ぬるま湯から抜け出せないのは、本当に居心地が良いから?
ぬるま湯的な環境から抜け出した方が良いと分かっていても、なかなか抜け出せないのは単に居心地が良いからではないんじゃない?
ずっと、ぬるま湯に浸かり続けるのは衰退を意味してるんじゃないかと思った過去の出来事も含めて書きますね。
かなり前(起業したてのころ)だけど、起業している人の多いグループ的なものに属していた時期があります。
SNSやリアルでの交流もあり、その時は楽しかった(過去形)
でも、ある時ふと違和感みたいなものを感じたんですよ。
それでも楽しさが勝っていたんでしょうね。
その違和感から目を逸らし続け…
しかし日が経つにつれて違和感が大きくなり、それが不信感となっているのに、ぬるま湯だと分かっていながらも居場所を失うような怖さがあってなかなか抜け出せずにいました。
このままじゃいけないと思いつつも、ぬるま湯の外に出た後の自分が想像できなかったんだけど、宇宙の導きって時に残酷な方法でその場所から抜け出すきっかけを授けてくれるんですよ。
結果、そのコミュニティーとは完全に絶ち切れたんですけどね。
はっきり言って、その時は痛みも感じました。
その後あからさまに態度を変えてくる人も多くて、自分の判断を疑いたくなりましたよ。
だって、自分に都合の悪い部分は隠して全部、私のせいにして1対100の勢いで陰口言われるんだもん(笑)
やり方を総パクりされて実際かなりダメージはあったけれど、淡々と自分の仕事をこなしながら完全無視を続けて、今に至るって感じ。
私の中で圧勝となる事を実現させたので今は、その痛みさえも笑い話にできるようになりましたけどね。
で、ここから本題(やっと笑)
ぬるま湯的な環境って、仲間がいて安心感がありますよね。
成功したら一緒に喜んでくれたり、励ましてくれたり…
でも、そういう状況に甘んじたり、依存しちゃいけないんじゃないかな?
ぬるま湯的環境から抜けようとすると、必ずと言っていいほど引き留める人がいるのよ。
それが親切じゃなくて、抜け駆けは許さないみたいな感じでね。
お風呂に例えると、追い炊き機能のない湯船に多くの人が同時に浸かっている状態。
最初は熱くもなく気持ち良く浸かっていられるんだけど、なんせ追い炊き機能がないわけだから、どんどん温度が下がっていく。
で、ちょっとぬるいなと違和感を持ち始めて、いざ出ようとすると「出たら寒いよ」とか「今のままのほうが温かいよ」って引き留められる。
少し出てみると本当に寒く感じたりして、またぬるま湯に戻ってみんな一緒・ずっと一緒の呪縛に囚われていく感じ。
実際に追い炊きしない湯船に浸かっていたら、だんだんぬるくなってきますよね。
ぬるま湯って居心地が良いんじゃなくて、出たら寒いんですよ。
居心地は良くないけれど、寒いから出たくなくなって浸かり続けて、やがて冷え切る…
だから冷え切る前に出てしまわないと命取りになりかねないんですよね。
(ちょっと大げさだけど)
ぬるま湯的環境も同じで、そこに居続けるのは停滞じゃなくて衰退。
たくさんのチャンスと経験を逃して、気づきを無視した結果の痛みを伴う出来事に耐えられず、心が折れてしまう。
ぬるま湯って、嫌だとか違うって意見も言えずに違和感を抱えて居続ける場所だと思うのよ。
そのまま居続けて、徐々に衰退していくのか?
ぬるま湯を抜け出して、自分らしさや自由を取り戻すのか?
どっちにしても痛みやダメージはあるけれど…
片足だけぬるま湯に浸かりつつ、出た部分は温かいシャワーを浴びるような器用な生き方ができれば良いんだけどね(笑)
せめて距離感や心の安定を保つ工夫は必要とは思うけど、できれば関わらないのが一番です。
教訓
ぬるま湯で 気持ちが良いのは 最初だけ 長居は無用 今すぐ脱出