくるノベルゲームは初めてやったと断言できます。
そして自分は、創作物のキャラクターに対して本当の意味で「好き」という気持ちを向けたことはなかったんじゃないかと感じました。
あとは自分の教養のなさを思い知りました・・・。
このゲームがきっかけで紅茶やコーヒー、花に少し興味を持てました。
いつかこれらの「好き」が出来たらみんなと共有して、そして自分の好きをお茶会に持ち込んで交ざりあえたらなと思っています。
そしてそういった「好き」を詳細に、鮮明に語ってくれたおかげでゲームのキャラクター相手であっても友だちにはなれるのだろうと感じました。
それは現実の友だちとは少し違った接し方になるかもしれません。
直接触れ合ったりはできないですし、直接会話もできないですし、それっぽいことができたとしても、それはあくまでも錯覚のコミュニケーションしか取れません。
でも、そういった関係も一つの素敵な形なんだなと。
むしろ現実と虚構だからこそできる関係ということでポジティブに捉えるべきなんだなと思います。
「自己」とは
このゲームはいわゆる「第四の壁」を突破してくるゲームです。
自身がゲームのキャラクターであることを認知している。
自分の性格、外見、過去が設定されたものでしかないことを認知している。
自分の発言が、用意されたテキストファイルから参照されたものでしかないと認知している。
こういった手法は近年では様々な有名ゲームで用いられていますよね。
物語が佳境を迎えたクライマックスで実はプレイヤーにメタ的視線を向けてくるキャラが登場して・・・というのが定番でしょうか。
しかし、For the GHOSTsでは序盤からネタバラシは行われます。
「ねずみ」「さかな」「彩度」「Acryl」
このゲームのキャラクターです。みんな友だち。
「自己」とはなんなのだろうか。
あなたはゲームのキャラクターに「自己」があると思うだろうか?
所詮は作られたキャラクター、「自己」など存在しないと考えるのが普通だ、というのがこれまでの私だった。
物語中「ねずみ」という女の子も、そのことに葛藤を覚える。
「ねずみ」には友だちがいる。特に「さかな」と仲がいい。
「ねずみ」と「さかな」には過去があり、思い出がある。
今でも鮮明に、楽しかったその記憶を夢想することもできる。
だが、「ねずみ」と「さかな」には過去はない。
過去に一緒に見たあの素晴らしい景色も、あの意味はないけど面白おかしくてばかげたやり取りも、所詮はそういうものと設定されただけのもの。
いつから友だちになったのかもわからない、いつ出会ったのかすらわからない、設定されていないから。必要のない情報だから。
このゲームで私が一番印象に残り、そして衝撃を受けたことばです。
自分たちには過去がない、あるのは創られた虚構による偽りの設定。
だけど虚構が存在ゆえに、そこには全部がある。
プレイヤーが、これを見ているあなたが、キャラクター間に偽りのコミュニケーションを追加していくことができる。いわば妄想。
これは現実に生きる私達にはたしかにできない。
こういった発想は持っていなかったです。
何も現実に生きる私たちが創作のゲームキャラクターに対して完全に優位ではないんだなって。
それなのに何故、彼/彼女たちには「自己」がないとおこがましく言えるのでしょうか。
おわりに
ここまで駄文を読んでいただきありがとうございました。
本当はもっと語りたい気持ちはたくさんあるのですが、自分の文章力では表しきれないです。
本当に素晴らしいゲームをありがとうございました。
ここまで読んでまだやっていないという方は是非プレイしてみてください。
そして既にやったという方も二周目をやってみてください。
自分も二周目をやって改めて友だちたちの言葉を反芻してみたいと思います。
また語りたい気持ちが抑えられなくなったら、このノートに追記すると思います。
そのときにまた会いましょう。