歪んだ正義

正義…広義すなわち日本語の日常的な意味においては、道理に適った正しいこと全般を意味する。

とあるが、自分は正義なんて『存在しない概念』だと思っている。💀

例えば
畑を荒らす猪🐗がいたとする。

畑を耕し、作物を育てる者は
『その作物を守る事が正義』😤
であり、その作物を奪おうとする猪は
その正義を脅かす悪😚そのものでしかない。

だが、猪の目線から考えれば🐗
『畑の作物を食べる事は、自分が生きる為に譲れない行為』であり、むしろ畑を守る者は
『自分の生を脅かす悪』💀そのものでしかない。

正義とは
その立場の者が、自分を正当化するための方便であり、その正義が必ずしも
『すべてのものに対する正義ではない』🥶
ということだ。

なのに
この世の者たちは
何かにつけて『自分の信じる正義』を唱え
あろうことか、その正義論を他人に押し付けようとする。🤬
そこに軋轢が生じ
その軋轢が一定のレベルを超えると
争いが起こる😡

正義を正当化する事そのものは
決して悪いことではないが
自分の唱える正義の対極に位置する考え方も
また
『誰かにとっての正義なのだ』と
共感できる余裕😁を持つことができるなら
今すぐにでも
この世の中の一切の争いは
瞬時に消えゆくであろう。🥰

自分の唱える正義が
誰かにとっては『歪んだ正義』😅
それを受け入れ、認める事

それが相手を認め、歩み寄れる第一歩であると
自分は信じて突き進む。

今日も自分にしか通じない
『歪んだ正義』を身に纏いつつ
自分には通じない
「歪んだ正義』を認めつつ…👍


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