明治時代に「府県廃置法律案」という法案が作成されていたことをご存じだろうか?
明治時代に、日本を「28道府県」に再編する計画が持ち上がりました。
富山廃県の危機に富山県民はどうしたのか?その行動と考え方を、新刊『越中史の探求』からお届けします。
明治36年(1903)に1道3府43県を1道3府24府県にしようという法案が、第一次桂太郎内閣で閣議決定され、帝国議会に上程されることとなった。
本書で取り上げる富山県(越中)は三度廃県の危機に直面している。
「府県廃置法律案」は「交通機関発達ノ今日、府県区域ノ拡張ヲ計ル」などの理由から作成され、富山県は、岐阜県・福井県の一部とともに石川県と合併し、「金沢県」となる予定であった。
廃県の危機にさらされた各県では強い反対運動が展開され、富山県民も強い反対の声をあげている。
本書では、当時提出された建議書や、新聞にて報道された内容などから廃県の危機に際して当時の富山県民がとった行動と考え方を考察している。
12月8日に富山商業会議所が「府県廃合ニ関スル県議書」を、12月9日に富山県会が党派を超え満場一致で「富山県存置之儀ニ付建議」を決議、直ちに県会議長大橋十右衛門らが上京し、建議書を桂太郎内務大臣(首相兼任)に提出、陳情も行った。
「富山県存置之儀ニ付建議」の、「八十万県民」「満場一致」の語は、富山県民の総意であることを示している。
なお、12月に衆議院が解散となり、結局法案は提出されず、さらに翌年には日露戦争が勃発し、「府県廃置法律案」は幻で終わった。
今回取り上げた以外にも、本書では「山野河海」に恵まれた越中史を、「第Ⅰ部 古代の越中」「第Ⅱ部 立山と越中」「第Ⅲ部 富山近代化と越中」の三部構成とし、越中の始まりの時代である古代から富山県へと転換していく近代までを対象とする12本の論文を収録している。
「第Ⅰ部 古代の越中」
一 大伴家持と越中の自然風土 —雪と山野河海—
二 越中国の御贄
三 古代越中人の生業
四 征夷と越中国
「第Ⅱ部 立山と越中」
一 中世の飢饉と立山信仰
二 冷泉為広の〈タテ山ミユ〉
付論 守り伝えられた立山古文書
「第Ⅲ部 富山近代化と越中」
一 民権前夜の越中青年 ―新川県から提出された建白書―
二 富山廃県の危機
三 越中七大河川と鉄道架橋
四 「時の記念日」の誕生と工業立県
五 「越中史」の発見
富山県は立山連峰から富山湾と、高低差4,000mの変化に富んだ地形をしている。かつて越中と呼ばれていた時代から富山県は自然と関わり、生活を構築し、文化を蓄積してきた。史資料を読み解き、歴史を探求することで富山(越中)の進むべき未来が見えてくる。
(桂書房・編集部)
◉書誌情報
『越中史の探求』
城岡朋洋
2023年5月31日刊行|A5判・310 頁|ISBN978-4-86627-134-7
◉著者略歴