幸せでしか生まれないエネルギーがある
生きているのは当たり前でしょうか。ちがう、だけど当たり前のように生きていくことはできてしまう。
なるべくひとつひとつを、捉えて生きたい。
それがあること、ないことを、受け止めて生きたい。
感謝のできる自分が好きだ。それは幸せだと思う。
よく、幸せになったら表現・創造ができなくなるとかって、聞くし私も思ったりする。
それは、表現・創造に至るまでの過程や根の部分が、「幸せ」以外のところから来てるから、だよね、と思う。
表現をするには何かしらのエネルギーが必要で、その元になるものは綺麗なものばかりじゃない。
綺麗じゃないどころか、どろどろだったりずたずただったり面と向かって人様に言えないようなことだったりもする。
でも、じゃあ「幸せ」はその“エネルギー”にはならないのか?と問えば、そうではない。
幸せの空気が繊細なのに対して、ずたぼろの空気は激しくて、しつこくて、ショッキングで、人間を蝕むほどの大きな力を持つ存在だ。
捉えやすく、囚われやすく、苦しめられて、自分の中に残りやすい。だからエネルギーとして採用されやすいんじゃないかと思う。
「幸せ」でも、それを感じることができれば、その状態に対しての自分の感覚を見つけることができれば、それはまた、素敵な表現・創造を生み出していけるんじゃないかな。
いくら幸せでも完璧になんてなれないし、いち人間として葛藤は生まれ続けるのだろうから、“綺麗なだけ”の創造にはならないよ。なれないよ。というところでホッとする自分がいたり。
だから、幸せになること許していきたいって思います。
幸せへの恐怖は、本当はいらないと思うのです。
いっぱい集中して書いて、疲れた&楽しくて、ここまで読んでくれた人がいるのならば、ありがとうございます。
「幸せ」に拘っているように聞こえるかもしれないけれどそうではなくて、幸せになることが全てとは思ってないし、幸せじゃないのが不幸だと言っているわけでもない。
ただ、私やあなたが、今いる場所を大切に、そこを生きてる自分を大切に、することができたらいいな。
私の中でずたぼろは、どこかに吐き出していかないと耐えられない。その吐き出し方の一つに音楽があって、音楽を選ぶことができれば、誰かに迷惑をかけるわけでもなく、むしろ必要としてもらえたりなんかする。
私の中で幸せは、循環させていけたらもっと深まっていく、そんなもの。幸せから歌えた時、優しい竜巻が起こると思う。それはきっと、あなたの中のどこかまで、静かに響いていくと信じています。
そんなこんな、生きる・活きる手立てとして、私は「音楽」というものを好き好んで、それはもう好き好んで笑、選び続けているのです。
“当たり前”にしないための感謝
感謝できるという幸せ
「幸せ」でしか生まれないエネルギーがある
そんな、お話でした。